7月18日  三年寝太郎


7月18日(土)、クラッチが千葉から帰ってきたので永田んちの家族と、
うちの家族、クラッチの家族の3家族で、駅前の屋上ビアガーデンにて飲み会やった。

昔は、皆で歳取っても家族ぐるみの付き合いとか出来てたら良いねと、未来予想図を
語り合ってたもんだが、いやはや本当にこの歳になっても昔と変わらずに、家族ぐるみでの
お付き合いをしていようとわ・・・    時の流れは早いもんですなぁ。

んで、焼酎の水割りやら、焼酎のロックやら、焼酎のストレートやらを適当にガブガブやってたら
突然雨が降り出した。

しかし時間はまだまだ21時前。
そこで、今度は永田んちに押しかけて2次会やろうってことで場所を永田んちに移して、
再びガブガブ。

今日は不参加の会長のダメ出しを散々した挙句、永田は早々に寝てしまった。


で、その後はクラッチと熱く朝まで生討論。
お題はニートについて。

我が地元には「三年寝太郎」という昔話が残っている。
内容としては、いつも寝てばかりの寝太郎という、皆からは怠け者のレッテルを貼られていた男が、
3年間ボーっと家に引き篭もって、佐渡の金山から当時持ち出し禁止とされていた金をどのように
持ち出すかを考え、上手いこと持ち出した金で地元の川の氾濫をせき止める堰を作ったという話。

彼は、当時佐渡の金山で労働に従事していた労働者達の使い古したわらじを、
敢えて新品のわらじと交換しますよと話を持ちかけ、その古いわらじにくっついていた金をわらじごと
地元に持ち帰り、帰ってきた後でザブザブと水でわらじを洗って金を取り出し、当時氾濫ばかり
起こしていた川の上流に堰を作ったという話である。

我が地元の川には寝太郎堰と言われる、その寝太郎さんが作ったとされる堰が残っていたり、
地名にも寝太郎という名前が使われていたりなんかもする。
また、寝太郎音頭なる踊りも存在し、地元の小学校では必ず運動会で踊らされる踊りでもある。

駅前には大きな銅像が立てられ、それはもう地元が生んだ伝説のヒーローとして語り継がれている。


そこで、クラッチが私に問うてきた。
家に引き篭もってブラブラしているニートって実は、物凄い熱いエネルギーを秘めた情熱の
持ち主なのではないだろうかと。

私もこの意見には大いに賛同した。
三年間もダラダラと寝て過ごせて、なおかつ歴史に名を残せる位の人物になれる可能性を、
ニートは秘めているのではなかろうかと。

そして私は考えた。こりゃー私もひとつ、寝太郎さんを見習い、寝たいときに寝て起きたい時に起き、
腹減ったら適当に飯食って、グーグータラタラやりながら、歴史に名を残す位のデカいことを
考えてやるか・・・  と。

しかし、ここでただひとつ問題なのは、その3年間寝て過ごす間の生活費をどうするかである。
当時の寝太郎さんが3年間も寝て過ごせるだけのお金持ちだったのかどうかは定かではないが、
仮に所帯持ちである今の私やクラッチが3年間もダラダラと寝て過ごせば、家族はおまんま
食いっぱぐれである。

キャッシングなどといった便利なものも世の中には存在しているが、そんなことをしてしまうと
歴史に名を残す前に嫁のグーパンが飛んできそうである。

更に3年もグータラ過ごして歴史に名を残す何かが思いつけば良いが、思いつかなかったら
どうだろう。偉人どころか、それでは本当にだめ親父である。

着眼点は良かったと思うのだが、今のご時世や私らの置かれている立場を考えると、
寝太郎さんみたいな生活は、なかなか難しそうだ。

隣でたくさん酒飲んで、幸せそうに寝ている永田を見ていると、所詮私らは楽しい酒飲んで
気持ちよく寝て、3年どころか次の日の昼位に起きて、2日酔いで頭抱えてる位の方が丁度良い
んだろうなと思った。
まぁ、そんなくだらないこと、クラッチと遅くまで語り合った一日でした。



僕らの〜街のヒーローは〜