第8話 フジテレビが、我々のバンドを取材にっ!?
あの頃の俺達には・・・
ショートホープにレスポールのギター、
少しだけ氷の入った、ウイスキーさえあればよかった。
落書きの教科書と、外ばかり見てる俺。
とにかくもう、学校や家には帰りたくなかった。
放課後は毎日のように、笑い声とため息の飽和したボーリング場で、ピンボールの
ハイスコアー競い合った。
金の無いときは、友人の家に入り浸った。
変化の無い毎日。
そんなうんざりとした生活に一筋の光を示してくれたのが、音楽だった。
いくつものバンドをかけもち、ギター、ベース、ドラム、なんでもこなした。
「女子にモテたい一心で。」
高校卒業と共に音楽は、ぱったりやめた。
元々才能が無かった上に、音楽をやり始めた理由が、
「女子にモテたいから。」
という不純な動機であれば、熱が冷めるのも早かった。
先日、今はもう取り壊されて跡形も無い、旧ボーリング場跡地を通りかかった。
もう二度と戻ることは出来ない青春時代の様々な思い出が、色鮮やかに蘇える。
時が流れ時代が変わっても、思い出が色あせることは無い。
ふと側を、ギターを重そうに抱える高校生が、チャリンコで通り過ぎる。
なんだか懐かしく、優しい気持ちになった。
「そういえば、俺達のバンド、1度だけテレビに出たっけ・・・」
今からもう15年も前の話。
その時私は、Xjapanのコピーバンドの、ドラムを担当していた。
文化祭を一ヵ月後に控えた我々の元に、当時ギター担当だったクラッチが
とんでもない情報を持ち込む。
クラッチ「文化祭をフジテレビが取材に来る!」
私「マジで? 俺達を取材に?」
クラッチ「そんなわけないやん。ナンチャンおばちゃんを取材に。」
今はもう、覚えている方も少ないかもしれないが、我々の通っていた高校の
近くのスーパーの魚屋に、「ウッチャンナンチャン」の南原さんに似ている
おばちゃんがいた。そのおばちゃんがフジテレビの「笑っていいとも!」に出演し、
当時、時の人となっていたのである。
(検索エンジンに検索をかけたが、発見できず・・・)
そのおばちゃんが文化祭に来ることになり、それをフジテレビの
朝のワイドショー(名前は忘れた)が取材に来るのである。
あわよくばテレビに映り、モテモテになってしまおうと考えるメンバー一同だった。
そして当日。
我々メンバーは、出番前の準備に大忙しで、学校内にテレビが来ていることなど
すっかり忘れていた。
ついに、本番の幕があがった。
もう、テレビのことなど、どうでも良かった。
ただ自分達の思いを、せめてここに集まってくれているみんなに、演奏で伝える
ことが出来れば。
当時から、超イケメンだったクラッチ効果か、会場は予想以上に観客が入り、
予想以上に盛り上がっていた。
そして、私の静かなピアノソロ(弾くフリ)から始まるバラードで、会場の盛り上がりは
ヒートアップ!
黄色い歓声はより大きくなり、もはやクライマックス!
って、・・・・
ここは静かに聞くべきはずの、バラードの演奏初め。
なのにこの盛り上がり・・・
ふと会場を見渡すと、テレビカメラとたくさんの野次馬を引き連れ、ナンチャン
おばちゃんが会場に見学に来てる・・・
まぁ、盛り上がってることに変わりはない。
ナンチャンおばちゃんも交え、
本日一番のみせどころ!
「サイレントジェラシー」のサビの部分を迎える。
「いくぞ〜!」 って・・・
あれだけたくさんいた観客が一斉に引いていった。
ナンチャンおばちゃんが、テレビカメラ、たくさんの野次馬に加え、元々居てくれていた
観客までを引き連れ、会場を出て行ったのだ。
一番盛り上がるはずべき所で、観客はぽつぽつ。
広い体育館に、むなしく響き渡る激しい音楽。
「みんな、そんなにテレビが好きなのか? そんなにテレビに映りたいのか?」
我々は、サンレントジェラシーという激しい曲を演奏しながら、
ナンチャンおばちゃんに静かに嫉妬するのであった。
後日、その放映を改めてテレビで見てみると、会場を後にしたナンチャン
おばちゃんと、レポーターのすぐ後ろで、野次馬を先導するかのようにアップで
テレビに映っている人物がいる。
先程まで会場の先頭で、ノリノリに踊ってくれていたはずの・・・
永田だった・・・
2006.08.23