D'Artagnan物語・三銃士U

フロンドの乱最終章T
フロンドの乱最終章T
マザラン枢機卿の逃亡後、 アンヌ・ドートリッシュはマザラン枢機卿の後を追って逃亡しようとしていた。
この件は、パリ市民がうすうす気がついていたために…
小説「三銃士・第4巻・24大司教補の馬車」に出てくる様に、デモ隊を王宮に引き入れて国王ルイ14世の寝顔をみせると言う有名な事件がおこる。但し、「三銃士」では高等法院のフロンドで登場している。

さて、暫く平穏無事に過ぎていたパリも1651年9月7日、ルイ14世が満13歳を迎え成人宣言をしたことで転機を迎えた。
これはコンデ公の裏工作の失敗を意味する。即ち、コンデ公は自分の実権を維持するためにルイ14世の成人宣言を阻止しようと画策していたからである。
コンデ公にとっては事態は、予想より悪い方に展開していった。もともと貴族とブルジョワ層との確執から、本来見方であったはずの高等法院が王権側に。その上王党派へ鞍替えするフロンド派が相次いだのである。
そこで、体制を立て直すためにコンデ公はパリを出て支持基盤であるボルドーまで下がった。

一方、コンデ公討伐軍としてパリを出た(アンヌ・ドートリッシュ率いる)国王軍はオレルアン公を身方に引き入れた上、「パリでは防衛に支障を来す」とのことでワチエに宮殿を遷しパリ防衛の前線基地とした。
ルイ14世は、ここでマザランの帰国を促しマザランが帰還する。(1652年1月30日)
…するとマザラン枢機卿に反感を持つ高等法院が離反し益々混沌とした様相を呈した。
ところが、国王軍には有能な将軍を欠いていたのである。これでは名将コンデ公に対して勝ち目はない。
1652年2月ポワチエPoitierの国王軍は得難い人材を確保する。即ち名将テュレンヌを引き入れることに成功したのである。

国王軍は、軍を二分し「オッカンクール」と「テュレンヌ」の二軍とした。
まず「テュレンヌ」は、ロワール川流域を確保しコンデ公を迎撃する。
一方、「オッカンクール」軍はコンデ公にあっさりと撃破され、「テュレンヌ」軍は逆にコンデ公軍を蹴散らすという戦果になった。
この間コンデ公軍は高等法院が反国王派に寝返ったとの情報を元に、パリに入城した。 
……ではその他のフロンド派貴族軍はというと、スペイン軍と合流し反乱貴族スペイン連合軍を形成し「エタンプ」に集結していたのである。
ところがこの反乱貴族スペイン連合軍は、テュレンヌ国王軍の奇襲に遭って大損害を被る。

6月中旬になると、貴族軍の身方としてロレーヌ公カール四世がフランスに侵入した。
それに対して、テュレンヌ国王軍は果敢に圧力をかけ不意をつかれたロレーヌ公は偽計のために、撤退を余儀なくされる。

この間にも「エタンプ」の貴族軍に合流するためコンデ公軍は移動中であり、すんでの所でロレーヌ公軍との合流を阻んだのであった。


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