嘘と嘘の中で
「これリク、こんな処で寝ていては風邪を引く。起きなさい。」
「う、・・・ん」
五月の爽やかな昼下がり。公園のベンチに3〜4歳くらいの子供がサッカーボールを小さな体いっぱいに抱えて船を漕ぎ出していた。隣に腰掛けていた老人はベンチから男の子が落ちないように右手で支えている。
遊び過ぎて疲れたのじゃな。
今まで感じた事もない愛おしさに目を細めてリクを眺めていたソウタロウの視界が翳った。視線を上げると、やや猫背気味の男、同年代だろうか、仕立ての良いスーツに身を包んで二人の側に立っていた。
何かが神経に障っていた。ソウタロウの顔は自然と険しくなった。
どこかで見た覚えがある・・・
多分、天流本社でだろう、ソウタロウは記憶を辿りながら周りに視線を走らせた。人数は目の前の男を入れて二人。少し離れた木立に顔見知りの姿を捉えた。吉川モンジュ。彼とは旧知の仲だ。天流内で気心の許せる数少ない存在だ。モンジュはソウタロウと一瞬視線が合うと苦そうな顔をした。
・・・彼の意思とは違う処で事が運んだのか。どうにも出来ない・・・だが。
ソウタロウは本社にリクの存在を内密にしていた。リクは宗家だ。天流に身を置ていながら隠蔽をした。あってはならない行為だ。何れ本社が乗り込んでくるだろうとは思っていたが案外早すぎた。腐っても鯛は鯛か、侮れんな。
厳しい表情のソウタロウに老人は嬉しそうに話かけた。
「可愛らしい御子さんですな。」
「・・・孫のリクです。」
どこまでも固いソウタロウを気にした様子もなく老人は上機嫌だった。
「ほぅリク殿と仰るのですか。大地の恩恵を受けた良い名ですなぁ。ただ、天流に連なる方々が使う名とは思えませんが。」
ソウタロウは覚悟を決めた。そちらがそうくるなら自分はどこまでもシラを切り通してやる。
「交通事故で亡くなった娘夫婦の忘れ形見です。この子には二人の分まで幸せに、幸せになって欲しいものです。」
ソウタロウは結婚をしていない。そんな相手もいなかった。無論娘など出来るわけもない。なのに自身も驚くようにスラスラと嘘が出た。
「・・・それは気の毒でしたなぁ。」
リクの素性を分かっていて敢えて老人はソウタロウの話に合わせているようだった。老人の目にはソウタロウにもたれ掛かってウツラウツラするリクの姿が映っていた。ソウタロウは目の前に立つ男を眺め上げながらリクの肩を持つ手に力を入れた。リクの寝息だけが聞こえる緊迫した無言の時間が流れた。
と、急に老人が一歩前に進み出たかと思うとソウタロウの視界が光に覆われた。
「何を?!」
ソウタロウの焦った声の横で光の中に文字が浮かび上がる。
“ 封”
光に慣れたソウタロウの目にはリクの額に“封”の文字の浮かぶ闘神符を当てている男の姿が映った。
「いったい何をした?!」
重ねてキツく問い正すソウタロウに男は切なそうに答えた。
「この御子は大変強い力をお持ちのようだ。このお年で、この波動・・・これではこの先、あらゆる意味で平穏には暮らせはしないでしょう・・・この子が自らの意思で闘神機を握るまで力を封印しておいた方が良いのではないかと思いましてな、勝手をさせて頂いた。事後承諾で申し訳ない。」
男は帽子を外し頭を下げた。ソウタロウは目を有らん限りに見開いた。本社がこの人物を直接送りつけてきたのだと思っていた。ソウタロウのレベルでは目通りも叶わない存在。遠巻きにしか見たことがない相手。天流の重鎮と呼ばれ小煩い連中でさえ一目置くような相手が何故、今リクの力を封印したのか。見逃してくれるというのか。裏があるのか・・・
「・・・何故、見逃してくださるのですか。」
「はて、可笑しな事を仰る。」
男はカラカラと笑った。
「この御子は貴殿の大事なお孫さんでしょう。その子を大事に思う貴殿の思いに力を貸しただけです・・・幸せになって欲しいのです。」
目が初めて合った気がした。言葉はなかったが、そこにはお互いの何かが流れた。ソウタロウには男が軽く頷いたように見えた。
「―――感謝致します。」
ソウタロウはただ、ただ頭を下げた。自然と下がった。思惑なんてどうでもいい。ソウタロウはリクの側にいてやりたかった。いや、ソウタロウがいたかったのだ。
男の後ろ姿を眺めながらソウタロウはリクの髪を梳いた。
お前の本当の幸せはなんじゃろうなぁ。勝手なじーさんですまんのぅ。
モンジュはこちらへ向かってきた男に話しかけた。
「・・宜しいのですか?」
「そのつもりで自ら出向いたんじゃがなぁ」
男は空を眺めながら溜息を漏らした。
「待って。待って待つだけ待って。漸くワシの代でお迎えする刻が訪れたのじゃが。」
あの二人を見ていたら自分達は誰の幸せの為に宗家を待っていたのか分からなくなっていた。
「今まで待ったんじゃ。今更、数年時間が先延ばしになっても堪えんよ。」
ソウタロウは宗家を、いやリクを大事にしている。傷付けるような事はしないだろう。危険がなければ今はいいではないか。
・・・自分はあの小さな命に魅入られたのかもしれない。愛おしいと思った。宗家としてか、一人の人間としてか。この世界に現れてくれた。生きていてくれた。もう、それだけで十分な気がした。
「モンジュ。」
普段から好々爺のような男の表情が一変した。モンジュは知っている。これがこの相手の本来の顔だ。
眼光に鋭い光が宿る。
「時が来るまで決して口外せぬように。」
「はい。」
言われるまでもない事だった。公私共に絶対に。
ベンチを振り返った二人の視界に寝入るリクを背負うソウタロウの姿が見えた。
終わり