無音の光
「リク」
その名を口にしながら体中を駆け巡った、あの感情は忘れられない。
京都駅の雑踏の中ヤクモはマサオミとリクを待ちながら、あの時の光景を思い出していた。
リクがコゲンタと契約を満了して数日後の事だった。冬の研ぎ澄まされた気配の中に春の息使いを感じる早朝、結界に強い気配が触れた。ヤクモは社殿の拭き掃除の手を止めて太白神社の境内へと出た。普段これだけの気配が結界に触れればすぐさま駆けつけるところだが今日は違う。相手はリク。事前に今日ここへ来る事を聞いていたし、この気を見間違うはずもなかった。
それにしても随分と早いな。リクらしいといえばリクらしいか。
境内へ出たヤクモの肌に澄んだ空気が触れる。冬と春の間の、人の気配が混ざる前の空が目の前に広がる。木々を照らす光は柔らかいのに空は人を試すように冷たい空気を孕んで、どこまでも青く高かった。光に慣れていない目を細め視線を上げた。ヤクモの目は、青く、高く、澄んだ空気を纏った少年を捉えた。少年は、リクは、背中にリュックを背負い真っ直ぐに立っていた。眼差しは何を思うのか遠くの町並みを映して動くことはない。
――― 綺麗だ ―――。
ヤクモは自分の中から出て来た言葉に意識を取られ声をかけるタイミングを失って目を細めた。
眩しかった。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。胸が高鳴る。見知っているはずのリクが眩しい。
こんな気を発する子だっただろうか。
人に対して初めて沸き起こった感情だった。人は其々独特の気を発している。魂の色とでもいうのだろうか、心の色や力をそれは現す。力強かったり、儚げだったり、高潔だったり、濁っていたり、刺すようなものだったり。
初めてリクと出会った時、何て不安定な気なのだろうかと思った。強いのかと思うと急に消えそうになる。心配になった。二度目に会った時は一本線が通ったような気を纏っていた。少し安心した。三度目は宗家と思わせる、しなやかで澄んだ力強さを醸し出していた。誇らしかった。会う度にリクは変わる。その度に軽い驚きに見舞われるが、こんな感情を巻き起こされる事はなかった。
光に触れてみたい。
それはヤクモが生まれて初めて味わった感情だった。音が消える。更に光が研ぎ澄まされる。感情がコントロール出来ない。突き上げてくる何かに揺さぶられる。
「リク!」
叫んでいた。あまりにも光が透明過ぎて、そのまま空に溶け込んでしまいそうだったから。
「ヤクモさん。」
ヤクモの声に振り向いたリクは纏う空気を柔らかくする。ヤクモと視線が合うと自然に微笑んだ。固まっていた足がリクの声に溶かされるようにぎこちなく一歩前に出た。一度動き出すと距離を埋めたくて駆け足になった。目の前にリクがいる。
「どうかしたんですか?」
いつもとは違うヤクモに不思議そうな目をしたリクが見上げてくる。息が乱れた。手を伸ばして腕を掴んでいた。
「リク」
「はい?」
自分の中から湧き起こる感情の荒ぶりで上手く言葉が出ない。伝えたい思いが今ココに渦巻いているのに。言葉を知らない。
「ヤクモさん?どうしたんですか?」
重ねて尋ねてくるリクに言葉が返えせない。真っ直ぐに見上げてくる視線に更に追い詰まれそうになる。
「まぁ!リク様!」
リクの気配を感知してナズナが嬉しそうな声を上げながら二人に駆け寄ってくる。
「ナズナちゃん!」
「お変わりございませんか?」
「うん。大丈夫・・・この間コゲンタと契約、満了したよ。」
「まぁ!!」
助かったのかもしれないとヤクモは思った。今、自分の中にある感情の正体を上手く言葉にする事が出来ない。二人の会話を遠くで聞きながらヤクモはリクを再び見ていた。
もっと見ていたいと思った。側にいたいと思った。知りたいと思った。手に入れたいと思った。汚したくないと思った。声を聞きたいと思った。
ヤクモの中を真っ直ぐに貫く思いが走り抜けた。ヤクモは大きく息を吸い込んだ。空は抜けるように青かった。
あの時感じた思いは今も変わらない。いや、より思いは強くなっている。
「ヤクモさん!マサオミさん!」
リクが人混みを掻き分けるようにやってくる姿が見えた。変わらない光。リクが光を自ら引き寄せているのか、光がリクに引き寄せられているのか。もし光がリクに引き寄せられているのなら自分も、その中の一つだとヤクモは思う。深闇の中で光る存在に群がる何かのように。近づきたくて止められない衝動に囚われる。
リクが駆け寄って来る。体温が上がる。呼吸が早くなる。眩しさに目が眩む。胸が高鳴った。ヤクモは隣に立つマサオミに気付かれないように深く息を吸い込んだ。
空は地上の熱を蓄えたように濃い蒼色になっていた。
終わり