迷 い 雨 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「 うわ!どうしたんだ?!ずぶ濡れじゃないか! 」
二人の帰りを待っていたマサオミはリクの姿に声を上げた。
「 ・・・すみません、マサオミさん。先にお風呂頂きます 」
「 あ、ああ、そうだな。温まった方がいい、もう沸いてるから 」
「 ありがとうございます 」
 マサオミは何も聞かなかった。いや、聞けなかったのかもしれない。いつものリクなら「お風呂頂いていいですか? 」と聞くだろうに今日は違っていたから。目線さえ一度も合わせなかったのだ。マサオミはこの場にいないヤクモの姿を思い浮かべ、リクの背中を見送り溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 リクは沸かしたての一番風呂の湯船に鼻のギリギリ下まで浸かった。冷え切った身体にじんわりと熱が浸みてくる。身体の中に熱が戻ってくると、先ほどのヤクモの顔が自然と浮かんできた。同時に涙が出そうになる。喉が震えた。
 もう嫌だ。
 あの時、本気でヤクモの傍に居たくなかった。だから逃げ出すように開いた道へ飛び込んでいた。自分という存在はヤクモにとっては弟のように大事で、宗家として守るべき相手、ただ、それだけなのかもしれない。
 いつも自分ばかりが熱くなっている。
その事実が酷く惨めで、口惜しくて、哀しい。

湯に浸かっているのに寒気がして思わず両腕で体を抱え込んだ。
 雨のせいだ・・・
何かのせいにしたくて急いで湯船から出たリクは身体をゴシゴシと洗い始めた。
きっと、雨が僕の中に入ってしまったから敢えて気付かないでいた想いに触れてしまったんだ。
そんな気がして雨を除こうと必至で身体を洗った。それで元に戻れる、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 風呂から上るとマサオミがインスタントココアを並々とマグカップに注いで待っていてくれた。甘いチョコレート味で肩の強張りが取れた気がする。ココアを飲む姿を見ながら何も聞かないマサオミにリクは逃げ出したい気分になった。居心地悪そうにしていると「すぐに夕飯の支度をするから待っていろ」と言われ一旦、自室へ戻った。途端、気が緩んだのかグラリと視界が揺らいだ。壁に凭れるようにしてズルズルとしゃがみ込んでしまう。
窓から見える雨を焦点の合わない目に移す。立ち上がろうとしたが酷い寒気に襲われ動けなくなった。頭痛がして頬が火照る。自分の感情も身体も上手く操れない未熟さが情けなかった。情けなくて涙が滲んだ。それからすぐに意識が遠退いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラガラという玄関の開閉音に、やっと帰って来たかとマサオミが顔を上げた。暫くすると暗い顔をしたヤクモが居間に姿を現した。
 まったく。お前がそんなで、どーするんだよ!
出来の悪い子供を持った気分でマサオミは軽く溜息をつく。
「 …リクは? 」
見るからに落ち込んだ顔をしてリク同様マサオミと目線を合わせないヤクモの、開口一番に出てくる名前に思わず苦笑した。
「 部屋でぶっ倒れて、熱出して寝込んでる 」
「 ・・・そうか 」
「 あのさ・・・ 」
いつもの精彩を欠いたヤクモに意を込めてマサオミが話を切り出した。
「 何があったかなんて野暮な事を聞く気はないけど。リクを泣かすなよ 」
「 ・・・分かってる 」
「 分かってる割にリク、泣いてたんだぜ?俺と目も合わせないし、何も言わないし、その上寝込むし 」
「 ・・・ 」
「 お前がさ。リクをどう思っていようが全然カンケーないけどさ。リクの気持ちは分かっているだろう?答えてやれないのなら思わせ振りな態度は慎めよ 」
マサオミの苦言に耳を傾けていたヤクモは苦そうに下を向いた。
「 ・・・苦手なんだ 」
ボソリと呟いた。
「 ・・・は? 」
話が繋がらず聞き返すマサオミにヤクモが急に勢いづいて顔を上げる。
「 例えば!蛇が苦手だとか、運動が苦手だとか、料理が苦手だとか誰にでもあるだろ?俺はたまたま“好き”だとか“嫌い”だとか、そういう感情のやり取りが苦手なんだ。だから、どうしていいのか・・・分からない・・・ 」
ヤクモの力の入ったピントの呆けた返答にマサオミはただ、ただ、口をあんぐりとするしかなかった。リクの風邪が移ったのだろうか。妙な頭痛を覚えた。痛むこめかみを押さえながらマサオミは思う。
リク、こいつは止めておけ・・・

 

 

 

 

 

 

 雨の音がしていた。
喉が痛いほど渇いている。眠りは浅く、渇きを何度も感じた。頭が朦朧としていて今、眠っているのか、目覚めているのかもはっきりと分らない意識の中、リクのすぐ目の前にヤクモがいた。

気遣うように投げ出されたリクの腕を布団へ戻し、難しそうな顔で額の熱を測る。
ヤクモの体温が、掴まれた腕からじんと伝わってくる。
額に触れた手から温もりが宿る。
ただそれだけの事なのに心が震えた。触れられたところから想いが身体中に広がって、その気持ち良さに目を閉じるとヤクモの指がリクの頭を愛しむように撫でた。宥めるような緩やかな手の動きは限りなく優しくて呼吸が自然と落ち着いて眠りへと誘う。
「 リク? 」
意識ははっきりとせず名前を呼ばれただけなのに心臓が跳ねる。ヤクモを捉えたくて返事をしたいのにリクの内に入った薬の成分が確実に強制的な眠りへとリクを連れて行こうとする。意識を保つことが出来ない・・・
 ― 眠りたくない・・・
リクは強く願った。眠ってしまったら、この幸せな時間は夢のように終わって存在しなかったかのような扱いになるから。そんな予感がするから。だからこの身体を満たす幸福感は優しい眠りへと誘うのではなく今、この瞬間の時を繋ぎ止めてくれる手段になればいいのにと。
瞼がとても重く、呼吸が緩慢になっていく。傍にいるヤクモを感じる感覚が朧げで、それが切ない。
― 嫌だ。今、伝えたいのに
薬に溶かされていく身体に抵抗するようにリクはヤクモへと手を伸ばした。その手をギュッと握り返す感覚に安心した途端、意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 リクの手を握り締めたヤクモは熱に浮かされる寝顔を見つめていた。
 きっと、ばれたら又、嫌われるな・・・
苦笑しながら己の気力をリクへと注ぎ込む。最近のリクはよくヤクモの手を拒絶するようになっていた。何故、そんな事になったのか理由は分からない。先日も妖怪封印作業の際、妖怪の攻撃からリクを庇おうとするヤクモに否を唱えた。本社へ赴く際に一緒に行くと申し出ても首を横に振る。意地になって必至に一人で立とうとしているようで。その姿が返って危なっかしくて手を出そうとするヤクモに怒ったような顔をする。もちろん一人ではどうする事も出来なくて最終的にはヤクモの力を必要とするのだが。そんな時リクは酷く傷ついた顔をするのだ。
 どうして俺を拒む・・・?
今、己の中で蠢く感情に名前があるのかなんて分らないけれど。
 俺はリクを助けたい。リクを守ってやりたい。リクの傍にいたい。
その想いの何がリクを苛立たせているのか分からない。
 リクに拒絶されたくない。
さっき、この手を振り払われた時、衝撃で身動き出来なかった・・・

「 リク 」
名前を呼んだ。トクリと胸の中に何かが落ちる。狂おしいほど愛しいと感じる。泣かすような事はしたくない。リクを悲しませる現実も、リクが心を痛める事もないように、そんな全てから守ってやりたい。だが、今、リクを傷つけているのは紛れもなく自分自身のようで、その現実に戸惑ってしまう。
俺は多分リクが好きなんだろう。ただ、それが父・モンジュやイヅナ、ナズナそんな身近な人達を大事に感じる好きとはまるで違う気がする。
 未完成な肉体と魂と運命を背負って目の前に現れた存在。足掻き、傷つき、それでも前に向かおうと涙を耐える。そんなリクに狂おしいほど惹かれる。大事で、守りたくて、愛おしくて、抱きしめたくて、いつも触れていたいと思う。その感触を、眼差しを、視線の先にあるものを捉えたいと思う。もし、この感情の高ぶりをリクが望むままにぶつけてしまったら、壊してしまいそうで、失ってしまいそうで不安になるのだ。

 俺はどうすればいい。
ヤクモは止まらない想いの中でリクの手を握り締めることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 リクが再び目を覚まし外を見ると雨はスッカリ止んで窓からは朝の淡い光が差し込んでいた。フッと視界の隅に何かの影が混ざる。ダルさの残る身体を起こしてみると足を投げ出し壁に凭れて寝入るヤクモの姿だった。
 ずっとついててくれたんだ・・・
胸の中に熱いものが込み上げてきた。離れると不安で、一緒にいると息が苦しくてヤクモへの持て余す感情にいつも振り回されてばかりなのに、こんな風に胸を熱くしてくれるのは、自分を満たしてくれるのはヤクモだけなんだと痛感する。他の誰でも決して与えてくれないモノをくれるのだ。ヤクモだけが与えてくれる。なんて勝手な心、なんて勝手な真実。
 目の前に突きつけられた真実にリクは急に可笑しくなって自嘲めいた笑いを顔に張り付けた。
 そんな事に気付いたって仕方がないじゃないか。
リクの顔からはゆっくりと笑みがなくなり、酷く苦しそうに俯いた。
 相手にもされない想いなら、そんなものには鍵をかけてしまおう。こんな中途半端な状態で置かれ続けるのは辛いから。叶わない想いが目覚めないように・・・
 リクは縋り付くような瞳でヤクモを見つめた。声に出せない想いは行き場を失って縋り付くように自らの手をただ強く握りしめるばかりだった。
 
 

 

 

 

 

 明け切らない闇の中、鳥が小さく囀り、山の稜線がほんのり明るなる。空と山を別けるように光が差し込んでくる。空は黒から薄紫へ、そして淡い青へと色を変え始めていた。雨が降った翌日は思いがけないほど美しい朝を連れてくる。

 

 

 

 

 「おっ。目が覚めた?気分はどうだ? 」
リクの様子を見にマサオミが部屋へと入ってくる。
「 おかげさまで、もう大丈夫です。すみません迷惑かけてしまって・・・ 」
「 たまにはそんな事もあるさ。大丈夫そうなら何か胃に入れた方がいいんだけど 」
「 少しくらいなら・・・ 」
「 じゃあ用意してくるから・・・と、 」
台所へと向きを変えたマサオミの視界に気持ちよさそうに寝入るヤクモの姿が映った。マサオミはツカツカと遠慮のない足取りで歩み寄りヤクモの頬を思いっきり両方から引っ張った。
「 いっ!! 」
声にならない悲鳴を発し目を覚ましたヤクモを横目で見やりながらマサオミが言った。
「 なに吞気に寝こけてるんだ。朝飯の用意、手伝えよ 」
「 あ、ああ 」
マサオミに促されて立ち上がりかけたヤクモの視線は自然とリクへと向かう。二人の目がぴったりと合った。
 ― 鍵をかけてしまえば楽になれるから
僅かの逡巡の後、リクはゆっくりと肩の力を抜いた。

「 おはようございます、ヤクモさん 」
「 うん。おはようリク 」
二人はお互いの熱を隠すように静かに微笑みあった。

 

 

 

 

 リクが振り向いた窓の向こうの空は益々青さを増していき明るさを際立たせていた。やけに鮮明でいつもの風景と違って見えた。

 

 

 

 

                              終わり