〜 万葉、華しるべ 〜
例年よりも遅咲きだった金木犀の花が昨夜の雨で一斉に落ち、地面を鮮やかな色に覆っていた。
モンジュは金木犀の花に染まる地面を掃きながら、あの人なら綺麗だからそのままにしておいてよと、言うだろうと簡単に想像できて一人で笑いを漏らした。
とはいえ墓参りに来て掃除をしないのもどうかと思うので墓石にすまなそうにチラリと視線を送り、ゆっくりと花弁を掃き出した。
それはまるで、その場にいる時間を少しでも引き延ばすかのようでいて、また、その場に留まることを楽しんでいるかのように見えた。
普段のモンジュを知っている者なら不思議に思えるほど、緊張感のない、のほほんとした所作だった。
金木犀の花を集めた後、モンジュは同じような動作で墓石を磨き、榊を挿し、米と塩を墓前に供えて二礼二拍手一礼の後、墓石を見つめたまま中にいる彼女とゆっくりと向き合った。
モンジュの妻、カヨはヤクモを産んですぐにこの世の人でなくなった。術士でもない一般人だったが、名前の通りやたらと目立つ派手な女性だった。
派手とはいっても容姿やファッションのことではなく命の輝きが派手だったのだ。比喩ではなく、カヨの持つ命の息吹に惹かれるように人が集まり、彼女のいる場所は常に賑わい活気づいていた。
初めてカヨに出会った時、モンジュは彼女から迸る気の勢いの、あまりの凄まじさに驚愕し呆気に取られ声を失った。こんなに派手な命があるのだと度肝を抜かれたのを今でもはっきりと思い返す事ができる。あれほどの命の輝きに出逢ったのは、あれが最初で最後ではないかと思える。
そして同時に一目惚れというのが実際にあるのだと実感できた瞬間でもあった。彼女自身の生命力の輝きをそのまま形にしたような、強い意志を宿した瞳に見つめられると、いつだって彼女の瞳に映っていたいと切望したくなる、そんな存在だった。
当時すでに天流闘神士の中でも一目置かれる立場になっていたモンジュだったが、実は小さな事に一々悩む繊細な面があった。しかし、そんなモンジュの悩みはカヨの「 大丈夫や! 」という元気な声で簡単に大丈夫になった。
閉鎖された一族の中で生きてきたモンジュにとって、カヨの放つ、そんな一つ一つの小さな奇跡は世界を明るくし自分の生れた世界を初めて美しいと感じさせてくれた。
一方、カヨにとってもモンジュは今まで彼女が生きてきた時間の中で初めて目の離せない相手だった。どんな偶然が働くのかカヨの周りには世間的に立派な人間や、人生に成功した人間か、これから将来を有望視されるような優秀な人材ばかりが集まっていた。そんな中、自分の意志や意見を思うように声に出せず、かといって人生に折り合いが付けられず不器用に生きて損ばかりして生きるモンジュの姿に釘づけになった。
世間で素晴らしいと称賛されるようなことを沢山する周囲の人達。かたやモンジュは迷子の女の子の親を探して誘拐犯に間違われたり、触っただけで病気が移りそうな野良犬の怪我を治す治療費の為に友人にお金を借りたり、通りがかりのお婆さんがドブに落とした落し物を拾うのにヘドロだらけになったりと、そんな呆れるのやら情けないという感じでお世辞にもカッコよくはなかった。それなのにそんな時に見せるモンジュの温かみのある笑顔はカヨの心を鷲掴みにしたのだ。
そんな二人は、当たり前のように付き合い出し、当たり前のように結婚していた。天流内では四家五官の一族に連なる者が天流の忘脈にさえ関わりのない一般人と血縁関係を持つということに反対する意見が大半だった。 かってそんな価値観で生きてきたモンジュだったがカヨと出会って彼の中の何かが確かに大きく変化していて二人を隔てる障害にさえなりはしなかった。
周囲の雑音も気にならないほどの理想的な相手に恵まれた二人だったが、しかし決定的な別れが二人を襲った。
カヨが子供を身籠ったのだ。
衝撃が二人を襲った。本来ならば喜ばれる妻の妊娠は二人を苦悩させた。何故ならば何の力もない一般人が四家五官の中でも群を抜く力を持つモンジュの子を身籠ったからだ。
闘神士の子供を産むということは、世間の人が出産するということほど簡単なことではない。もし仮に闘神士として能力の高い子供を身籠ってしまった場合、宿った命は母体となる人間の気を恐ろしいほどに消耗させる。母体自身の術士としての能力が高ければ何の問題はないが母親の能力が低い場合、妊娠から出産までの間に命をかけることとなる。
巧くすれば母子ともに助かるが子供と母親の能力の違いによって大抵はどちらかが命を落とし、最悪の場合、両者とも助からない。
カヨの場合、五体満足だったが宿った命の能力があまりにも高過ぎた。
天流内では殆どの者が両者とも助からないだろうと噂し、一般人を伴侶に迎えたモンジュの浅知恵を嘲笑った。
ところが周囲の好奇な目に晒されながらもカヨのお腹は順調に大きくなり、闘神士として羨望の眼差しを受ける能力を宿す子供は無事に生れた。
しかし。
それから間もなくカヨの命の火が消えた。
「 モンジュ・・・?どうしてそんなに泣くん? 」
最愛の妻の周囲に根を下ろしつつある死はかって輝くように健康だった、彼女の顔色を土気色に変えていた。
生気を失った指。
乾いた唇。
艶を無くした髪。
彼女の全てから命を感じることが出来ず我慢しようとしても勝手に流れる涙をモンジュは止めることができずにいた。
「 ・・・いや、おまえ、きっと・・・随分、体が辛いだろうと思って。なのに俺は何もしてやれなくて・・・この命さえあげることができないと思ったら・・・情けなくなって・・・ 」
絞り出すように言葉を紡ぐ、そんなモンジュの頬に手を伸ばしてカヨは微笑んだ。
「 相変わらず、優しいねぇ・・・ 」
モンジュは自分の頬に添えられた血の気の失せた手をカヨの命を必死に留めるかの如くギュっと掴んで握った。
カヨはもう力の入らなくなった指に、それでも渾身の力を注いでモンジュの気持ちに応えようとした。
「 モンジュ 」
カヨがモンジュを静かに見つめた。生気は失せているはずの瞳は、しかしかって光輝いていた時と同じにモンジュを真っ直ぐに見つめる。
「 ・・・人は誰かが死ぬとどうして泣くんだと思う?・・・きっと人はねぇ、その相手と一緒に過ごした時間が長ければ長いほど相手の心と心が重なって離れられなくなってるから死別する時は痛くて泣くんよ・・・うちら、一番長くいたから、きっとぎょうさん涙が出るんちゃうかな・・・ 」
モンジュは目の前で流れ出す命を止めることが出来ず握りしめるカヨの手に更に力を込めて嗚咽を漏らした。
「 おまえ、まだ、こんなに温かいじゃないか。そんなに早く逝くなよ・・・もう少し待ってくれ。まだ、まだ一緒にいたいんだよ・・・ 」
顔をグチャグチャにして泣き出すモンジュにカヨは澄んだ瞳を向けた。
「 ・・・無理なことは言わんのよ 」
モンジュを諭すように言う妻へ、どう返事をすればいいのかモンジュは言葉に詰まった。
カヨが好きだ。
あの輝くように美しい命。竹を割ったかのような性格。しなやかに動く体。迸る笑顔。もっと一緒にいたい。一緒に怒ったり笑ったり、色々な場所へ行って、色々なことを感じて、色々な物を食べて、抱きしめて、一緒に年を取って、もっと一緒に。
それは大それた願いではないはずだ。名誉もお金も闘神士としての力だって何も要らない。ただ、一緒にいたいだけなのに。何故カヨの命が消えるのか、何がいけないのか、どうすればいいのか・・・。
モンジュは己の中で渦巻く想いを言葉にすることはできなかった。カヨは自身の左手を握りしめるモンジュの両手に右手を静かに添えた。それしか出来なかった。
「 カヨ 」
モンジュは妻の名前を精一杯の優しさで呼びかけた。
「 俺が、そっちに行くまで少し待っていて欲しい。そうしたら・・・向こうでもう一回、結婚式をあげような 」
相変わらず不器用な言葉だったが、その意味は痛いほど伝わってカヨは嬉しそうに笑った。
「 大丈夫や 」
カヨの久しぶりに聞く力強い言葉にモンジュは反射的に顔をあげた。
「 ”万葉華しるべ”っていってな、万世の時間、ぎょうさんの葉っぱのがあっても二枚の葉っぱは導かれるように出会えるって話があるんや。うちらはきっと、それやわ。でも暫くはモンジュはこっち側から、うちは向こう側からヤクモの華しるべになって、あの子を大きくせなあかん。それが終わったら・・・ 」
カヨは全ての言葉を言いきる前に言葉を詰まらせた。
死になくない、愛おしい二人を残して逝きたくはない、ヤクモの成長した姿を見たい、モンジュにもっと抱きしめられていたい、ヤクモはどんな風に言葉を発するのだろう、そんな我が子をモンジュはどんなふうに見守るのだろう・・・
どれも見えるような気がしたが想像すればするほど、言い知れない焦燥に襲われた。
「 ・・・俺はヤクモの次なのか? 」
暗い穴に沈みそうになるカヨをモンジュの的外れな声が引き止めた。
「 アホやねぇ・・・息子に嫉妬してどないすんの 」
大丈夫だとカヨは感じた。死が自分を覆っても側にモンジュがいれば暗い方へ行くことはない、そんな確信がした。
「 モンジュ 」
カヨが、真っ直ぐにモンジュを捉えて言った。
「 愛してる。それから、ごめん・・先に逝くわ 」
「 ヨシゾウさん、父さんを知らない? 」
新太白神社の境内を掃除する好々爺にヤクモが大きな声で呼びかけた。
ヨシゾウは代々、吉川家へ仕える一族の長老だ。今は術士としての能力を失って久しい家系だが妖怪退治や何がしかの戦いで生じる事後処理や情報収集といった吉川家が最も不得意とする分野を支えてくれている。
現在は高齢の為、今年社会人となった孫が主体として活躍の場を広げてはいるが新太白神社の掃除は絶対に自分の仕事として誰にも譲ろうとはしない。もちろん普段はヤクモやイヅナ、ナズナが主に神社のことは取り行っているのだが、奈何せん闘神士としての仕事で手が回らない時には大変ありがたい存在である。そして相当な無茶をやっていたという若かりし日のモンジュを知る貴重な人物であり、その当時の情報を仕入れることができる数少ない貴重な存在でもあった。
「 モンジュ様ならば奥様のお墓参りに行かはりましたよ 」
「 え?!今年の命日こそは家族でお参りしようって言っておいたのに! 」
「 御子息には知られとうない御夫婦だけの積もるお話がおますのとちゃいますか? 」
「 知られたくないって、どんな話をしてるんだか・・・ったく、いつまでたっても子供っぽいことするよな父さんも 」
常のモンジュは息子のヤクモから見ても尊敬できる自慢の父親なのだが、年に数回、妙に子供っぽいことをする日があった。その中の一日が妻の命日だ。
本来ならば息子のヤクモを伴って妻の墓の前で何がしかの話をするものだろうがカヨが絡むと息子のヤクモにでさえ嫉妬をすることがあり、親子で墓参りをしようものならばカヨが自分ではなくヤクモばかりを見ているような気がすると暫く機嫌が悪くなるのだ。そんな自覚症状はモンジュ自身にもあったものだから命日は勝手に夫婦水入らずをやって見せる事がしばしばだった。
そんな父親にヤクモはといえば自分の入れない父親の一面にどうにか絡もうとして益々モンジュに邪険にされてしまうのだ。
ヨシゾウはそんなヤクモを横目で見やりながら深い溜息を吐いた。
「 ご自覚があらしまへんのやろうけど、その子供っぽいところに坊(ぼん)は、よう似てはりますで。奥様が心配されはったとこどすわ 」
図星を指されて言葉を詰まらせたヤクモだったが、更に気になった言葉に噛みついた。
「 その”坊”っていうの、いい加減やめてくれないかい?もう、そんな年じゃないし、この間、どれだけ笑われたか・・・! 」
その時のことを思い出してヤクモは何とも情けない気分になった。
先日、たまたまリクが新太白神社に遊びに来ていた時にヨシゾウと鉢合わせした。そこでヨシゾウがヤクモを「坊」と呼ぶのを聞いたリクは、もともと大きな瞳を、その時はドングリ眼にして「 ヤクモさんって”坊”って呼ばれているんですか? 」と驚き、あろうことか「 可愛いですね 」と物凄い秘密を知ったかのように暫く笑い続けたのだった。
命をかけて守ると豪語している相手に「 可愛い 」などと言われては男の沽券に係るというものだ。あれから事あるごとにヨシゾウに止めろと言っているのだがヨシゾウは「 坊は坊ですやろう今更どうお呼びしろいいますのや 」と取り合おうとしない。
「 ヨシゾウさん、だから、もっと、こう言い方っていうのはいくらでもあるんじゃないかって・・・ 」
「 朝から境内で大きな声を出して何を騒いでいるんだ? 」
ヨシゾウにジャレつくヤクモに墓参りから帰ったモンジュが声をかけた。
「 あ!父さんお帰り 」
「 モンジュ様お帰りなさいませ。恙無く終わらはったようで何よりでございます 」
夫婦の絆に心遣いを見せるヨシゾウにモンジュは深く肯いた。
「 父さん。また一人で行ったね・・・ 」
ジッと、ねめつけるヤクモの視線にモンジュは乾いた笑いを漏らした。その脳裏には、ここまで立派に育った息子を見たカヨがヤクモを褒めちぎる姿が容易に想像できてムッとしたのだとは口が裂けても言えないなという誤魔化し笑いが含まれていた。
そんな親子を風が優しく吹き上げた。
風の中に今は散ってしまった金木犀の匂いを感じてモンジュは心から優しく微笑んだ。
終わり