後期高齢者医療制度について
「社会保障を考える会」の学習会報告
前回までの「後期高齢者医療制度」学習会での話し合いをまとめてみた。これまでの学習活動通じ医療危機に対抗する運動への関心を高めたい。
まず2008年4月1日から実施された「後期高齢者医療制度」を概括すると、「姥捨山保険」と批難されるこの制度は、2006年5月に小泉政権の下で成立したものであることを確認したい。前年の「郵政民営化選挙」の小泉劇場に酔いしれている間に強行採決され、その後、この制度に対する具体的な報道もなかったことから、唐突に実施されたような気がするが、正しくは中曽根政権下から続く民営化、正社員から派遣への雇用の転換、社会保障切捨てなど一連の新自由主義改革の線上にあり、決して国民の側に立った制度ではなく周到な準備の下に実施されたという点を見過ごしてはならない。また、相次ぐ「診療報酬のマイナス改定」で医療現場は砂漠化しているが、「後期高齢者医療制度」による患者負担を増加させながら今回もまた、総枠0.82%の医療費削減も目されており、医療者側に立ったものでもないということも明白である。医師不足、救急患者のたらい回しなど「医療崩壊」が叫ばれるが、マイナス改定が続いたことも大きな要因の1つである。医療者側の問題は別の機会に譲り、今回実施された後期高齢者医療制度について以下の5点に絞って考えてみたい。
第1点
75歳の誕生日で、例外なく都道府県を単位とする広域連合が保険者となる「後期高齢者医療制度」にすべての人が加入しなければならない。健康保険、共済保険の扶養家族であった人も強制的に抜けさせられ、個人として「後期高齢者医療制度」に加入させられる。世帯主と配偶者のふたり暮らしで、世帯主が「後期高齢者医療制度」に入った場合、配偶者が75歳未満であれば、配偶者は「市町村国民健康保険」に入らなければならなくなる。当然保険料は双方への負担となる。
第2点
(ア)
生活保護を受給されている場合などを除き、年金額1万5千円以上の人は、年金からの天引きで保険料を負担しなければならない。保険料は各広域連合で異なるが平均月6千円とされ、介護保険料と合わせると生活の危機が生じかねない。また「分納」は認められず滞納には次に記すがペナルティがある。
(イ)
65〜74歳の人で、寝たきりや障がいのある人も、2008年3月31日まで措置されていた自治体の助成を受けられなくなるということが危惧され、「後期高齢者保険」に加入しなければならない事態も発生している。例えば、大阪府の現在の助成は、1回500円1ヶ月2回までの窓口負担で済むようになっている。また、8月までの暫定予算では、「後期高齢者医療制度」への加入の有無に関わらず助成を受けられるが、橋下知事は、暫定予算後はその助成のカットを企図している。他府県では、助成が受けられる条件に「後期高齢者医療制度」への加入も条例で定めている自治体もある。
(ウ)
健保組合、共済組合の扶養家族になっている人は今回凍結されているが、2010年からは、本来の保険料となる。(現在の対象者15%=1300万人)
第3点
(ア)
保険料は高齢者個人の所得でなく、世帯全体の所得が基準となる。このため世帯に所得があれば、高齢者本人の如何に関わらず、保険料の均等割りの減免はない。極端な例では、年金が1万円しかなくても、世帯主(高齢者本人の子どもなど)に相応の所得があれば、仮に保険料が6千円ならその額を納める必要がある。
(イ)
これまで市町村国保保険料1年滞納者には「資格証明書」を発行し、窓口で10割りを負担させ、後日還付するという制度だったが、2008年3月31日までは75歳以上の人から保険証を取り上げることはなかった。しかし「後期高齢者保険」では、その例外条項はなくなって他と同等の措置が取られ、1年滞納で「資格証明書」、さらに半年滞納が続くと給付停止となる。全国保険医連合会の調査によると、滞納をよぎなくされ「資格証明書」で受診している人は「資格証明書扱い」となった人の2%にしか過ぎず、また、全民主医療連合会の報告では、資格証明書となったことから本人の「受診抑制」が生じ、2005〜2007年の間に少なくとも29人の人が亡くなっているとされる。つまり、保険証がなくなった時点で、ほぼ医療が受けられなくなるということである。一方、市町村国保においても「特殊事情を勘案する」ことになってはいるものの、ほとんど認められていないのが実態とされ、こうしたことから今後とも後期高齢者への配慮は期待できないのが実情と思われる。
第4点
病気予防のための健康診断も受けられなくなる。現在40歳以上の人の健診は、自治体の「実施義務」だったが、75歳以上の人への健診は「努力義務」となり、広域連合体の判断に任されている。「生活習慣の改善による疾病の予防効果が期待でない」(厚生労働省)と、高血圧や糖尿病患者は健診から除外するよう求められ、健常者のみの健診を実施するという事態になっている。4月10日に開かれた参院厚生労働委員会で小池晃議員の質問から、徳島県では過去1年間の受診歴に「むし歯の治療を受けた」だけでも健診は受けられず、実質対象者の3%のみに健診が実施されるという事実が判明している。
第5点
診療報酬の改定で「後期高齢者医療制度」に関係して見られるものとして、次の項目が新しく設定された。
(ア)
後期高齢者退院調整加算;長期入院を減らすため、退院が難しい高齢者を「退院支援計画書」を作成し退院させた場合、「病院への支払いを千円だけ増やします」ということである。長期入院させず退院させ「病院でなく在宅で療養させよ」ということだが、現行でさえ病院、医師、家庭との連携に対する医療環境や設備面、家庭の費用負担への助成、医師の労働対価としての診療報酬への対処など、予算措置の不備を含めると「在宅で療養させる」ことはほとんど不可能である。それにも関わらず政府は、2012年までに長期入院のためのベッドを23万床減らす計画を進めている。「高齢者の長期入院が医療費を押し上げている」というのが政府の判断だが、このままだと4年後には入院すべき患者のベッドさえなくなってしまっていることが予想される。一方、退院を強制された独居の高齢者は一体誰がどこで面倒を見るのだろうか。
(イ)
後期高齢者終末期相談支援料;回復が見込むことが難しいと判断した場合、医師と患者・家族と終末期の診療を話した時、2千円が支払われる。治療中止の強制となる可能性がある。この終末期に関しては、高齢者のみに適用となる。言葉は悪いが言わせてもらうと、「遅かれ早かれ死ぬのだから、そんな人に医療費を回すのは無駄だ」ということだろうか。
(ウ)
後期高齢者診察料;75歳以上の人にどのような治療をしようが6千円までしか医師は支払いを受けることができない診察料の定額制が、診療所の選択する制度ではあるが実施される。患者側の負担は600円で済む。糖尿病、高血圧症、認知症など対象が15ほどの疾患に関し患者との同意があれば、この制度が適用される。ただ、血液検査、心電図などの検査を行い診療すれば6千円の額はすぐに超えてしまう。十分な診療を行うと6千円では赤字になり、診療所側の経営は成り立たず結果的に医師側の治療行為が抑制されてしまう恐れがある。つまり最初から「十分な治療は受けられない」ことを前提としているようなものだ。一見すると、定額で自己負担を減少させたように思えるが、これまで通りの診療を続けるとすれば、診療所側が実際に選択し得ない制度である。また仮に定額制に同意し受診すれば、他院で受診はできない。
この制度を選ばなければ、1割負担で治療を受けることになる。ただ、70〜74歳が4月1日から2割負担になったことを思えば、早々に2割負担に上がることが予想される。病気に対し相応の治療を受けようとすれば、かなりの自己負担増になった。そのうえ、高齢者で2割負担に耐えられる人が果たしてどれだけいると、政府は試算しているのだろうか。
以上制度から概括したが、この制度は医療受給する高齢者にも医療提供者にも、なんのメリットもないものと言わざるを得ない。「高齢者は死に近いから、手厚く医療を受けさせる必要はない」と言わんばかりの制度である。言い替えれば「長生きしたいなら自分で金銭手当てをしろ」というものだ。75歳を越した高齢者の人に政府は、どこから負担を引き出せと言うのか。
今回の医療改悪も1996年の当時の橋本内閣が打ち出した「6大改革構想」を、小泉前首相が「小泉構造改革」に焼き直したもので、「医療と福祉の切捨て」「自己責任論」の制度に他ならない。こうした構造改革の核心には「国の責任を個人に転嫁し、さらに医療保険を民間保険へ移行させよう」とする、政府・財界が一体となった思惑が見え隠れする。政府にとって高齢者に限らず国民の生命を守るのは、憲法で命じられている最大の責任の1つであり、今度の制度改悪は日本国憲法を真っ向から否定するようなものだ。全国各地500を超える地方議会が、制度の見直しや中止を求める意見書や請願を採択しているが、わたしたちもこの動きに賛同し、いのちを守る運動を広めなければならない。
地方議会が中止や見直しを求め、それに応じようとしない広域連合があれば、それらの自治体と乖離した存在であることを自ら認めることになる。それならば「広域連合」の方を考え直さなければなるまい。
最後に、いまさらながらマスコミが今度の制度の批判らしきことを報道しているが、この法案を国会で審議していたとき報道機関各社は「小泉劇場」を煽る報道ばかりが目立ち、肝心の今回の制度に関し問題点についてほとんど報道しなかった。当時の各社の報道姿勢は、結果として問題点を隠蔽したことと同じではなかったか。広く国民生活に直結する「後期高齢者医療制度」に関しジャーナリズムの責任は重いと思う。今回の医療改悪を通じ、マスコミ報道のあり方を問い直すきっかけにしたい。