発端は米国産輸入牛肉問題
韓国では李明博氏が新しく大統領に就任し3ヶ月が過ぎようとしている5月2日、ソウル市内で政府の米国産輸入牛肉への対応に抗議する大規模な集会が開催され、これを契機に同国の政治情勢が大きく動揺している。
日本の国民の多くは新聞報道やテレビなどを通じ海外の情報を得ているのが一般的で、隣国の情報とて同様だ。その限りにおいて4月9日に実施された韓国の国政選挙結果では、李大統領の与党ナンナラ党が過半数を確保したことから、政権運営の安定化によって建設会社の経営手腕を活かした李氏の「実用主義」政策が加速されるものと、日本の国民の多くがそう思っていたはずだ。ところが韓国の庶民感覚はそうではなかった。同国では07年10月に発覚した米国産牛肉のBSE問題から輸入停止措置を行っているが、4月19日に開かれた米韓首脳会談で李大統領は早期の制限撤廃を表明した。
集会参加者が全国で100万人
5月31日、ソウル市庁前で開かれた集会では韓国政府の輸入再開する流れに抗議するもので、警察発表でも4万人もの市民が集まったことから日本の報道各社も取り上げるようになり、筆者自身もニュースを見てびっくりした。ところが驚いたのは筆者だけでなかった。韓国政府は6月2日になって輸入再開の延期を決め、10日には問題の収拾を図るため内閣が総辞職した。話しはここで終わらない。何とこの日が1987年の「民主化宣言」を記念する国民集会と重なったこともあって、ソウル市内で開かれた集会会場は、周辺道路にまであふれ出た10万人もの参加者を撮影した新聞報道を見てもう一度驚いた。この日は韓国全土で100万人が参加したという。日本でも米国産輸入牛肉で同様のBSE問題が発生したが、規模は別にしても抗議集会を開いたという情報も聞かない。これほどの差は日韓の国民性の違いだけで整理できるものではない。
6年目の日韓労働者集会に参加
いったいどうなっているのか?と訳が分からない状態のとき、韓国の労働者が来日し交流集会を開くと聞き、6月14日に神戸市垂水区の集会に参加した。11月に開催される韓国労働者大会に合わせ、「韓国労働運動に学ぶための青年の旅」を2002年から毎年、新社会党も加わり実行委員会として取り組んでいる。その延長として今回、韓国から3人の労働者をゲストとして招き東京と兵庫の2箇所で交流集会が開かれた。
この日の集会でも、今回の一連の李政権批判が話題の中心となった。その中で同国の政治勢力地図が、「保守」と「進歩」に二分した軍事政権時代からの発想を改めないと、現在の実情を理解できないことがよく分かった。87年の「民主化宣言」以降、とりわけ97年に政権奪取した当時の金大中(キム・デジュン)大統領と、その政策を継続した盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権の南北融和のための「太陽政策」を、日本の70年代に大阪や東京などの革新知事が進めた政策と混同してはならないことだった。
韓国が大きく転換したのは97年にアジア各国を襲った「金融危機」だった。このとき旧来の支配勢力は対応できず、新たに発足した金大中政権は、国際通貨基金(IMF)が進める緊縮財政の新自由主義政策で経済回復を図ろうした。サプライサイド(供給側重視=企業競争力の回復)を強化するため、総額人件費の抑制=非正規社員の増加とグローバル化に対応できる人材の育成強化など、当時の金大中政権はそれまでの旧来型の経済政策から大きく転換した。今日、同国の非正規社員の比率が日本より高かったり、インターネットの普及率を含め英語教育に熱心なのは、こうした経済政策を転換した反映でもあろう。
14日の交流集会でも韓国の3人のゲストは「今回のソウルのローソク集会は、実際に中高生が中心だ。若者の呼び掛けに大人たちが応じた。これまで労働運動を経験してきた自分たちもこんなことはなかった。初めての事態に驚いている」と、現在30歳半ばの彼らが証言した。また、日本の報道機関が「韓国貨物労組の全国スト」の記事も6月19日に終結したと小さく伝えられているが、実際にはゼネストに発展しかねない重大な事態だった。韓国のゲストによるとストライキの主体である「貨物連帯」とは、日本でいう「個人請負」の運転手の組織であり、このため労組の要求項目が労働条件の改善でなく「燃料価格の引き下げや輸送料の引き上げ」となり、韓国全体で貨物運転手が35万人とされる中で同労組のたった1万3千人のストでも経済全体に影響を及ぼす勢いがあったらしい。
派遣労働が問題化している日本の企業側の対策として、今後、労働者に分類されない「個人請負」の増加が懸念されているが、韓国はもうそこまで進んでいることにまたしても驚いた。今回来日したゲストの1人は韓国で「特殊雇用労働者」という名称で分類される、日本の個人請負制度に似た「労働者」だった。こうした事情は日本の新聞報道だけでは知りえない情報だ。
総選挙結果からでも見える事態
そんなことから先の韓国総選挙結果について調べてみた。すると4月10日付けの朝日新聞にはソウル支局の箱田哲也記者が紙面でこう伝えていた。
「過去最低となった低投票率をみても、李政権が強い支持を得たとは言い難く、野党・統合民主党の不人気に助けられた色合いが強い。韓国政治勢力は『保守』と『進歩』に大別されるが、政策に大きな違いはない。軍事政権時代の民主化勢力が源流の進歩は、社会の民主化が進み、明確な対立軸を打ち出せずにいる」。
国会議員定数299議席のうち、保守系とされる政党が200議席ほどを確保したものの、今回の投票率は46%で、前々回の00年の57.2%を下回る過去最低だった。こうした選挙結果が先に記したソウル市内の10万人集会に結びつく下地になったようである。
新社会党中央本部が発行する6月3日と10日付けの「週刊新社会」は、小林爽子氏が伝えるソウル通信で今回の事態を詳しく配信している。
「5月2日に1万人、翌日には2万5千人が集会に参加しその中に制服姿の中高生が多い。5月1日のメーデー行進で道路が渋滞し、その場で1時間も足止めされた人が苦情でなくデモ隊を応援していた。3大保守新聞が『中高生は今回の事態に利用されているだけだ』と報じると、彼らは自分で勉強してしっかり反論している」。
小林氏のこの通信を裏付けるように6月19日の朝日新聞は「企業に対し『3大紙に広告を出すと不買運動する』と抗議電話が殺到し、初めての事態に困惑した企業の中で実際に広告を中止した企業があったために新聞の紙面数が少なくなった」など、韓国の大手新聞社の現状を報じている。
盧武鉉前政権時代から民衆の不満は、経済規模が拡大したとはいえ金大中政権から続く新自由主義政策への反発であり、李政権でも程度の差こそあれ新自由主義の基本フレームは変わることがない。このことは韓国の「民主労働党」が(前回当選した10人から1人引退で9議席)選挙前に現職の5人と4人に分裂し、盧前政権の新自由主義政策に反対した5人全員が当選したことからもうかがえる。