【新社会大阪79号2008年7月掲載分より】


韓国・ソウルで10万人集会−
来日した韓国労働者交流会参加報告


「憲法を生かす会・大阪」 むらかみたかゆき



発端は米国産輸入牛肉問題

韓国では李明博氏が新しく大統領に就任し3ヶ月が過ぎようとしている5月2日、ソウル市内で政府の米国産輸入牛肉への対応に抗議する大規模な集会が開催され、これを契機に同国の政治情勢が大きく動揺している。

日本の国民の多くは新聞報道やテレビなどを通じ海外の情報を得ているのが一般的で、隣国の情報とて同様だ。その限りにおいて4月9日に実施された韓国の国政選挙結果では、李大統領の与党ナンナラ党が過半数を確保したことから、政権運営の安定化によって建設会社の経営手腕を活かした李氏の「実用主義」政策が加速されるものと、日本の国民の多くがそう思っていたはずだ。ところが韓国の庶民感覚はそうではなかった。同国では07年10月に発覚した米国産牛肉のBSE問題から輸入停止措置を行っているが、4月19日に開かれた米韓首脳会談で李大統領は早期の制限撤廃を表明した。


集会参加者が全国で100万人

5月31日、ソウル市庁前で開かれた集会では韓国政府の輸入再開する流れに抗議するもので、警察発表でも4万人もの市民が集まったことから日本の報道各社も取り上げるようになり、筆者自身もニュースを見てびっくりした。ところが驚いたのは筆者だけでなかった。韓国政府は6月2日になって輸入再開の延期を決め、10日には問題の収拾を図るため内閣が総辞職した。話しはここで終わらない。何とこの日が1987年の「民主化宣言」を記念する国民集会と重なったこともあって、ソウル市内で開かれた集会会場は、周辺道路にまであふれ出た10万人もの参加者を撮影した新聞報道を見てもう一度驚いた。この日は韓国全土で100万人が参加したという。日本でも米国産輸入牛肉で同様のBSE問題が発生したが、規模は別にしても抗議集会を開いたという情報も聞かない。これほどの差は日韓の国民性の違いだけで整理できるものではない。


6年目の日韓労働者集会に参加

「ローソク集会」で使っている赤いプラカードの現物を持参
いったいどうなっているのか?と訳が分からない状態のとき、韓国の労働者が来日し交流集会を開くと聞き、6月14日に神戸市垂水区の集会に参加した。11月に開催される韓国労働者大会に合わせ、「韓国労働運動に学ぶための青年の旅」を2002年から毎年、新社会党も加わり実行委員会として取り組んでいる。その延長として今回、韓国から3人の労働者をゲストとして招き東京と兵庫の2箇所で交流集会が開かれた。

この日の集会でも、今回の一連の李政権批判が話題の中心となった。その中で同国の政治勢力地図が、「保守」と「進歩」に二分した軍事政権時代からの発想を改めないと、現在の実情を理解できないことがよく分かった。87年の「民主化宣言」以降、とりわけ97年に政権奪取した当時の金大中(キム・デジュン)大統領と、その政策を継続した盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権の南北融和のための「太陽政策」を、日本の70年代に大阪や東京などの革新知事が進めた政策と混同してはならないことだった。

韓国が大きく転換したのは97年にアジア各国を襲った「金融危機」だった。このとき旧来の支配勢力は対応できず、新たに発足した金大中政権は、国際通貨基金(IMF)が進める緊縮財政の新自由主義政策で経済回復を図ろうした。サプライサイド(供給側重視=企業競争力の回復)を強化するため、総額人件費の抑制=非正規社員の増加とグローバル化に対応できる人材の育成強化など、当時の金大中政権はそれまでの旧来型の経済政策から大きく転換した。今日、同国の非正規社員の比率が日本より高かったり、インターネットの普及率を含め英語教育に熱心なのは、こうした経済政策を転換した反映でもあろう。

14日の交流集会でも韓国の3人のゲストは「今回のソウルのローソク集会は、実際に中高生が中心だ。若者の呼び掛けに大人たちが応じた。これまで労働運動を経験してきた自分たちもこんなことはなかった。初めての事態に驚いている」と、現在30歳半ばの彼らが証言した。また、日本の報道機関が「韓国貨物労組の全国スト」の記事も6月19日に終結したと小さく伝えられているが、実際にはゼネストに発展しかねない重大な事態だった。韓国のゲストによるとストライキの主体である「貨物連帯」とは、日本でいう「個人請負」の運転手の組織であり、このため労組の要求項目が労働条件の改善でなく「燃料価格の引き下げや輸送料の引き上げ」となり、韓国全体で貨物運転手が35万人とされる中で同労組のたった1万3千人のストでも経済全体に影響を及ぼす勢いがあったらしい。

派遣労働が問題化している日本の企業側の対策として、今後、労働者に分類されない「個人請負」の増加が懸念されているが、韓国はもうそこまで進んでいることにまたしても驚いた。今回来日したゲストの1人は韓国で「特殊雇用労働者」という名称で分類される、日本の個人請負制度に似た「労働者」だった。こうした事情は日本の新聞報道だけでは知りえない情報だ。


総選挙結果からでも見える事態

そんなことから先の韓国総選挙結果について調べてみた。すると4月10日付けの朝日新聞にはソウル支局の箱田哲也記者が紙面でこう伝えていた。

「過去最低となった低投票率をみても、李政権が強い支持を得たとは言い難く、野党・統合民主党の不人気に助けられた色合いが強い。韓国政治勢力は『保守』と『進歩』に大別されるが、政策に大きな違いはない。軍事政権時代の民主化勢力が源流の進歩は、社会の民主化が進み、明確な対立軸を打ち出せずにいる」。

国会議員定数299議席のうち、保守系とされる政党が200議席ほどを確保したものの、今回の投票率は46%で、前々回の00年の57.2%を下回る過去最低だった。こうした選挙結果が先に記したソウル市内の10万人集会に結びつく下地になったようである。

新社会党中央本部が発行する6月3日と10日付けの「週刊新社会」は、小林爽子氏が伝えるソウル通信で今回の事態を詳しく配信している。

「5月2日に1万人、翌日には2万5千人が集会に参加しその中に制服姿の中高生が多い。5月1日のメーデー行進で道路が渋滞し、その場で1時間も足止めされた人が苦情でなくデモ隊を応援していた。3大保守新聞が『中高生は今回の事態に利用されているだけだ』と報じると、彼らは自分で勉強してしっかり反論している」。

小林氏のこの通信を裏付けるように6月19日の朝日新聞は「企業に対し『3大紙に広告を出すと不買運動する』と抗議電話が殺到し、初めての事態に困惑した企業の中で実際に広告を中止した企業があったために新聞の紙面数が少なくなった」など、韓国の大手新聞社の現状を報じている。

盧武鉉前政権時代から民衆の不満は、経済規模が拡大したとはいえ金大中政権から続く新自由主義政策への反発であり、李政権でも程度の差こそあれ新自由主義の基本フレームは変わることがない。このことは韓国の「民主労働党」が(前回当選した10人から1人引退で9議席)選挙前に現職の5人と4人に分裂し、盧前政権の新自由主義政策に反対した5人全員が当選したことからもうかがえる。



言論の自由を認めない所属労組を提訴

経営者の下僕と化し走狗に成り果てた企業内労働組合は労働者を死に追いやる!


うめかわまさのぶ



かつては毎年ストで闘っていた組合が

私は日通に1970年に入社した。大阪万博が開催され、よど号ハイジャック、天六ガス爆発のあった年である。あれから38年が過ぎ、もう定年まで3年となった。

就職する前、学生運動が高校にも飛び火していた。大阪府の採用試験に合格したが面接で学園闘争したことを喋ったら不合格となったので、秋に採用試験をしていた日通に応募した。試験当日に遅刻したが答えを教えてくれ、面接で「宗教は信じない」ことを聞かれて「家は浄土真宗で信心はしていない」と言ったら合格となった。

こんな日通だから、入社してから74年までは、景気がいいこともあってか仕事は超多忙であったが、おおむね社内の雰囲気はおおらかであった。しかも、総評・全交運の傘下で交通ゼネストを闘い毎年ストライキを打っていた。

オイルショックで景気が悪くなった75年から、状況は一変した。減量経営で合理化をかけられ、日通の分割が提案され希望退職が募集された。日通の分割は避けられたが、地域ごとに多くの子会社が作られ多くが丸ごと移管させられた。その後は、「雇用を守るため」「緊急避難だ」と組合が説得に回る中で、合理化がとめどなく続き、諸手当の撤廃・勤務の弾力化・一時金の査定化・評価賃金化・賃金カット・休日の削減と、ありとあらゆる既得権が奪われ、諸条件が改悪され、雇用形態の重層化が進んだ。

自ら合理化を提案する組合に変貌

その間、組合は「先制的反合理化闘争」と銘打って、「闘う前に自ら合理化を提案する」「大きな合理化が出される前に小さな合理化を自ら行おう」と言う「抵抗から政策」へと闘いのスタンスを変えた。会社は合理化を組合の無抵抗で面白いように進めた。合理化進行の影で自殺者が急増した。当時の中央青年部の大会でそのことを報告した中央青年部長は中央執行部に咎められ、無理やり訂正させられた。

私は、青年部の役員を定年の30歳で降りてから、会計職場で組合の職場班長になり、サービス残業などを問題にして活動していたが、当時提案された選択定年制の導入に反対して全国大会の代議員に立候補したが完全連記制と執行部が会社と一体となって行った不正選挙のために、惜しくも落選した。そして空かさず、暗くて排ガスだらけの長時間で過酷な労働を強いられて組合活動ができない共同配送センターに配転させられた。しかし、まじめに働くとともに職場を守るために手に入れた重要な情報を会社と組合に申し出たが、相手にされず、その職場は佐川急便に乗っ取られ、職場のすべての仲間は、辞めさせられたり、さらに過酷な職場に飛ばされた。

私も、課長一人の小さな職場に飛ばされた。まさに陸の孤島でこれ以上に活動から隔離された職場はない。当初は少しは仕事があったが、その内にほとんど仕事がなくなり、毎日テレビを観て、本などを読んで時間をつぶしていた。約10年余りの期間である。

職場に影響持ち出したら急遽配転に

転機が訪れた。私がいる小さな職場が閉鎖され駐車場になることから、同じグループの少し大きな職場に配転になったのである。10年余り活動ができなくて目立たなくなったのか、そこでは仕事が車や作業員の操配の後方事務でそれなりの仕事を与えられ、10年余りそつなく仕事をこなしていた。しかし、伝統あるその職場も廃止され駐車場にすることになり、同じグループの梅田の大きな職場に配転になった。

そこでは営業支店並みの大きな陣容と設備を抱え仕事をしていた。膨大な量の下請け関係の仕事を中心に結構忙しく仕事をしていたが、組合の職場班長が機関紙1枚配らず、会議にも出席せず、組合員の意見もまったく聴くこともせず、組合班長手当だけはもらっている状態に、「ちゃんと活動するように!できなかったら私が代わるから」と言い、支部大会に出席しないその職場班長に代わり「8年間も続く休日削減などについて意見があるから」と立候補した。すると執行部が立候補を取り下げてほしいと頭を下げに来た。私は、「執行部が私を交え職場班長に役割を果すよう話してくれれば立候補を取り下げる」と言って、執行部が約束したので取り下げた。なのに、間もなく組合員が4人しかいない豊中の倉庫に配転させられた。1年が過ぎ、仕事も慣れてきたと思った所であった。しかも、定期人事異動ではなく、倉庫の仕事は初めてなのに「急遽、必要だ」と言うのである。内示を伝えた所属課長は労働課長から「何も言わず受けてくれ」と言われたと聞いたので、労働課長に「なぜ、私なん?!」と問い詰め、組合にも異議を申し立てたが、「不当配転ではない」の冷たい対応しかしなかった。それは、分かっている。組合と会社が一体となって職場に影響力を持ち出した私を飛ばす悪だくみが成立していたからである。

大会発言封じ、選挙ビラの所信は削除

人事の責任者である部長に「異議留保」を突きつけた上で配転に応じた。そして1年。やっと慣れてきたところで、昨年の夏、大阪支部書記長・中央協議会選出支部執行委員・中央協議会書記長の選挙、そして、関西総支部大会代議員選挙に立候補した。関西総支部代議員選挙は選挙活動のビラ掲示を嫌がる執行部の意向で執行部側候補を差し替えて私を無競争当選させた。私は、意見などを書いた書面を配って発言しようとしたが、代表意見しか認めない議事運営をしようとしたので代議員の固有の権利を主張し、大会を仕切る執行部側が書面の配布を認めなかったので、やむなく口頭発言で意見を表明した。再質問と議論の応酬の途中で、私の若い頃からの運動の同志であった先輩が「議論打ち切り動議」を出した。私の声は断ち切られた。

役員選挙では、あらゆる妨害が入り不正のオンパレードであったが、掲示用ビラの所信表明が削除されたことには、さすがに驚愕し憤怒した。中央協議会選出支部執行委員選挙では、「日通航空でのイジメ自殺の裁判や淀川ペリカンSDの裁判を支援します」。中央協議会書記長選挙では、「私が協議会書記長になれば、労使ゆ着につながる組合役員の会社への出世天下りを禁止し、多発する職場のハラスメント(いじめ・嫌がらせ)をなくすために日通航空いじめ自殺裁判を応援し、すべての組合員がふつうに生活できるようにするため守口ペリカンSD契約違反劣悪低賃金裁判を支援し、健康で働き続けるために王寺ニチアス等でのアスベスト労災会社補償を積極的に闘い、組合強化のために非正規社員を仲間にし、関西総支部を解散して分会を再構築することで、労働者一人ひとりを大切にし組合費を安くできるよう、がんばります」。が一方的に削除された。理由は「適切でない」である。異議申立そして再審査請求をしたが、いずれも納得行く説明の仕様があるはずがなく、まさか「会社の指示で」と本当のことを口が裂けても言える訳もなく、「適切でない」の一点張りで却下された。

日通労組は私の心をナイフで切り取った


私が所信表明で書いたことは、すべて現実に起こっていることである。日通航空いじめ自殺問題では、大橋さんの遺族が提訴している(ブログに詳しい:「大橋家裁判」で検索)他に神戸で同じような裁判が起こっている。仙台で現役社員のいじめ裁判がある。いずれも日通航空である。王子アスベストの問題も提訴されたし、尼崎アスベストの裁判も始まる予定だ。いずれも日通は安全配慮義務を怠っていたし規定にある補償を行っていない。SDの労働契約違反裁判はペリカン便事業再編移行に伴うドライバー確保のために日通労使が一体でグルになって「賃金は従前と変わらない」と約束したのに一方的に切り下げたと言うことが裁判で明らかになり本年6月6日に結審した。日通の「ペリカン便」は来年4月に郵政の「ゆうパック」と統合し郵政子会社化するとしているが、その過程でまたもや騙しが始まるのは目に見えている。今、このような闘いでネットワークを作り出し、広げようとしている。

私は、職場の仲間が一人でも困っていたら、相談に乗り、一緒になって解決に努力するのが労働組合だと信じている。そういう労働組合が必要だし働く者だれもが求めていると思う。その思いを情け容赦なく一方的に切り捨てるとは、どういうことか、到底許せるものではない。思想信条の自由・言論の自由・表現の自由を言うまでもなく、私の心をナイフで切り取ったのである。こんな犯罪的行為に泣き寝入りしていては、この世に正義は実現しない。味方であるべき労働組合に裏切られた悔しい思いは半端じゃない。この企業内労働組合の現在のあり方を問いたいと、裁判に訴えた。損害賠償請求ではあるがお金ではない。こういう形でないと提訴できないからである。企業内労働組合のありかたに問題意識を持っておられる多くの方々に傍聴に来ていただけたらと思う。傍聴ができる公開の法廷での審理を維持するために呼びかけたところ、5月16日の第1回の口頭弁論に37名の方々に来ていただき、法廷に入りきらなかった方々に申し訳ないことになった。それに反して組合側は弁護士事務所の若い女性がひとり来ていただけで、弁護士さえも出席しなかった。第2回の口頭弁論は6月27日(金)午前11時、大阪地裁609号で開かれる。

日通社員の自殺率は全国平均の5倍も
日通は、日通健康保険組合の発表のとおり、社員死亡の自殺率が全国平均の5倍が何年も続いていることが明らかになっている。日通ではパワハラなどで「うつ病」の相談が多く増えていると「コンプライアンスだより」で言われている。
企業の暴走を許しているのは、以上観てきたように、経営者に癒着下僕化した企業内労働組合であり、その責任は重大である。高い組合費を払って、会社と一体となって組合員・労働者を踏みつけ、その功績が大な程に組合役員が出世する仕組みに怒りを持たないのなら、日通の職場は救いようのない地獄であり、そんな現場で働く労働者が疲弊し人間らしさを失い過労でうつで自死させる企業は潰れるしかない。もちろん企業内労働組合も会社と一心同体だから、同じ運命にある。

繰り返される姑息な選挙妨害の数々
闘わなくなってから組合の役員選挙は2年に一回にされたが、各機関の大会は、激動の時代でもあり、年一回開催されている。今回の裁判での問題提起を実際の職場で継続して闘おうと、全国大会の代議員選挙を支援しているSD裁判の原告の一人とともに6月19日に立候補した。すると今度は、大阪支部選挙管理委員会は、私のビラの所信表明には削除など手をつけなかったが、もう一人には、「意味が分からない」と文章の一部に字句の訂正を押し付けた。それは、内容の検閲ではなかったので彼は受け入れ自主的に訂正したが、印刷の時間か遅れて職場回りなどの選挙活動に影響が出た。その逆に、分かっているのに、候補者氏名掲示表に彼だけ職場や経歴が空白にされていた。それらは、陰湿な嫌がらせに違いない。

また、投票用紙(と候補者氏名掲示表)の氏名記載順番は受付順としているが、大事な氏名記載順であり公平にされたか納得したいからと各候補の受付時刻を聞いても、選挙管理委員長は「教える義務はない」と言って発表しなかったが、抗議してやっと、大阪支部執行部に指示を受けに行ったあと、すでに印刷を始めていた氏名記載順に合わせた受付時刻を明らかにした。氏名記載順番は、公平さのために、本来は一般に行われている抽選とすべきものであるのに。

さらに酷いことには、悪知恵が働く大阪支部執行部が選挙管理委員会を操って、所信表明を削除された前回と違って今回は、ビラを選挙管理委員会が投票用紙・投票箱・候補者氏名掲示表などと一緒に、選挙立会人(組合職場班長)に届けていたのが、「候補者各自が持って行くように!」と変えた。届けなくては掲示されない選挙区の職場の選挙立会人は80人近くおり、6月24日の投票日の前日までの選挙運動期間に、有給休暇を取りながらのすべての箇所への持参は不可能である。抗議をして、会社の社内連絡便で届けることができるようにさせることができたが、あくまでも所信表明を職場の労働者に知らせない姑息で汚いやり方を仕掛けてきた。今回の裁判や延長戦の報告は、今後も都度、報告して行きたいと思う。
(2008年6月22日、記)

※ 小見出しは編集部



映画「靖国」を鑑賞して

吹田市 いはやふゆき



逆効果大人気になった「靖国YASUKUNI」

標題の映画の上映を巡ってメディアは大騒ぎをした。そこで大阪での上映がどうなるのか気にしていたところ予想通り十三の「第七藝術劇場」が期待に応えてくれた。私自身は上映開始日の5月10日に即鑑賞に行くつもりだったが、急用で行けなかった。ところが翌日、大入り満員だったことを新聞で知り、上映中止を目論んでいた連中を見返したことに対し勇気を与えられた。

5月17日、11時上映の分で鑑賞しようと、上映30分前に劇場に着いたのだが一般席は売り切れており、仕方なく補助席(パイプ椅子)で観ることとなった。映画を観終って劇場から出たら、この日の3回目の入場券はすでに完売となっていた。ものすごい盛況だった。

そもそも、今回の「騒動」は自民党の国会議員が文化庁に対し、映画作成にあたって公的助成が適切であったかどうかというクレームをつけたことに始まったらしく、このため文化庁は「検閲」に等しい事前試写に手を貸すことになった。

これに対し、大手メディアを含めて多くの団体が上映の中止と政治圧力に対し、相次いで抗議の声明や談話を発表した。このため、映画鑑賞で劇場へ出向けば、「入口で右翼に襲われるかもしれない」と恐怖心を抱く人がいたり、映画上映に希望を見いだす人もいる中で、勇気をもって一歩を踏み出し劇場へ行くことが、自分にとって何らかの契機になると考えた人もいたことだろう。そんな今回の騒動について第七藝術劇場の支配人は、「一方に流されやすい社会の空気は怖い」と感想を語っていた。
こうした様々な空気が渦巻く中で「期待に応えて」劇場へ足を運び鑑賞すると、映画内容を「反日的だ」と批判する人もあったが、私にはどの部分を捉えてそう言っているのか全く分からなかった。

靖国は戦争の凝縮象徴

「靖国」の映画は政教分離違反に当たる「A級戦犯の合祀」だけではなく、様々な立場の人を一貫して冷静に画いていた。今なお靖国問題は大東亜戦争が侵略戦争だったのか、それともアジアを欧米諸国からの解放と日本の発展のためだったのかなど、国内において様々な意見が存在している。そのためかこの映画では、戦没者遺族の感じ方や外国人の立場や宗教と政治の関連性など、多様な意見に対しバランスを取ることに気を遣いすぎているようで、作者としての強烈な自己主張が感じられなかった。内容は過激でもなんでもなく話題性だけが先行し、意表を突かれた感じさえした。ただ、靖国神社は戦争結果の生きざまであり、世界の平和と友好のためには「いま何が必要か」を考えねばならないと思い劇場を後にした。

●今後の上映予定のお知らせ

6月28日〜7月4日まで 10:00〜12:10
7月6日〜11日まで 18:30〜20:40

いずれも阪急十三駅下車すぐの「第七藝術劇場」問い合わせ電話06−6302−2573まで