【新社会大阪78号2008年5月掲載分より】



明星薬品の闘いが勝利的和解で終結

天六ユニオン書記長 うめかわまさのぶ


この会社は薬箱を各家庭や会社に置いて訪問点検し使用した分を集金する配置薬業だが、訪問軒数や販売金額などの過酷なノルマを達成できなければ、賃金カットされ、社長から長時間ネチネチと叱責され、時には土下座させられたり上履きで殴られるなどの暴力も振るわれるので、訪問軒数のごまかしや架空売上などノルマを達成したように見せかける「不正」が常態化していた。社長は、社員が辞めたいというと、「不正」を持ち出して、やくざとの付き合いを誇示し、社内に監禁し深夜まで「損害賠償や!示談金や!刑事告訴や!」と脅かし、賠償金や示談金名目に100万円、200万円と金銭を巻き上げていた。

2005年8月に、低賃金と長時間サービス労働やパワハラから逃れたいが、「会社を辞めたくても辞められない」という相談を受けた。その人はフルコミッション(完全委託)社員にされ、5万円台の給与しかない月もあり、これらはMBSニュースの「VOICE」や、週刊「東洋経済」でも取り上げられた。その後、天六ユニオンに加入する社員が増えたが、加入して年次有給休暇を請求し団体交渉を申し入れると解雇したり、退職扱いにしたり、社長が介入してUIゼンセン同盟のもと御用組合を作るなどしてきた。

当初より残業代など未払い賃金を要求し、団体交渉・ビラまき・門前抗議集会・行政申告・不当労働行為救済申し立て・労基法違反告訴・未払残業代請求裁判などありとあらゆる行動を起こした。労働委員会への申し立てでは、社長がUIゼンセン同盟に頼んで御用組合を作ってユニオンショップの網をかけたり暴力団の挨拶状などを回覧して天六ユニオンに敵対したことが不当労働行為として認められ救済命令が出た。この闘いを通じて、最初は組合員1名だったのが14名となった。行動の都度、事前に対策をしながら一緒に考え、行動には参加可能な本人たちが加わった。1名が不当に逮捕されたが、社長は会社を富士薬品に売り退任した。そして2年半の闘いの結果、2007年12月20日に大阪地裁で勝利的全面一括金銭和解となり、2008年2月16日に祝勝会を行った。

ところが、退任した前社長が、「不正」の被害届について「処罰を求めない」と言う和解協議での合意を破って2名への捜査に「処罰を求める」と言ったため、延長戦となり、対応に手間取ったが、和解合意の事実を報告証明し、なんとか事なきを得た。

この闘いは「会社を円満に辞めること」が目的だったので合意退職し、パワハラ・ノルマ蟻地獄の会社から解放され、おのおのが闘いの途中で見つけた新しい職場で働いている。



3月の護憲平和活動への参加感想2題

「憲法を生かす会・大阪」 むらかみたかゆき



広島から千葉・幕張まで「9条ピースウォーク」

表題の一行は日本国憲法第9条を世界に広めようと5月初旬、東京・大阪など4都市で開かれる「9条世界会議」(東京地区4日〜6日、5日広島、6日仙台と大阪)のプレ企画として2月24日、広島・平和公園を出発点にゴールの千葉・幕張会場までの80日間、各地を歩き平和の大切さを訴えている。
ピースウォークを支える「地域9条の会」のみなさん
3月17日の朝、西宮市を出発し尼崎市経由で大阪市内に到着した。翌18日午後から大阪市北区の中之島公園で集会を開催し、参加者の約350人が御堂筋を難波までピースパレードを行った。19日の休息日を経て20日早朝、出発地点の天王寺公園には大阪府内の各地で活動する「9条の会」のメンバーら約20人も加わり、小雨降るなか総勢40名ほどが次の目的地の奈良県を目指し出発した。一部区間をJRに乗車し午後3時に奈良県三郷町に到着。宿舎までの間を再びピースウォークを行った。

この日、三重県伊勢市から飛び入り参加した20代の女性は「インターネットで9条ピースウォークの企画を知ったものの三重県内を通過しないことが分かり、今朝の始発電車に乗って大阪まで来た」と話し、「初めて出会った人とでも平和憲法を守りたい願いは同じ。伊勢から参加して大阪のみなさんと一緒に行動することに意義がある」などと単独で参加した思いを語った。

JR三郷駅前の出発式で挨拶する加藤上人2008年3月20日
5月に各地で開かれる「9条世界会議」は日本の憲法9条の理念を世界へ広めるため、ノーベル平和賞の受賞者や世界の著名人、国際NGOで活動する方々を日本に招く国際的なイベントとして取り組まれる。9条ピースウォークは、このイベントを多くの人に知ってもらおうと日本山妙法寺の僧侶らが中心となって広島・東京間の各地を訪ね歩き、イラク戦争で従軍経験のある27歳の元米陸軍兵士も参加している。

今回の企画の中心メンバーである、同寺の加藤行衛(ぎょうえ)上人は20日、JR三郷駅前のピースウォーク出発式で「これまで修行として東京・広島間を何度も歩いたが、今度の平和行進は市民参加で取り組まれているところに違いがあり、みなさんとともに平和を願うことに意義がある」と挨拶した。


5月4日に千葉県・幕張会場で開かれる「9条世界会議」をめざし、一行は4月23日時点で神奈川県小田原市まで到達している。



「井上ひさし・藤本義一」ビック対談を聴く

「九条の会・おおさか」主催による、東西著名作家の2名が護憲平和について語る催しが3月21日、大阪・中之島の中央公会堂で開かれた。講演は東京在住の井上ひさし氏と地元大阪の藤本義一氏。環境問題について宮本憲一・大阪市立大学教授から特別報告があった。参加した1500人は井上・藤本両氏の対談に聴き入った。

井上氏は「九条の会」の呼びかけ9人名(小田実氏は07年7月死去のため8名)のうちの1人。
藤本氏は「九条の会・おおさか」の呼びかけ人14名(吉田玉男氏は06年9月死去のため13名)に名前を連ねる。両氏に共通するのは75歳の藤本氏が1つ上だがほぼ同じ年齢で、しかも戦後テレビ時代の先駆者として作家活動でも活躍している点。テレビなどの作品コンクールでは活躍の場が東西に分かれていたが、学生時代からすでに互いを知っていたという間柄。

対談の中で戦争終結が食べ盛りの12歳だった藤本氏は、「あの頃はいつも空腹で、カレーライスを腹いっぱい食べた夢を見たことを未だに忘れない」と思い出を語った。そんなお腹を減らした戦争孤児たちは東京で12万人、大阪でも3万人いた。
2008年3月21日大阪中之島・中央公会堂にて
思春期の多感な時期に2人が戦争直後の学校教員や教育をどう見ていたか。
井上氏は「一学期を終え夏休み前の黒板に『最後まで戦うぞ』と書いてあったのに、二学期が始まって登校すると『これから民主主義だ』と書き換えてあった」と話し、藤本氏は「学校や周囲から国を守る意義を植え付けられていると、戦争に怖さを感じなくなってしまい自分自身もそうだった。ところが日本の敗戦が決まると、それまで偉そうな顔をしていた教師は途端に学校からいなくなり、彼らの言い草は『お前のようなものがいたから日本が負けた』と怒鳴ることだった」と語り、藤本氏は「日本が負けたことに悔しさみたいな感情を抱かせたのが戦前の教育だった」と、戦争当時の歪められた学校教育を自身の体験から振り返った。

同様の視点から井上氏は「それまで正しい戦争と教えていた教師が敗戦後、その反省もせずに態度だけ変えたタイプと、誤った教育を反省し正しく伝え直そうと努めたタイプ、そのどちらでもなく知らん顔をしていた教師がいた」などと、教師たちの人間模様を当時から鋭く分析していた。

両氏の体験談から、戦争によって教育全般がいかに歪められていたかをうかがい知ることができた。と同時に筆者は戦後の両氏の大衆文化的な活躍の源に、多感な世代に戦前の戦争への道がウソで固められていた事実を知り、国家や権力者の言うことを鵜呑みにせず自分で調べる姿勢が共通していると感じた。

そのなかでも、学生時代に教師を目指していた藤本氏が「日本の雇用問題を調べてバカらしくなり教員になるのを止めた」と就職当時を振り返り話したことだ。その理由の1つが「定年制」。日本独自のこの制度は戦後も長く55歳だった。藤本氏が調べてみると定年制は明治時代から始まったことが分かり、「その頃の平均寿命が43歳程度でも定年が55歳だったことから文字通りの終身雇用だったが、寿命が伸びた昭和になっても定年は55歳のままだったので、騙されているように感じて勤め人にならなかった」と語ったことが印象に残った。



「自衛隊イラク派兵は憲法違反」名古屋高裁判決

9条ネットの候補者だった天木直人さんも原告

各地で取り組まれている自衛隊イラク派兵に反対する訴訟で4月17日、名古屋高裁から表題の画期的な判決が出された。この名古屋訴訟原告団の中に2007年7月の参院選で「9条ネット」から立候補した天木直人さんがいる。天木さんは03年3月、当時の小泉政権が自衛隊のイラク派兵を決めようした際、駐レバノン大使の立場からこれに反対し、その結果、外務省をやむにやまれぬ思いで退官していた。

9条への思いを語る天木さん2007年6月2日クレオ大阪西にて
そんな天木さんは04年9月3日、「自衛隊のイラク派兵差止等請求事件」で名古屋地裁民事第6部合議係に対し原告準備書面(9)を提出し、同書面最後の「結語」箇所で訴訟理由について「憲法やイラク特措法に違反するからだけでなく、この違反行為によってわが国国民に深刻な被害をもたらしているからです。私自身もまたイラク攻撃に反対したが故に外務省を解雇されるという精神的、経済的被害を受けることになりました」と記し、裁判を通じて政府に対し改めて自衛隊のイラクからの撤退を訴えていた。

4月18日の東京新聞は天木さんへの判決について「(裁判官は)外務省の解職手続きの違法性を認めなかったが、退職勧奨を受けた天木さんが無念と怒りを込めて退官願に署名したと認定し、さらに悔しい思いは十分に理解できると述べた」と報じている。一方、保守の論陣を張る日経新聞は同日の社説で「違憲判断を機に集団的自衛権論議を」を見出しに挙げ、その中で「判決主文は原告の請求を全て退けており、自衛隊のイラクでの活動を制限する法的効力はない」と記し、さらに福田政権がイラク特措法の定義をあいまいにしていることで「名古屋高裁判決は福田政権のちぐはぐな姿勢に対する批判のようにも見える」と書き、福田内閣が支持率低迷を回復するためには右バネを強めるよう促している。

判決後の4月23日、政界で早くも新しい動きが始まった。東京新聞Web版が配信した情報によると、同日午前、自民党の中谷元・元防衛庁長官や民主党の前原誠司副代表ら超党派の国会議員が集う「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」が3年ぶりに総会を開き、いつでも自衛隊を海外派兵できる恒久法制定に向けた議論を再開。会合では自衛隊の海外派遣恒久法の整備が「急務」と明記し、同会の共同代表に就任した前原氏は「安全保障に関し与野党の違いはなく、骨太の議論が必要と発言した」などと報じている。この会には自民・民主・公明・国民新党の各党から計110人の国会議員が賛同している模様だ。3月4日、中曽根康弘氏を会長に民主党の鳩山由紀夫幹事長や前原副代表らも加わり、装いを新たに発足した「新憲法制定議員同盟」の動きと合せ、国民投票法の成立を活用する与野党の垣根を越えた「改憲運動」が水面下で加速しつつある。護憲勢力は名古屋高裁判決をテコに今こそ団結し、保守二大政党制への流れをストップさせねばならない。


改憲国民投票法と保守二大政党制の落とし穴

多くの有権者の気付かないところで改憲のための外堀を埋める準備が進んでいる。年金や後期高齢者医療制度も生活するうえで、極めて重要な問題であることに変わりはない。国民的関心が高まるのも日本の社会保障制度が貧弱なゆえのことである。戦前もそうだった。経済が混乱し庶民の生活が疲弊していく中で徐々に軍部が台頭し、「戦争への道」の準備が進められて行った。政界再編を含む保守陣営が割れようとしている不安定な今日の政局に、戦前と同じような危ない雰囲気を感じる。

戦前、世界の勢力地図の移り変わりは英国の基軸通貨としてのポンドの衰退に象徴される。新自由主義が席巻する今日の世界経済は、サブプライム問題を引き金に基軸通貨としてのドルの威信に陰りが見え始めた。その米国での09年1月の大統領選挙結果が今後の行方をますます不透明にさせている。一方、北京オリンピック開幕直前の現代中国を、ベルリンオリンピック前の当時のナチスドイツと同列に扱えないが、それでも世界経済の「構造と力」の視点から見たとき、グローバル化をテコに台頭する中国経済と、それに比例するかのように高まりつつある中国国内のナショナリズムが地球規模での変化に呼応したとき、新たな火種を生むことが懸念される。

さて、国際連盟の限界が第2次世界大戦へと進んでしまったが、戦後の国際連合の限界を防ぐ手立てはあるのか。また加盟各国はそのためにどんな役割を求められているのか。このロジックから生まれるのが民主・小沢代表の言う「普通の国」論だ。彼に同調する者が唱える論旨は「経済のグローバル化から日本企業も国境を超えて活動するなかで、資金を必要とするテロ組織の国際化を国別の対応だけで未然に防ぐことができなくなっている。戦後の国際化の中で経済発展に成功した日本は先進国の一員としての責務を自覚し、国連を中心とした国際貢献が求められている」と。彼らの言う「国連」はパーフェクトか?

まるで「十字軍」気取りだったブッシュ大統領の米国こそが絶対正義とする、国連軽視のネオコン路線の破綻は誰の目にも明らかだ。だからかどうか、数ヶ月後の米国大統領選挙を控える今になって「やっぱり国連だ」はないだろう。米国が仕掛けた戦争でどれだけのイラク人が殺されたのか。例えが悪いが、今まで勝手にバイキンを撒き散らした犯人を裏でバックアップしていた連中の責任はないのか?米国も日本も「だから政権交代が必要だ」だけで良いのか?例え政権が交代したとしてもイラクで死んだ子どもたちはもう生き返らない。誰も責任を取らずに済む「保守二大政党制の落とし穴」がここにある。やはりあの時、日本の外交官として自衛隊のイラク参戦に反対した天木さんの判断が正しかったことになり、レバノンからの打電を無視した当時の小泉首相の責任は重大である。

この辺の話しは5月10日、大阪の「ドーンセンター」で改憲志向の保守二大政党制の危険性について澤野義一・大阪経済法科大学教授が講演する。憲法が専門の立場からこの度の名古屋高裁判決のコメントも含め詳しく解説する予定だ。こうした学習を通じ公務員としてのあるべき姿を示した、青山邦夫裁判長や天木さんらにどれだけの勇気と決断が必要だったかも分かり、同時に本当の世界平和を実現させるために今、わたしたちが果たすべき役割も見えてくるのではないかと思う。

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