教師が差別されたら子どもが差別される大阪
教育労働者 藤原一行
15の春を泣かせまい?
職員室に、「5教科で100点取られへんから、高校行くのやめて就職する」という男子生徒が来た。中3の3学期末テストが終わってからである。中卒での就職の厳しさと、これからの長い人生を働き続けるためにこそ、もう3年勉強を続けることが必要なんじゃないかと説得して帰した。しかし、意欲的に授業に参加していた2学期、ところがノ−トも取らない3学期、彼の気持ちにどんな変化が起こったのだろうか?特にやりたい仕事があるわけでもない。担任の説得にも応じず、親は「勉強やる気がないんなら高校行かせへん」と子どもを責めるばかりである。彼にどんな15の春が来るのだろうか。また、受験地獄は少しは改善されたのだろうか?
全国学力テストで何が分かったのか
大阪は全国で45位と県別順位や全国平均との格差をあらわにされ、自治体間の競争心と疑心暗鬼を生んでいる。市レベルでは格差への過剰な反応を避けるため、10月末のテスト結果の返却に際しては「学習状況の把握の参考に」との簡単なコメントをつけて子どもに持たせた。しかし「今頃こんなもんもらっても」と保護者の反応はほとんどない。
文部科学省報告では「朝食を毎日食べる子」「読書をする子」「家族と学校での出来事を話す子」などの学力が高いという。何を今さらアホなこと言うとんねん。家庭環境が学力に一番大きな影響を与えるなんてことは当たり前やないか。共働きで長時間残業、親からして本を読む気力も子どもとゆっくり話す余裕もない。病弱で母子手当だけが唯一の収入の家では、朝食を毎朝食べれるわけではない。大阪の就学援助率は28.4%で全国1位。ならば学力最下位でも当然ではないか。勉強の前にまず生活保障だ。そのための教育・福祉関係予算をどれだけ増やしたと言うんや。それに問題なのは、学力の高い子も多いが、低い子はもっと多いという全国にない特徴があるということだ。それに対して行政がしたことは、生活保護予算を減らし、教育ロ−ンでしかない偽物の奨学金制度(先進国では奨学金は返さなくてもいいのに)でごまかしているだけだ。
そしてまた「考える力が弱い」と言うが、「生きる力をつける」として現場の声を聞かずに強行してきた「総合的な学習の時間」の成果が出ているにもかかわらず、09年度から文部科学省は単純に授業時数を増やすという知識偏重教育に逆戻りである。「教育及び教育施策の成果と課題を検証」(学力テストの目的)したはずの文部科学省は「教員が子どもの学力を上げていくためいかに努力するかが大事」(初等中等局長)と、金は出さず全ての責任を現場教師におっかぶせて何の援助もしない。こういう輩をこそ税金泥棒という。
したたかな大阪人
学力テストの解答で大阪は無答(無記入)率が高い。文部科学省は学習意欲に課題があるというが、それは間違い。この学力テストを受ける時、中学3年の子どもは「成績に関係あんの?」と必ず聞く。「関係はないが力試しだから頑張れ」と答える。すると子どもは適当にやってお仕舞いにする。このしんどい世の中で無駄なことに労力を使っていられない。私たちもそう思っている。まさに省エネである。大阪人らしいたくましさを感じる。
犬山市のように決断はできなかった(編集部:注釈)ものの、独自の学力調査をやってきた市もある。全国調査など全く必要はない。必要なのは、学校に競争を持ち込んで学力格差を拡大したイギリスが改革をやり直したように、教育予算を倍増し、20名定員の少人数学級を実現することである。
校内でも学力のしんどい子どもを大切にする取り組みは続いている。少人数加配教員を、差別的な習熟度別(能力別)分割授業などに使わず、実質的に低学力層の抽出授業として活用する方法もある。もちろん、すでに中止したフィンランドの習熟度別分割授業の反省(高学力層にはほとんど効果がなく、低学力層には全く効果が見られなかった)も踏まえ限界はある。やはり、子どもは子どもの中でこそ成長する。班討議や班学習など、集団づくりの中での相互理解が自尊感情を高め、それが学習意欲に結びつく。利己的に自己に学力だけをつけようとする塾と違い、公教育として共に生き、共に伸びる将来の労働者を育てたいと思う。
やはり教師集団づくりも必要
子どもに学力を付けるためにも教師集団づくりは必要である。一人一人の子どもを教師全員で育てる。教科指導や学年指導の鉄則である。ところがそれを破壊する教職員評価システムが作動している。年度末に、管理職から自己評価の提出を求められる。大阪で1000人ほどいる自己評価のための「自己申告書」未提出者に、今年度から勤勉手当が11%カットされ、さらに昇級すべき1月賃金から1号給カットされた。5段階差別賃金の実施である。定期昇給がS;5号給、A;5号給、B;4号給、C;3号給、D;0号給とされ、未提出者はC評価で、2年目からはD評価となり昇級しない。大阪地裁では日教組組合員による「新勤評反対訴訟」が闘われており、製造業などの目標管理システムを学校教育現場に適用する不当性と、勤勉手当の減額に対する損害賠償請求を行おうとしている。そこでは校長や市教委の4割以上の人が評価・育成システムについてのアンケ−トの中で、「マイナスの影響がある」と答えている。「評価が難しく、不公平感が拡大」「給与の差が教職員の意欲減退につながる」「職員間の人間関係がぎくしゃくしてきた」など、組合が実施したアンケ−トと同じ問題点を列挙している。
さらに問題なのは、年度評価の個人面談の場では管理職(校長・教頭)に何を言われても1人対2人では反論しにくい。学年や分会単位での集団面談にさせないと組合員ですらバラバラにされてしまう。仕事の分担にしても「みんなから頼まれたらしんどい仕事も引き受けるが、校長に言われてとか、出世のためにとかではやりたくないし、またそんな奴には誰も協力しない」という分会員の声もある。これに加えて、校長が今年退職する仲間に年度評価の個人面談上で「退職で給料にも関係ないので(評価の)Cを担ってくれへんか」と言われた人もいた。絶対評価のはずの個人評価がいつから相対評価に変わったのか。つまり標準のBに対して誰かにAを付ければ、賃金アップ分した分を他の誰かをCにして賃金を下げ、総額人件費を増やさないというわけだ。そんな管理職の恣意的な個人評価に対して、この評価育成システムへの怒りが現場で高まっている。
教師がテストの点数やその結果として賃金で差別されバラバラにされてしまい、教師が集団として協力し合って一人一人の子どもの指導に当たらなくなれば、必然的にできる子どもだけを大切にする差別教育に向かう。そんな学校に絶対してはならない。
政治改革への願い
今の政治状況に不満を持ち、信頼できる政治勢力を期待する声もある。大阪は自民・公明の橋下知事となり、「今でも4%カットされてるのに、また給料10%減らされるんとちゃうか?」との不安も職場で出ているが、現場の労働者の生活を無視してそんなことさせたらアカンと思う。橋下知事が、公立高校の学区を9学区から4学区に減らしたばかりなのに、またそれを全府下1学区でやれと府教育長に強要し、2人がケンカしているという話も聞く。しかも「子どもの笑顔が見たい」と言っていた知事が、府下で1割台の中学校の給食(全国では8〜9割の実施率なのに)を止めるという話も出て、「なに言うとんねん、腹立つなあ」との声があがる。現場の教育労働者や子どもの願いや怒りをもっとぶつけないといけない。府の財政赤字も子どもの荒れも、何でもかんでも我々大阪府民の責任にされてたまるものか。前知事も含め政治家としての責任を誰が取ったというのだ。
折しも府の教職員が交通死亡事故を起こした。車を運転する者としての責任は当然問われるべきだ。しかしその事故は金曜日の夜11時15分、仕事帰りに発生した。その職員がそんな夜遅い時間まで働かされている問題は、新聞記事には載らない。やはり政治家と政治を変えなければ大阪の教育は良くならないと思う。
(編集部の注釈)
「犬山市、08年度も全国学力調査参加せず」(2008年3月16日朝日新聞より)
07年度の全国学力調査に全国の自治体で唯一、参加しなかった愛知県犬山市が、4月に実施される08年度調査にも参加しないことが確実となった。市教育委員会が2月に委員5人で投票し、3対2で不参加を決めたことに対し、参加を主張してきた田中志典(ゆきのり)市長は「教育委員を増員したうえで調査参加を承認し、4月の調査に間に合わせることもできる」などと発言。委員の増員により市教委の決定が覆される可能性があった。ところが、関係者によると、田中市長が15日、委員を増員しない方針を固めたため、08年度も不参加が確実になった。関係者によると、今回の市長の方針転換には、市教委の決定を覆すと対立が強まり、現場の教員や児童・生徒に混乱を与えることにもなる、などの判断が働いたものとみられている。犬山市は「全国一律の学力テストは教育に競争原理を持ち込み、地域で独自に実施している公教育を壊すものだ」などとして、07年4月の全国学力調査に参加しなかった。