江戸祭り囃子
 
 (江戸祭り囃子の起源)
   享保年間(1716〜36)武州葛飾郡香取大明神(現在の葛西神社)の神官、
   能勢環が創り上げたお囃子が近隣の若者たちの間で大流行し、宝暦年間
   (1751〜64)頃からは関東代官・伊那半左衛門の後援で、毎年上手な者たちを
   天下祭りに送り込んだので、ますます近郊農村に広まっていった。と言うのが
   通説になっています。

   天下祭りとは、将軍家の産土神で徳川幕府の特別の庇護を受けた山王権現の
   山王祭り(春)と、江戸総鎮守・神田明神の神田祭り(秋)を総称して、毎年交替で
   祭りを執行していました。

 (江戸祭り囃子系の特徴)
   楽器は七孔篠笛(五〜七本調子)1・締太鼓2・大太鼓1・摺り鉦1の五人編成で、
   西洋クラシックの室内音楽に似た究極のアンサンブルと言われています。   
   そして、笛の細やかな都節音階の進行は近世三味線音楽や歌舞伎にも
   そのまま溶け込むことが出来、特に歌舞伎舞踊の伴奏や下座音楽として
   無くてはならぬ存在となり、寄席囃子にも活用されるようになりました。
   また、笛は複数で音を揃えて斉奏するのでなく、ソロで個人芸を聴かせるのが
   本来の江戸祭り囃子だということです。

   江戸祭り囃子には大別して、神田囃子系統と目黒囃子系統の二つが
   ありますが、笛の旋律は口伝によるため経年変化が大きい上に、もともと一人で
   吹くために個人差が出やすく、また各地の名人によって推敲され流派内でも
   細やかな技法や息遣いに差が出てくる、と言うことから結果、同じ神田囃子・
   目黒囃子を名乗りながら全く異なる節回しを吹いていることにもなってきます。

 (江戸祭り囃子の影響)
   滋賀県の水口(みなくち)曳山祭り・日野曳山祭りの現行の囃子の曲目、曲調には
   江戸祭り囃子の影響を思わせる要素があり、周辺地域の囃子とは際立って異質な
   ものとなっています。

   宿場町であり城下町である水口で毎年4月20日に行われる水口曳山祭りは
   水口神社の例大祭で、七孔の六本調子篠笛3〜5・小太鼓2・大太鼓1・鉦2という
   編成で、その責任者は『親笛』と呼ばれ囃子における笛の重要性を
   ものがたっています。
   この囃子が江戸祭り囃子の影響を受けているのは、当時の藩主が江戸の
   馬鹿囃子を好み、若者を江戸へ遣って囃子を習わせたと言われていますが、
   詳細は明らかではなく、江戸祭り囃子が確立するか、まだその経過時期の囃子を
   受け入れたものと思われます。
   ただ、神前奉納の曲は江戸祭り囃子とは全く違った、能楽囃子の影響を受けた
   体系の囃子で、これは能楽囃子を曳山囃子としてはやす中京圏の囃子の影響か
   と思われます。

   江戸時代、関東地方を中心に商業活動を展開した「日野商人」の本宅が軒を連ねる
   日野町の綿向神社の祭礼として、5月3日を中心に行われる日野曳山祭りの囃子は
   水口曳山囃子と曲目もほぼ重なり、掛け合いのやり方も酷似していることから、
   同時期に同様の成立・展開をし、相互関係をもってきたと思われ、関東に商いに
   行っていた商人が神田囃子をもたらしたという伝承があります。

   千葉県佐原では、七月に八坂神社の祇園祭・十月に諏訪神社の大祭と山車祭りが
   行われ、四本調子〜六本調子の篠笛五人前後・大鼓1・鼓五人前後・大太鼓1・
   ツケ1・鉦1で、江戸神田囃子の流れを汲む佐原囃子がはやされます。   
   かつては山車の中で正面に御簾を見、その間から曳き手を窺いながら演奏していて
   これは歌舞伎の黒御簾を連想させ、地元ではこの囃子や囃子方のことを『下座』と
   呼ぶのもここからきていると思われます。


                        (引用)  「都市の祭礼 − 山・鉾・屋台と囃子」
                                                 白水社
                                         植木行宣・田井竜一
                                                   より
 時 代 祭
 (時代祭の由縁)
   明治維新の際、市中が戦場となり市街地の半分が消失、東京遷都により
   華族・公家・有力町人が東京に移り、それまで35万人だった市中人口が
   22万人に減少し、その為町おこしとして疎水の造営・市電の敷設など、
   京都復興の一つとして平安遷都(延暦13年・西暦794年10月22日)
   千百年記念に、かつての大極殿を模してその3分の2の規模で、京都市民の
   総意を結集して造営された平安神宮の例大祭として、毎年10月22日
   (平安京遷都の日・旧暦)に行われる。
   祭神は平安京を興した桓武天皇と、後に、京都朝廷最後の天皇・孝明天皇を
   合祀される。

 (時代祭行列)
   時代祭の行列は、都が東京に移される明治維新から京都に都が置かれた
   平安時代へと時代を遡り、京都御所建礼門前行在所から堺町御門を出て、
   烏丸通り〜御池通り〜河原町通り〜三条通り〜神宮道を経て平安神宮に至る
   列の長さ約2キロ・総勢2千名を超える、壮大・華麗な時代風俗絵巻と
   なっている。
 
   先頭を行くのは、戊辰戦争の際東北征討軍
   に 加わった丹波の国北桑田郡山国村
   (やまぐにむら) の有志が組織した山国隊
   (やまぐにたい)で、大正十年より維新勤王
   隊と改められ、勇壮な鼓笛隊が行進する。
   (用いられている笛は六本調子篠笛)
   行列のおおまかな順序は
   明治維新→江戸時代→安土・桃山時代→
   南北朝時代→中世婦人列→鎌倉時代→
   平安時代と、京都朝廷を遡る。
   行列順の詳細は
   @維新勤王隊列A幕末志士列B徳川城使上洛列C江戸時代婦人列
   D豊公参朝列E織田公上洛列F楠公上洛列G中世婦人列
   H城南流鏑馬列I藤原公卿参朝列J平安時代婦人列K延暦武官行進列
   L延暦文官参朝列M神饌講社列N前列神幸列O白川女献花列P弓箭組列
   となっている。

   このように、動く風俗史・風俗絵巻とも言われる時代祭は、五月の葵祭
   七月の祇園祭とともに京都三大祭に数えられている。

   時代祭に、どのような人物がどのような衣裳(装束)で登場するかは、
   1995年 京都書院刊 「時代装束ー時代祭集成」に詳しい。
日本全国には1500を下らない山・鉾・屋台の祭りがあるといいます。
ここではそのなかで、篠笛に関係のある祭りを出来る限り紹介したいとおもいます。