ナミアゲハに関する研究
研究年月日 1989年
(理科研究会 総合賞受賞)

はじめに

 北海道ではナミアゲハ(Papolio xuthus Linnaeus)は、全般的に少なく道北、道東では特に珍しい種である。函館でも、3,4年前までは極めて珍しい種であったが、1986年頃から特に市内で急激に増えてきている。
 食樹は、庭先に植えてあるサンショウの木が主であり、ユズ、カラタチなどからも発生している。そのため市街地に多く、山地帯には少ない。
 越冬した蛹からは、5月下旬から6月下旬頃、斑紋の鮮明な小型の美しい春型(写真左)が現れ8月上旬から9月上旬頃に、地色の濃色な大型の夏型(写真右)が発生する。
序文
 幼虫は1〜5令まであり、4令までは、黒い斑紋のある鳥糞状であるが、終令(5令)に達したものは鮮美な黄緑色となる。
 幼虫に刺激を与えると、頭部から臭角と呼ばれる角のようなものが2本出る。これはオレンジ色で柔らかく、甘酸っぱい強烈な臭いがする。
 蛹は食樹の枝やその周辺で見出されるが、人家付近に多いこともあって、塀や家の壁で蛹化するものもよく見られる。越冬する蛹がそのようなところに付着しているのは比較的見つけやすい。
 蛹には緑色系と褐色系の蛹がある。緑色系か褐色系かの決定は幼虫末期から前蛹期にかけての色彩環境や臭刺激により影響を受ける。
実験1
 蝶類生態図鑑によると、幼虫期間の昼と夜の長さの比がナミアゲハの春型か夏型かを決定する重要な要因であると書かれています。
 函館市内では6月上旬から8月上旬に育った幼虫は、昼の長さが長いため夏型となり、8月中旬から9月下旬に育ったものは、昼の長さが短いので、蛹で越冬し、翌春に春型として羽化するということです。そこで、それが正しいかどうかを確かめる実験をしてみました。
 
 ナミアゲハの若令幼虫9頭(体調4.5mm〜11.0mm)を7月9日に大谷短期大学のサンショウの木より採集、長日群と短日群に分けて飼育しました。
 長日群の幼虫は、夏型になると思われる7月10日から8月上旬までの日照時間で、短日群の幼虫は、春型になると思われる8月上旬から9月下旬の日照時間で育てました。尚、短日群の仮定した夜の時間帯は黒い箱で覆い毎日人工的に暗くしました。
 飼育は、長日群A〜D4頭、短日群A’〜E’5頭の計9頭とし、それぞれ別のプラスティックケースでサンショウを与え、室内の同一場所で行いました。体調の計測は全て3日ごとに行い、実験の結果は、下記の表のようになりました。
各個体の成長過程
長日群 短日群
体長(mm) 日の出
日の入
実験月日 仮定日 日の出
日の入
体長(mm)
A’ B’ C’ D’ E’
4.5 8.0 8.5 8.0 15:00 7月10日 8/29 13:15 4.5 4.8 4.5 7.0 11.0
7.0 11.0 11.5 11.5 14:56 7月13日 9/ 1 13:07 7.0 7.0 7.0 7.0 13.0
12.0 19.0 16.0 14.0 14:51 7月16日 9/ 4 12:59 10.0 10.0 11.6 死亡 15.0
15.0 25.0 20.0 20.0 14:47 7月19日 9/ 7 12:50 14.0 14.0 13.0 20.0
17.0 27.0 25.0 22.0 14:42 7月22日 9/10 12:41 14.0 16.0 15.0 22.0
21.0 32.0 30.0 25.0 14:36 7月25日 9/13 12:33 18.0 18.0 20.0 30.0
24.0 40.0 35.0 30.0 14:32 7月28日 9/16 12:27 22.0 22.0 22.0 35.0
30.0 45.0 45.0 35.0 14:26 7月31日 9/19 12:17 25.0 25.0 30.0 40.0
35.0 緑蛹 緑蛹 40.0 14:20 8月 3日 9/22 12:09 32.0 35.0 35.0 褐蛹
緑蛹 緑蛹 14:12 8月 6日 9/25 12:00 36.0 蛹死 褐蛹
14:04 8月 9日 9/28 11:52 褐蛹
13:55 8月12日
羽化
夏型
羽化
夏型
13:50 8月15日
羽化
夏型
羽化
夏型
13:48 8月16日 褐蛹からは来春、春型羽化予定
*長日群の日の出〜日の入15:00は、7月10日の日の出〜日の入までの時間が15時間ということです。

*短日群の日の出〜日の入13:15は、仮定日を8月29日としたため日の出〜日の入までの時間が13時間15分ということです。
考察
 長日群と短日群で平均的成長を示した各1頭をとりあげて比較してみます。
 長日群Cは7月13日に11.5mm、短日群C’は7月16日に11.0mmと、ほぼ同じ大きさであり、3日ごとの成長は下表のようになりました。
長日群Cと短日群C’の成長過程と体長差
長日群C 月日 7/13 7/16 7/19 7/22 7/25 7/28 7/31 8/3
(mm) 11.5 16.0 20.0 25.0 30.0 35.0 45.0 蛹35.0
短日群C’ 月日 7/16 7/19 7/22 7/25 7/28 7/31 8/3 8/6
(mm) 11.0 13.0 15.0 20.0 22.0 30.0 35.0 蛹30.0
体長差 (mm) 0.5 3.0 6.0 5.0 8.0 5.0 10.0 5.0
 スタートから3日間で差が3mm、終令幼虫では差が10mmもあり、あきらかに長日群のほうの幼虫の成長が早いのがわかります。終令末期の全幼虫の平均でも、長日群は42mm、短日群は37mmと、長日群のほうがかなり大きめであり、昼の長さの長い事が夏型になるための条件と考えて間違いないと思います。
 幼虫が日照時間を判定し、春型になるか夏型になるかを決めて成長していくことはわかりましたが、幼虫のどの期間がその重要な決定をしているかを考えてみたいと思います。
 飼育した幼虫は卵から孵化して数日たってから採集しているので、孵化してからの数日間は春型になるか夏型になるかの決定に関係ないことは間違いないと思います。また、幼虫の末期ではすでに成長の差がかなりあるので終令幼虫では型の決定がされていると思われます。

 したがって、、体長が10mm〜20mm位の2〜3令幼虫の時の昼の長さと夜の長さの比が、春型になるか夏型になるかの重要な決定要素になっていると考えられます。

 蛹の色は長日群の場合は全て緑色系、短日群の場合は全て褐色系となっていることから夏型の蛹は緑色系、春型になる越冬蛹は褐色系が基本となっているようです。
 また、温度がいくら高くても、昼の長さが短いと春型になるという結果もわかりました。

実験2
 序文に書いてあるようにアゲハの蛹が周辺環境の色彩により、緑色系になるか、褐色系になるかを調べる実験をしました。
 実験方法は8月25日にサンショウの木より採集したナミアゲハの幼虫を、人工的に作った緑色の箱と茶色の箱に入れ、飼育観察してみました。もし、色彩環境により蛹の色が変化するならば、緑色の箱に入れた幼虫は緑色系の蛹になり、茶色の箱に入れた幼虫は褐色系の蛹になるはずです。
考察
 下の表は実験2の結果を簡単な表に表したものです。この実験の結果では、緑色の箱に入れた幼虫も茶色の箱に入れた幼虫も、すべて緑色の蛹になりました。(緑色の箱に入れた幼虫も、茶色の箱に入れた幼虫も、色彩環境以外は、日照時間も室内温度も全て同じ条件で飼育しました)したがって、ナミアゲハの蛹の色は幼虫時の色彩環境だけでは決定しないという事がわかりました。
 飼育した幼虫は夏型から生じた個体であり、本来ならば翌春羽化する越冬蛹となるはずであったが、全て緑色系の蛹となり夏型が羽化したのは、室内で飼育したため室内照明のせいで日照時間が長くなったことが原因であると思われます。
 尚、同時期に野外で飼育した幼虫は全て褐色系の越冬蛹となりました。

 次に緑色の箱に入れた幼虫も、茶色の箱に入れた幼虫も、死亡率が非常に高い事がわかりました。最終的に緑色の箱に入れたほうは14島中頭、(64.3%)が死亡、茶色の箱に入れたほうは14頭中頭(57.1%)が死亡、それに、茶色の箱に入れた幼虫のうち、羽化した6頭の中に3頭もの奇形がありました。なぜこのように死亡率、奇形率が高いかは原因不明です。
月日 8/27 9/20〜9/28 9/29〜10/19
緑箱 2令幼虫14頭 緑色蛹6
幼虫8頭死亡
5exs羽化
蛹1死亡
茶箱 2令幼虫14頭 緑色蛹6
幼虫8頭死亡
6exs羽化
(奇形3)

実験3
 ここでは気温の高低による飼育実験をしました。
 実験1の結果から高温で育った幼虫は日照時間が長いと大型な夏型になり、短いと蛹で越冬して小型な春型になるという結果が分かっています。
 今回の実験では日照時間が長くても低温で飼育した場合幼虫が9〜10月と体感して越冬態勢に入り、春型として羽化するかもしれないという仮説をたてて実験をしました。

 実験方法は、幼虫を高温群と低温群に分け、高温群は過去に同じようなデータ(実験1のA〜D)があるのでA〜Cの3頭を日照時間も気温も普通の状態で飼育しました。
 低温群の方は新しい飼育方法なのでD〜Fの3頭と、参考飼育としてG〜Iの3頭を飼育しました。D〜Iは午後10時〜翌朝6時30分までの8時間半の間、摂氏8.5℃の冷蔵庫に入れて幼虫を冷やし、昼の間は自然光を当てて飼育しました。(高温群、低温群とも室内飼育) 
 体長の計測は5日おきに行い、低温群は冷蔵庫に入れること以外は全て高温群と同じ条件で飼育しました。
 実験結果は下記の表のようになりました。
各個体の成長過程
高温群 低温群 参考飼育
体長(mm) 体長(mm) 体長(mm)
月日
4.5 4.5 5.0 7/ 1 5.0 5.0 5.0 7.0 8.5 8.5
6.5 7.5 7.0 7/ 6 7.0 7.0 7.0 9.0 11.0 11.0
10.0 13.0 12.0 7/11 11.0 10.0 9.0 12.0 14.0 12.0
15.0 20.0 19.0 7/16 13.0 11.0 8.0 19.0 17.0 20.0
20.0 32.0 27.0 7/21 20.0 20.0 13.0 23.0 22.0 25.0
37.0 緑蛹 40.0 7/26 31.0 30.0 17.0 37.0 37.0 40.0
緑蛹 死亡 7/31 35.0 40.0 17.0 緑蛹 40.0 緑蛹
8/7
羽化
(不)
8/4
羽化
(不)
8/ 5 緑蛹 緑蛹 20.0 緑蛹
8/10 22.0
8/15 8/14
羽化
(不)
8/17
羽化
27.0 8/12
羽化
8/18
羽化
(不)
8/13
羽化
(不)
8/20 30.0
8/25 30.0
8/30 褐蛹
考察
 高温群A,B,Cの成長を低温群D,E,Fの幼虫の成長と比較してみると、下の表をみてもわかるように、7月1日の時点で体長差が−0.3mm、7月6日では0mm、7月11日では1.7mm、7月16日では7.3mm、7月21日では8.6mm、7月26日では12.5mmと、高温群の成長のほうが明らかに早い事がわかりました。
 しかし低温群D、Eについては緑色蛹になり羽化した成虫も大型の夏型として羽化しました。参考飼育(低温実験)のG、H、Iも夏型として羽化している事から、温度の低さは春型・夏型の決定にほぼ関係ないと思われますが、例外として、Fは幼虫の成長が極めて緩慢であり(幼虫期間2ヶ月以上)褐色蛹になっており、越冬態勢に入りました。
 今回の結果から完全な答えを出すのは不可能ですが、ナミアゲハの春型・夏型を決定する要因は温度にはあまり関係ないのではないかという結論に至りました。但し、再実験を繰り返し行い、信頼度の高い実験にしていく事が必要だと思われます。
高温群と低温群の各日の体長の平均と差
日付 7/1 7/6 7/11 7/16 7/21 7/26
高温群(mm) 4.7 7.0 11.7 18.0 26.3 38.5
低温群(mm) 5.0 7.0 10.0 10.7 17.7 26.0
差(mm) -0.3 0.0 1.7 7.3 8.6 12.5