松前城・勝軍山・階段登り競争
2014.10.1


 本日の活動は対馬先生・部長・1年生部員のI君と私の4人。これまで何回来たかわからないけど松前の勝軍山のアサギマダラ調査だ。

 松前に向かう途中、今日の成果の予想。アサギマダラを何頭見れて、何頭マーキングできるかというもの。部長は2頭見れて1頭か2頭にマーキングできると予想。対馬先生は何頭見れると言っていたかわからないが、5頭マーキングと予想していた。

 自分は今日の調査でアサギマダラが見れなかったらこの活動報告に書くことがなくなるなと思い、ネタ作りのために松前城を撮影した。逆光でちょっと白っぽく写ってしまった。

 

松前城

 松前はもともとは蠣崎慶広という人が支配していたが、1599年に徳川家康に拝謁し、黒印の制書(色々な権限を認めてもらう書)というのをもらい名前を松前と改めて大名になり、松前藩が成立した。そして福山館というお城を1606年に建てた。その後1849年に江戸幕府が北方警備を目的として藩主松前崇広に築城を命じ建てられたものが現在のお城である。(1854年完成)
 ちょうどその頃はペリーが来航し、日米和親条約により下田、箱館が開港した頃だ。(箱館の開港は1855年)

 海に近い城で、外国船からの艦砲射撃に対応するために砲台を作ったり、お城の壁には鉄板を仕込んだりという工夫もされた。

 お城から海までの距離が短く、大きな城にすると目立つので、小さめのお城になったようだ。(財政問題もあったと思うが)
 日本最北のお城という事で、石垣の隙間をなるべく無くすようにして、土が凍結と融解の繰り返しにより流れ出さないようにする工夫も見られている。

 このお城は外国船から攻撃を受けることはなかったが、戊辰戦争の舞台になった。

 1868年に始まった戊辰戦争では、松前藩は最初勤王派(新政府軍)につくことにしていたのだが、東北の諸藩(奥羽越列藩同盟)が旧幕府軍側につこうという感じになってきたときに、松前藩の家老が勝手にこの同盟に参加しようとした。これに憤慨した松前藩の勤王派である正議隊がクーデターを起こして実権を握り、また勤王派(新政府軍)につくことになった。このように松前藩は戊辰戦争の時に勤王派(新政府側)→旧幕府側→勤王派(新政府側)と、何度も態度をひるがえした。

 榎本武揚率いる旧幕府軍は1868年10月26日に箱館(五稜郭)を占領したあと、これ以上の戦闘は避けたいということで捕虜にした松前藩士、桜井某を使者として送った(降伏するようにと)が、松前藩はその藩士を斬殺した。さらにもう一度使者を送ったがこれも殺されたため、土方歳三率いる700名の旧幕府軍が松前城に向けて出発。そして11月5日に松前城を数時間で攻め落とした。

 松前藩はこの少し前の10月20日に厚沢部にある館という地域に館城を築いていて、藩主である松前徳広は11月3日に入城していたが、実際には工事が始まって2か月位であり、城と呼べるほどのものではなかった。そして、松岡四朗次郎隊(旧幕府軍)に攻撃されて11月15日、松前藩は降伏した。松前徳広はこの攻撃の数日前に江差方面に移動していた。そして津軽に逃げた。この松前徳広は病弱であったり精神的な病もあり実際に政権運営には携わっていなかったらしいが、逃げた先で11月29日に喀血し死去したとされている。

 その後、旧幕府軍は1869年5月17日に新政府軍に降伏、次の日には旧幕府軍の本拠地であった五稜郭が明け渡されて戊辰戦争が終結。新政府軍についていた松前藩も館藩という形で復活ということになった。
 2年後には廃藩置県により館県になった。

 と、松前城(松前藩)についての豆知識。

 松前城の写真を撮影し、今年何度来たかわからなくなってきた勝軍山へ。

 天気は良いものの、蝶の姿が見られない。昨日の函館山とおんなじようだ。アザミの花にバッタがくっついていてモデルになってくれたので撮影した。

 が、

 死んでいた・・・・・。

アザミの花で絶命していたバッタ

 蝶の姿が全然見られず、飛んでくる気配も無い。最初晴れていたが曇ってきて、曇り時々晴れって感じ。

 この勝軍山には八十八か所霊場があり、アサギマダラの姿も見られないことからI君と二人で巡ってみることにした。対馬先生によると1時間くらいで巡ってこられるという。

 この勝軍山は、元々は将軍山と呼ばれていたのだが、領主松前義広が蝦夷との戦いに勝った後、1538年に阿吽寺の奥の院として軍神である勝軍地蔵を祀ったため、勝軍山と呼ばれるようになったそうだ。

第三十六番で記念撮影

 最初は登りが続く。休憩所がありそこからは下りが続いたり、斜面を横切るように歩いたり、草が生い茂っていたりどんぐりがたくさん落ちていて、それを踏むとコロコロして足が滑るような感じで転びそうになる。標高215mの小さな山だが、上り下りが何回もあるので結構大変。道の両脇が崖になっていて尾根を歩くような感じの場所もあり怖い。

道の両脇が崖みたくなっている場所。落ちたら死ぬかも

 大体の場所は見通しが悪いが、所々で景色がいい場所がある。そういう所に来た時には足を止めて景色を撮影したりした。

遠くに見えるのは青森

 どれだけキツイ1周になるのかわからなかったので、体力は温存しながら歩いたつもり。でもやっぱり息遣いは荒くなってくる。そんな時、こんな看板があった。

崖の中腹に何かあるの?

 I君に、「行かないよね?」と尋ねると、「いや、僕は行きますよ」との返事。仕方なくついていくことにした。

 道を外れて急な斜面を降りていく。はっきりいって自分は怖い。急なのでずり落ちそう。気を付けてはいたが足を滑らせて転んで尻餅をついてしまった。そのままずり落ちなくて良かった。

 崖の中腹には何やら祠みたいのがあって、その中に何かありそうだった。

洞窟のような祠のような場所
 
 この中には3体のお地蔵さんが置いてあった。

祠の中のお地蔵さん

 また崖を登り道に戻る。そして次のお地蔵さんを目指して進んでいく。

 すると、ちょっと広い場所でに出た。椅子が置いてあったので座りながら置いてあるものの観察。どうやらここは山頂のようだ。

勝軍山の由来 の説明(大事な部分が欠けているが、( )内は
以来、この山を勝軍山と呼ぶようになった
と、書かれいていると思う。

どっちかわからないけど、これが勝軍地蔵なのかな?

 更には弁慶の足駄というのがあった。足駄ってなんだろう??と思いながら説明を読むと、この石に弁慶の足跡があると。どこだろう?と探してみると・・・

これが弁慶の足駄?

 石の裏側にそれらしきものが。けど、この石のくぼみみたいのを名所にしちゃうわけ?と思ってしまった。

歩いているとこのように、行き止まり?と思えるような場所も。
この藪みたいのを潜り抜けて前に進んだ

 なんとか八十八か所を巡り(正確には2,3体の地蔵は道を外れた場所にあり、それはスルーしてしまったが)元の場所に戻ってきた。対馬先生がどっかのおじさんと栗拾いをしていた。アサギマダラは目撃できなかったようだが、やっぱり対馬先生はタダでは帰らない。

 

対馬先生が拾った栗

 1時間もあれば1周できると言われたけど、1時間20分かかった。I君は「頑張れば30分くらいで1周できると言っていた」嘘でしょ!!
 I君は倒れていたお地蔵さんを元に戻したり、良い行いを見せてくれた。

八十八か所のルート案内。短縮コースもあるが今回はフルコースで回った。
全長3300m。芭蕉の句碑と書かれている場所だけスルーした

 もうアサギマダラは諦めて帰ることにした。成果は目撃0。残念だが仕方ない。

 帰る途中、知内の重内神社に立ち寄った。ここには長い階段があるらしく、競争しようという事になったのだ。

重内神社

 

長い階段。見えている部分で半分くらい

 自分が先に中腹の方まで登り、対馬先生と部長とI君で競争することになった。

左が部長、中央対馬先生、右I君

 位置について〜

 よーい

ドン!!!

 高校生二人組が一気にダッシュ!対馬先生は置いて行かれる。さすがに若い奴らの体力は凄い!

猛ダッシュのI君

 二人は私を通り過ぎ、奥にあるゴールに向かい互角の戦いを繰り広げていく。

互角の戦い。I君がちょっとリードか!

 次の瞬間、遂に部長が力尽きた。I君の勝ち!!

体力が尽きてしまった部長

 後から遅れてきた対馬先生。中腹にいた自分と勝負することになった。

 部長がゴールでカメラを構え、I君はスタート地点まで降りてきた。
 
 そしてまた、よーいドン!

 私は猛ダッシュを仕掛けた。一気に対馬先生を引き離す作戦。
 ところが、後ろから物凄い勢いの足音が。

 おおっ、対馬先生来たな!と思い、自分も全力で駆け上がった。が、自分はあっけなく抜かれてしまった。
 えぇ〜っ!そんな速いの??と思って、抜いて行った対馬先生を見たら、それは対馬先生ではなくI君だった。
 
 

あれ、対馬先生に抜かれたんじゃないの〜!!?

 なんでぇ〜!!?

 一気に全力を出してしまったせいで、私も体力の限界を迎え、一段飛びで駆け上がっていたのだが、それが出来なくなり、一段一歩ずつになり、すぐに足があがらなくなってしまってストップしてしまった。その横を対馬先生が抜いて行った。

 負けた・・・・。

 完全に無酸素運動で、完全に息があがってしまった。ゼェゼェだ。

勝負に参加していないI君ゴール、続いて対馬先生。私は完全にストップ・・・

 ようやく自分もゴールしたが、もう動けない。しばらく座ったまま体力の回復を待った。でも怪我しなくて良かった。肉離れでも起こすんじゃないかと思ったから。

何か話している私と対馬先生。何を話していたかは覚えていない
ちなみに何故自分がランニングなのかと言うと、勝軍山巡礼でシャツがベショベショになったので脱いだためだ

完全にグロッキー


ゴール地点からは海に向かって真っすぐの道路が。綺麗な景色だけどそれを見ている余裕もなく、部長が撮影していてくれた写真

 そんな感じで、今日は勝軍山にアサギマダラを探しに行ったものの目撃0、何故か勝軍山八十八か所巡礼を行い、最後は重内神社で階段ダッシュ競争をして終了となった。有酸素運動と無酸素運動。ちょっと痩せたかな???