イカ釣りと函館山
2014.8.24


 先日、職場の同僚(お互いに今年転勤してきた)で小中高大と全部同じ学校(中学では部活も一緒)で2年後輩のKさんにイカ釣りに行きませんかと誘われていた。彼は釣りが大好きなのだが、対馬先生つながりで今年船を購入。一度誘ってねとお願いしていたのだ。

 これまでも何度か誘ってくれていたのだが日程が合わず、ようやく今日彼の誘いを受けることが出来た。対馬先生も船を出すという事で、2隻の船で行くことになっていた。

 朝の4時20分に対馬先生宅に到着し、ここから一緒に住吉漁港まで行った。Kさんはすでに到着していた。

 今日は天候があまり良くない予報で、波が高ければ中止と言う事だったが、ちょっと波はあるけどなんとか出航できそうだという事で、イカを釣りに行くことになった。昨日実家の母に「明日イカ釣りに行くから、釣れたら持ってくるね」と言っていたので、なんとか3杯位は釣りたいなと思っていた。

 漁港で先に来ていたKさんに挨拶をし、船を港に降ろす作業開始。自分は何もできないのでただ黙って見ているだけ。そしたらKさんがやってきて、「しゃがんだとき胴長のお尻が破けた」と見せてくれた。今日の写真撮影はこんな写真からのスタートになった。

破けたKさんの胴長。これなら脱がなくてもウン子できるかもね!と笑った

 それにしても胴長のお尻が破けるなんて、どうも縁起の悪いスタートである。この時点で自分はちょっと先行きが心配になった。

 船は車でけん引して漁港のスロープみたいところから降ろす感じ。さっき縁起が悪いかもと思ったので、ここで船が沈没するとか、車ごと海に突っ込んで行ったりするんではないかと少し心配になったが、何事もなく無事に出航することが出来た。

船を降ろすKさん

 以前、対馬先生の船で釣りに行ったことはあるが、今日はKさんの船に乗せてもらう事にした。イカ釣りは水深が深いところでするらしく、けっこう沖合に行くようだ。

対馬先生の船

 漁港から出た瞬間、びびった!波が高い!!船が上下に揺られ、ジャンプするような感じで「ダンッ!」って水面に打ち付けられる。まるでジェットコースターみたい。救命胴衣はつけているけど、ジェットコースターみたいに体を固定されているわけでもなく、下手をすると海におっこちるんじゃないかと不安になった。

 少しして先に行っていた対馬先生と合流したが、合流する直前Kさんは「やばいですね。きっと対馬先生は「危ないから帰ろう」と言うと思います」と言った。なので、今日の釣りは中止だなと思った。これだけ波があったら仕方ないか・・・。

 ところが対馬先生と合流すると、対馬先生は「大丈夫だ」と言った。

 Kさんは対馬先生の予想外の答えにどう思っただろう?

 どうも自分が重すぎて、船の前の方が沈み、海に突き刺さるような感じになって沈没するのではないかと思っているようだ。

 なので、Kさんの船より少し大きい対馬先生の船に乗り移った方がいいかもと思い、海の上で対馬先生の船に乗り移ろうかと思ったが、波が高すぎて乗り移れなかった。

 しかたないので、Kさんは私を乗せたままゆっくりとイカ釣りのポイントに向かった。

イカ釣りのポイントに向かう途中の太陽

 先ほど対馬先生と合流してから、まだかなり船は沖合に向かっていったが、少しだけ波の状態は改善しているように感じた。ジェットコースタみたい感じだったが、それも慣れてきたせいか、楽勝に思えるようになった。

 どうにか最初のポイントに到着。すぐに釣りスタート。自分は竿を持っていないので、とりあえずKさんに1匹釣ってもらって、それを見てから竿を貸してもらったりしようかなと思った。しかし、最初のポイントでは全くアタリが無く、何度かポイントを変えることになった。

 ポイントを変えるたびに水深の深いところを目指しているようだった。水深140mとか。釣れた時にリールを100m以上巻いたりするのは大変なので、使っているのは電動リールである。

 何度かポイントを変えているうちに、ようやく最初のイカが釣れた。

 イカは黒々していた。

 よく函館のスーパーや市場では真っ黒な活きのいいイカが売っている。
 以前、帯広時代の同僚に函館のイカを送った時、宅急便で到着したイカが真っ黒だったので「腐っていると思った」と言われたことがある。あまり詳しくない人は、イカは白いのもだと思っている。

 しかし私は、一番新鮮なイカは真っ黒なんだよ!と得意げにその同僚に言った事を覚えている。が、これもある意味間違いなんだという事を今日知った。

 イカは釣った時すぐに生き締めをすると鮮度が落ちないらしい。Kさんは

 「先輩見ててください、一瞬で真っ白になりますよ」と、生き締めを行った。

 すると本当に一瞬で黒かったイカの足より上の部分が真っ白に変わった。これにはびっくり!

釣ったイカを生き締めしたところ

 市場やスーパーではこんな風に売ってない。胴体も真っ黒なまま売っている。でも生き締めして白くなった方が鮮度を保てるのだと教えてもらった。

 それにしても今日は波が高く、そしていつもより釣れないようで、対馬先生も苦労しているようだった。

 対馬先生の船と我々の船がある程度近い位置で釣っている時、ふたりの竿の仕掛けが絡まってしまった。外すのに一苦労していた。

 この時すでに私は船酔いに襲われていた。気持ち悪い。波が高いせいだと思う。

 船酔いは車酔いとほぼ症状が一緒。気持ち悪くて吐き気がする。とくに近いものを見た時に気持ち悪さが増す。

 Kさんがイカを釣り上げ、それを私にくれて、クーラーボックスにしまおうと思いビニール袋を探したり、それをビニール袋に入れて袋を縛ろうと手元を見たり、とにかく近くのものを見ると気持ち悪さが増していく。当然二人の絡まった仕掛けなんかを見た日には更に気持ち悪さ倍増なので、二人が仕掛けを外すのに苦労している姿を見るのも嫌でずっと遠くを見ていた。しかし、これは今日の活動記録にいいネタだなと多い、気力を振り絞って数枚撮影した。
あー気持ち悪っ!

絡まった仕掛けを外そうと悪戦苦闘している二人

 仕掛けはなんとか外れた。

 船酔いしている自分を見て対馬先生は大笑い。でも

 「あまり釣れないしもう帰ろうか」と言ってくれた。正直「助かった」と思った。

 しかし、絡まった糸が外れてから少しだけイカが釣れだしたので、帰るのを中止してもう少しイカ釣りを続けることになった。

 「オエ〜ッ」

 もう釣りなんてする気分じゃない。生あくびがたくさん出て、横になって寝たい心境。でも、そのおかげで3杯でいいと思っていたイカを5杯もらえた。

 あまり釣れなかったのでもらった5杯は全部の釣れたイカの半分以上。まともに自分では1杯も釣っていないし、船も便乗させてもらっているのに申し訳ないと思ったが、「俺たちはいつも釣っているので全然問題ないよ」と言ってもらった。

 ちなみに、海底付近(140mとか)でイカが釣れた時、電動リールで巻き上げるのだが、一度だけ針にかかったイカを巻き上げる体験をさせてもらった。正直、かなり重かった。

 帰りはなんとか対馬先生の船に乗り移って、対馬先生の船で漁港まで帰ることが出来た。対馬先生の船の方がちょとエンジンの馬力が大きいらしく、早く漁港に戻ることが出来る。一秒でも早く漁港に戻り船から降りたいと思っていたのだが、何故か対馬先生の船で移動しだすと船酔いが治った。

 さっきもKさんの船でポイントに向かう途中は全く酔わなかったので、自分は船が止まった状態の時に波のせいでフワフワ船が上下している感じに酔うんだなと感じた。

漁港に戻ってきて船を降りたところ。函館山がばっちり見える

 漁港では何人かのおじさんが、手竿でサバだかチカだかを釣っていた。自分にはこっちのほうがお似合いなんじゃないかと感じた。(船で酔ったので)

釣りをしているおじさんたち

 Kさんとはここでお別れ。自分と対馬先生は、天気が良くなってきたのでアサギマダラを探しに行こうという事になった。とりあえず対馬先生宅まで戻って、自分はイカを実家に届けるために一時帰宅。10時過ぎくらいに横津岳の麓近辺の駐車場で待ち合わせとなった。

 約束の時間ちょうど位に横津岳の麓に到着。対馬先生の車に乗り換えて標高900m位の旧スキー場のアサギまだだポイントに向かう。標高が上がると雲が多くなってしまい、また、アサギマダラが好むヒヨドリバナも枯れかけのものもあるくらいで、アサギマダラを発見することは出来なかった。

アサギマダラを探す対馬先生

 ばんだい号の慰霊碑に向かう所も見てみたがアサギマダラは発見できなかった。

慰霊碑に向かう林道で見つけたクジャクチョウ

 慰霊碑に向かう途中で対馬先生が「これから先も時間取れるのか?」と聞いてきたので、

 「取れるもなにも、夜まで大丈夫ですよ」と答えると、「それならこれから函館山に行こう!そっちのほうが可能性が高いかも」

というわけで、横津岳を諦めて函館山に向かった。

 ちょうど漁港から撮影した函館山の画像(上の画像)で、頂上から左側の尾根付近を捜索する計画である。

 函館山は今から100万年以上前の噴火でできた山と言われている。
 そして、当時はもっと高い山だったらしい。しかし、表面の柔らかい部分が風化などで崩れて硬い岩盤の部分だけ残り、今のような形になった。
 
 標高は334m。周囲約9km、南北に4.5km、東西に1.5kmほどの山である。
 1900年位から函館要塞として一般市民の立ち入り等が禁止され、地図にも記載されない時期があった。
 後に津軽要塞と名前が変更されるが、1945年の終戦を迎え、1956年に一般にも開放されることとなった。一般市民が立ち入ることが出来なかったこともあり、重要な自然が多く残された。

 670種の植物、150種の野鳥(120種が渡り鳥、30種が留鳥)、そして近年はアサギマダラの北上や南下の中継地点でもあるという事がわかってきた。

 対馬先生の車で行ったのだが、対馬先生が「眠い」というので自分が運転して尾根付近の駐車場まで行った。

尾根付近の駐車場から見える頂上

 気温は思いのほか高く、ムシムシしているのも手伝って暑い。歩いていると汗が出てくる。こんな観音様が何か所かで見られた。

観音様

 この観音様は、函館山にある三十三観音のひとつである。
 三十三観音は西国が有名なのだが、西国まで行かなくても御利益を受けられるようにと、函館の称名寺の住職がお願いして1834年に函館山に作られたものだそう。

 建立にあたっては西国から土砂を持って来て、その上に観音様を配置した。

 1899年に函館山が函館要塞となったときに一番、三番、三十三番以外は湯の川村に移動させられたが、1915年の復帰運動で観音様を新しく造りなおして再び配置された。

 大戦後の1948年には函館山全山に配置して、函館市と函館仏教会が保存いているものだ。

 函館山の登山口に一番、そこから2kmほど先にある称名寺に三十三番がある。
 写真のは第十五番で、横にある看板みたいのには、

 「むかしより、たつともしらぬ、いまぐまの、ほとけのちかひ、あらたなりけり」と書かれていた。
 
 また、函館山の裏側からの景色も見渡すことが出来、ヨットが見えた。

ヨット

 歩いていると、蜘蛛の巣に引っかかったセミを発見。翅をばたつかせてもがいていた。自分ならそのままにしておくんだけど、対馬先生が「可哀想だから助けてやろう」と、網で救出した。


クモの巣に引っかかっていたセミ

 助けたセミをフキの葉に置いて撮影した。ミンミンゼミだと教えてもらった。

 ミーン、ミーンと鳴くセミで、自分は気づかなかったけど、十勝方面では見られないセミらしい。背中に青っぽい色の模様が付いているのが特徴だと教えてもらった。

ミンミンゼミ

 函館の市街地方面も見渡すことが出来、今朝イカ釣りをした時に出航した住吉漁港を見ることが出来た。

 朝、住吉漁港から函館山を撮影したんだけど(上の写真)、今度は山から住吉漁港。

住吉漁港

 

住吉漁港(写真右側)から函館市街地方面を望む

 アサギマダラを期待して来たが、残念ながら発見することが出来なかった。ちょっと残念だったけど、帰りはちょっと違うルートを通り、車に戻るまで道を下って、登ってと言う感じでけっこう疲れていい運動になった。

 朝から釣りをして船酔いをして、横津に行って函館山に行ってとかなりたくさん活動することが出来た。

 もらった5杯のイカは実家に持って行き、妻と母と私の3人でイカ刺しやイカフライとして美味しくいただいた。