作者プロフィール

・飯島英之(いいじま ひでゆき)
・1942年長野県生まれ
・20歳まで自然豊かな安曇野で育ち高校時代はサッカーで国体、インターハイ出場も
・21歳〜中堅生保に入社、全国転勤にて、各地の焼き物を見聞、美術品を見る目を養う
・1998年会社を退職し陶芸を始める
・我流ながら、地元の温泉施設、郵便局にて展示会を開催するまでにレベルアップ
・役場主催のカルチャースクール、陶芸講座の講師も務める

作者プロフィール

私と陶器との出会い

35歳まで、私は仕事一途で無趣味な男でした。「ぼつぼつ、仕事の他に何か一生涯を通じて打ち込める趣味でも持たねば・・・。」そう思っていた矢先のことであります。転勤先の新潟 長岡の駅前広場で、それは売られていました。沖縄「琉球時代」の、使い古した素朴で、家庭の匂いがする、どこか懐かしい古陶達です。その中から骨董品としても価値のありそうな、武器としても使ったと見られる「泡盛」を入れた「壷」を購入しました。それからというもの、陶器に対する興味が次第に大きくなっていきました。


  観賞〔見る〕

 その後、栃木で仕事をすることになり、民芸で有名な「益子焼」近隣の『笠間焼き』に触れる機会に恵まれました。時間があればその地に足繁く通いました。不思議に、観ても観ても飽きない自分がそこにいました。

 それからと言うもの全国の「焼き物産地」、美術館、展示会場、個展等々、機会があれば足を運び、陶器を観賞するようになっていました。その中で多くの作者、作品と出会ったことも、私にとって良い財産になっております。  


  作陶を始める

 『観て』楽しむだけで、『作る』事に全くズブな素人だった私が、作陶にチャレンジしたのは会社を退職した1998年のことです。長年の夢だった、陶芸を始めたのです。1年半ほど陶芸教室に通い、基本を学びました。その後、轆轤(ろくろ)を購入し、灯油窯を築き、「陶芸の本」、「収集した作品」を師とし、陶芸の先人達からもご指導を頂きながら腕を磨いてまいりました。とは言っても、『自由気ままに、楽しみながら』を基本にし、泥と轆轤(ろくろ)に戯れ、釉薬(ゆうやく)作りも試み、そして炎と向き合い、試行錯誤失敗を繰り返しながら拙い作陶に励んでいます。轆轤(ろくろ)を廻しているとき、窯から作品を取り出すとき、最高に至福を感じる時間です。

 
  陶灯〔あかり〕作りについて

あかり』は人間が人として営みを始めた時から、人間だけが成し得る事が出来た、非常に歴史の古い、身近なものであり、文化の物差しであり、『』であったように思われます。バブルがはじけてから、経済、社会環境等暗い時代が続きました。そんな折、『』で、温かく、楽しい、人の心を癒す、『陶灯』を作ってみようと思い「陶灯作り」にチャレンジをしました。作陶に当たっては土の吟味,焼成の試行錯誤を繰り返しながら「」と「」の特性生かかした色合い引き出す事に苦心、傾注をしています。


 陶芸活動について

 村の文化活動の陶芸講座のインストラクター、又陶芸倶楽部の仲間達と「わいわい、がやがや」楽しく、世界でひとつしか無い、自慢の一品作りに励んでいます。又、近くの公共の施設での展示会も毎年実施しており大変な好評を頂いており、「我が家にも1つ欲しいね。譲って頂けないか?」 そんな声をお寄せ頂く事が多くなりました。

長岡で出会った『壷』

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マグカップの高台を作っています