用語解説
山田郡誌:昭和14年3月発行、山田郡教育会
*嘉暦(かりゃく) : 年号(1326.4.26~1329.8.29)。正中の後、元徳の前。後醍醐天皇の代。
*北条高時(ほうじょうたかとき):鎌倉幕府第14代執権。最後の得宗。新田義貞の鎌倉を攻めで東勝寺で自刃、鎌倉幕府は滅亡する。
*匿(かく)れ:人目をさける
*中曽根紺右衛門(なかそねこんえもん)、
*磯田藤十郎(いそだとうじゅうろう)、
*細金日向(ほそがねひゅうが)、
*東林坊(とうりんぼう)、
*高森信濃(たかもりしなの)、
*谷大掾(たにだいじょう):国司の四等官、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の大掾
*林伊賀(はやしいが)
*何許(いずこ):どこ、どのへん
*蓋(けだ)し:おおかた、おもうに
*官軍(かんぐん):朝廷側の人
*往古(おうこ):遠い過去、大昔
*衰廃(すいはい):おとろえすたれること。
*草蕪(そうぶ):雑草のおい茂った土地。荒れ地。
*天正年間(てんしょうねんかん):1573~1593
天正(てんしょう)十八庚寅年(じゅうはちかのえとらどし)1590年、秀吉関東平定、家康江戸城に入る。
*同巧異曲(どうこういきょく):同工異曲または異曲同工(手法は同じだが趣のことなること、又見かけは異なっても中身は同じことにもいう)
*原據(げんきょ):もとになるよりどころ
*高森忠國(たかもりただくに):
*藤原定房(ふじわらさだふさ):吉田定房(1274~1338) 鎌倉後期・南北朝時代の廷臣。後醍醐天皇の討幕計画を幕府に密告したが、天皇の信任厚く、建武新政府に重きをなした。南北分裂後は初め北朝、のち南朝方。日記「吉槐記」がある。
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*武陵桃源境五箇荘的郷(ぶりょうとうげんきょうごかのしょうてきさと):武陵源は中国湖南省景勝地、五箇荘は熊本県の隔絶された 隠田集落。
*浅原村(あさばらむら)大平(おおだいら):現みどり市大間々町浅原
*榊原式部大輔(さかきばらしきぶたいふ):[1548~1606]徳川家康に仕え、姉川・長篠などの多くの戦に軍功をあげ、徳川四天王の一人に数えられた。関東入部後、上野(こうずけ)館林で10万石を領した。
*寛永(かんえい)年間:元和の後、 正保の前。1624~1645年
*籏下(はたもと)
*設楽長兵衛(したらちょうべえ):幕府代官
*采地(さいち):領地。知行所。
*正保(しょうほ):1644~1648年、寛永の後、慶安の前。将軍は徳川家光。
*松平泉守(まつだいらいずみのかみ):松平和泉守乗寿
*寛文(かんぶん)年間:(1661.4.25~1673.9.21)。万治の後、延宝の前。
*徳川綱吉(とくがわつなよし):5代将軍。1661年15才で館林藩主となる。
*天和(てんわ):(1681.9.29~1684.2.21)。延宝の後、貞享の前。
*分給(ぶんきゅう):分け与えること。
天和分給:館林藩領は延宝8年(1680)綱吉が将軍職を継承すると,天和2年役料地方直しにより分給となった。
*甲斐荘喜右衛門(かいのしょうきえもん):楠木正成の弟楠木正季の子孫が河内国錦部郡甲斐庄を領有し、甲斐庄を名乗ったことに由来。甲斐庄正親。加増を重ね天和2年4000石の大身となる。
*明治元年(めいじがんねん):1868年。
*岩鼻懸(いわはなけん):明治4年7月14日廃藩置県当初に設置された県。府県名は都市名(府県庁所在地)を付けたもの。高崎市岩鼻町。
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