出発関連資料    疎開先  東京都下北多摩郡 東村山町萩山

 
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 昭和19年8月21日 出発

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疎開っ子おばさんより


アッツ島やサイパン島の玉砕(戦って全員で潔く死ぬこと)の

ニュースが伝わる中、実施された疎開でしたが、子ども心に

日本が負けるなどとは思ってもいませんでした。

子どもの意思には関係なく、決められたことに参加したので

す。今ならサマーキャンプぐらいを思い浮かべるかも知れせ

んが、たちまち いつ終わるかも解らぬつらい日々がはじまり

ました。

親としては 東京にいれば皆が死ぬことになるかもしれない

せめて子どもだけは助けたい という気持ちや、お茶の水ら

離したくない などの親心と、既に警報が頻発し,消火訓練に

駆り出されたり、、食料の入手が困難になっていたりという社

会状況でとにかく子どもだけでも安全な場所へ、と思ったとい

うことです。都会には国民学校(小学校)が存在しなくなる状

況でもありました。
学校より指示された
持ち物一覧
      

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 久米川郊外園付近地図と
 各寮舎


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出発時壮行式答辞

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                 答 辞

今日は、校長先生初め諸先生方のお出でをいただきまして、私達の為にこのように盛大な壮行式をおあげ下さいましたことを、まことに、ありがたく御礼申しあげます。
殊に、校長先生からは、私達に対し、有りがたい御教訓をたまはりまして、ほんたうに感激にたへません。
疎開する学童を代表いたしまして、厚く御礼を申しあげます。
今や、憎むべき敵は、我が内海洋にまで迫って来ましたので、それを撃滅する大決戦の日も近づいて参りました。
それまでは、我が帝都を大人の方に十分守っていただく為に、私達
少国民は、みんな地方に疎開することとなりました。私達も久米川の郊外園に、集団疎開をすることにしていただきまして、いよいよ、今日これから出発いたします。
私達は久米川の疎開学園にまゐりましてからは、一層よく先生方の御教訓を守って、戦時下の少国民として一生懸命に勉強し、、勤労して、からだも、心も、十分に鍛へあげて、ほんとうに、立派な国民となる覚悟でござゐます。
今度の大戦争は、我国にとりまして、三千年の歴史にない最も重大な国難であります。私達は、小さいながら、一日も早くお国の役に立ちたいと願ってをりますが、しかし、その日が来るまでは、しばらく地方にをって、身体と精神とを、十分鍛錬いたしてまゐります。
さうして、将来は立派な皇国臣民となって、この大事なお国を守ることを、かたくお誓ひいたします。
帝都の守りに残られる先生方には、どうか、お国の為に、十分ご健康をお大切にして下さいますやうお祈り申し上げます。
また、残留のお友達には、しっかり練成していただくやうお願い申し上げます。甚だ簡単ではござゐますが、これをもって、御礼の言葉といたします。
ほんとうに有りがとうござゐます。では、元気に行ってまゐります。
  
  昭和19年8月21日
     
     東京女子師範学校附属国民学校 疎開児童代表
             第三部六学年   上 坂  修 夫


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