昭和19年8月21日 出発
↓ここをクリック
|

疎開っ子おばさんより
アッツ島やサイパン島の玉砕(戦って全員で潔く死ぬこと)の
ニュースが伝わる中、実施された疎開でしたが、子ども心に
日本が負けるなどとは思ってもいませんでした。
子どもの意思には関係なく、決められたことに参加したので
す。今ならサマーキャンプぐらいを思い浮かべるかも知れせ
んが、たちまち いつ終わるかも解らぬつらい日々がはじまり
ました。
親としては 東京にいれば皆が死ぬことになるかもしれない
せめて子どもだけは助けたい という気持ちや、お茶の水ら
離したくない などの親心と、既に警報が頻発し,消火訓練に
駆り出されたり、、食料の入手が困難になっていたりという社
会状況でとにかく子どもだけでも安全な場所へ、と思ったとい
うことです。都会には国民学校(小学校)が存在しなくなる状
況でもありました。
|