疎開生活 初期

準備期間が短く、しかも他の学校のようにお寺や宿屋のような屋根のある場所での
生活ではないので、寝る場所のみ近くの農家などに分宿したが、朝起きると先ず農園
(疎開学園)まで歩き(離れている宿舎の場合は20分ぐらい)洗面をするところから
1日の生活が始まる。

3度の食事も勉強も全て戸外なのである。はじめのうちは食事をする椅子も机もなく、
地面の上にじかに座っての生活であった。

昭和19年(1944)から20年(1945)にかけての冬は、例年になく寒く食料も充分では
ない、幼い子どもにとって過酷な日々がはじまるのである。
警戒警報・空襲警報が頻繁に発令されるようになるのは11月に入ってから、初期は
まだ穏やかな日記が多い。防空壕は男子高学年の生徒と先生が5ヶ所に掘った

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 地面でご飯

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 先生のお給仕 

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 地べたで食事

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 地べたで食事

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