我 が 家 で 過 す 福 光 再 疎 開 ま で
4月1日〜4月9日
4月1日、突然再疎開についての発表があり、早い人は午前中から迎えの家族が
来て、慌ただしく荷物をまとめ、帰りたくて帰りたくてたまらなかった我が家に帰った
のであった。
中には家が焼けて引っ越した先まで学校からの連絡が行かず、3日になって先生に
つき添われて家を探して やっとたどり着いた人もいた。家の人もビックリした様子が
書いてある日記もある。
この期間は一様に絵日記の 絵 が描かれていない。
子ども心にとって、よほどうれしく夢のように過ぎた日々であったことは、そのことでも
解る。絵を描く場所は空けてあるが空白である。
途中からホームページをご覧になった方へ
絵日記は年数が経っていますし、紙質も悪いので実物は見にくいと思います。
ここでは絵日記をクリックすると拡大されて、少しは見易いような方法で工夫してあります。
また文章は旧かなづかいで読み慣れない方が多いと思いますので、あえて現代かなづかい
に直し,ひら仮名も読みやすい程度の漢字にして、右の欄に抽出してあります。
記録として見ていただく為に ○年女子・○年男子として名前は出して居りません。
下の絵を大きくして見たあと元に戻すには、左上プラウザの 戻る ボタンを押して下さい
| 4月1日(日)晴 5年女子 ↓ここクリック |
今日から4月だ。この間の着きよりは、もっとよい子供で生活して行こう。朝 黒板に再疎開の事について書いてあった。皆、こくばんをとりまいて わいわいさわいでいる。私は見に行かなかったが、みんなの話を聞くと今日お母様方がいらっしゃって、荷物を大体作って洗濯物を持って私達といっしょに、しばらくお家へ帰るのだそうだ。 ↓ 下に続く |
| ↓クリック | お母様方がいらっしゃる。どんどんと。 主事先生のお話があった。高田先生のお家のすぐそばだそうだ。お母様がいらっしゃらないうちは、おちついて日記も書けない。縁故疎開か集団疎開か。胸がどきどきしている。お母様がいらっしゃった。私は集団疎開にはいることになった。お昼食をいただいて寮舎の方に行った。 早く帰りたくて帰りたくてたまらなかった。やっと荷物の整理がついた。リュックを背負ってふろしき包みを持って行く。うれしくて飛び上がって歩いた。電車に乗るのも楽しい。何もかもみんな楽しい。下落合で降りて駅のまわりを見渡した。前とは少しずつ変わっているように思われた。玄関のベルを押すとなつかしいお姉さまが出ていらっしゃった。お父様に飛びついた。何だかまぶたが熱くなるのを感じた。 すぐ手を洗ってピアノにかじりついた。ソナチネなどすっかり忘れてしまって つっかえてしまう。 お家でいただく食事など めずらしくて、かえっておいしく楽しくいただいた。 夜 ひさしぶりでお母様とおふろにはいった。そうしていっしょに寝た。夜 にくらしいB29の空襲があった。帰ってきた早々しゃくだなと思った。 |
| 4月2日(月)晴 6年女子 ↓クリック |
「うう〜〜」というサイレンの音で目がさめた。お母様はもう防空服装をしていらっしゃる。私が起きあがるとお母様は「美知子ちゃんは、空襲になるまで寝ていていいですよ」とおっしゃったが、何だかこわいので起きていた。時計を見るとまだ1時ごろだ。 敵の十もくひょうが(注 ママ 意味不明)次々とやって来る。私は1人で防空壕に入っていた。 時々「ド ド ドー」とすごい音。「美知子ちゃん出てきてごらんなさい」と言われて外へ出て見ると、前の方が真っ赤だ。「照明弾なども落としているのだよ」と お兄様の声。お母様は「東京はこわいでしょう。美知子ちゃんも早く疎開した方がいいわよ」とおっしゃった。私は「ああお家は良いけれどやっぱり疎開した方が良いんだ」と思った。警戒警報は4時ごろ解除になった。それからひとねむりした。めをさますと、もうお家の人は起きて ↓下に続く |
| いらっしゃる。急いで起きた。 朝食が終ってからお父様や、お兄様、お姉さまなどは学校へいらっしゃった。お母様と私は お家でお話をしたりした。久しぶりにお使いにも行った。 夕方お風呂に行った。お母様のお背中を久しぶりに洗った。お母様は、ずい分ふとったのにびっくりなさっていた。 先生の評 七里さんの素直なところが大変よく表 れていますね。 |
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| 4月5日(木)曇 5年女子 |
今日は 朝床屋さんに行った。もと パリージャン と言っていた所が、いつの間にか「山崎」と言う床屋さんになっていた。(注 戦争中は英語フランス語は敵国語ということで使えなかった)女の人が刈ってくれた。ずいぶん待ったので、家へ帰ったのはお昼近かった。私がいない時に西塚先生が2時ごろ遊びにいらっしゃいとおっしゃったそうだ。 お昼のご飯がすんでから少しして、西塚先生の所へ行った。途中でお家をこわすのを見てしまった。ぐらぐらとゆれたかと思ったらぺシャンとつぶれてしまった。あとのほこりのすごいこと。もうもうとたつ えんまくみたいだった。 お家へつくと利子先生が出ていらっしゃった。そして明子ちゃんや、真佐之ちゃんのにお手紙を書いた。そしてとても楽しい時を過した。いろいろなものをいただいて家に帰った。 注 家が建て込んでいる場所では強制疎開とい う建てものの取り壊しが行われた。 4月6日 6年女子の日記 目白通りは両側大部分強制疎開で壊して いる家の柱を縄で結び、戦車で引っ張るの だ。がらがらがらとすごい音と共に、土ぼこ りが一度にあがる |