阿 波 丸 の こ と
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1 6年女子 是松 靖子 さんの 絵日記
2 昭和63年に書いた 随想 より
3 阿波丸と疎開に関する短歌
1 6年女子 是松 靖子 さんの 絵日記
是松靖子さんは途中からの参加です。この頃になると、
進学のため6年生の疎開参加者が急に増えて来ます。
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1月18日の日記の最後の2行にお父様のことが書かれています。
次に載せてある 小笠原靖子さん←旧姓是松靖子さん の文章を読んで頂ければ、
このお母様の不安は的中し、お父様は乗られた 阿波丸と運命を共にされたことが解ります。
私達もこの記録をしたことによって、はじめてこの事実を知ったのです。
卒業の為に是松さんは集団疎開から3月10日に東京に帰られました。お父様は はじめ
2月10日頃に飛行機で帰られる筈でしたが、安全な船があるのでそれに乗ってお帰りになる、
という情報があったまま何の消息もなく、4月にお父様の乗られた船はアメリカの潜水艦の
魚雷によって沈められていたのです。
しかし当時のこと、当然発表や知らせはありませんでした。疎開船対馬丸と全く同じケースです。
不安な日々を過されるうち、6月頃に阿波丸が沈んだことが噂として聞こえて来て、お父様が
亡くなられたことは、嫌でも認めざるを得ない状況になりました。
そしてその事実は、保障もされないまま戦後の日本の政治の犠牲になることに繋がって行くのです。
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