空 襲 が は じ ま る 11月-2
日記の中に分廠(ぶんしょう)補給廠(ほきゅうしょう)へ
行った という記述が良く出て来ます。
陸軍兵器補給廠 小平分廠ーりくぐんへいきほきゅうしょう こだいらぶんしょう
草むしりに行ったり、たき木をもらいに行ったり・・・今思えば何と危ない所へ
行っていたものか。オドロキですね。
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前回面会人から食べ物をもらった罰で、面会が1回ぬけている |
11月25日(土) 曇 6年女子 今日もまたケイカイケイホウになった。 おひる前にやはり警報があった。そしてしばらくするとかいじょになった。 明日は警報発令しなければよいのに どうかなりませんように (注 明日は面会日)そのあと作業をした。おいもほりのあとの畠で整地をした。とてもほりのこしのとてもたくさん出て来た。 夜宿舎へかえってから、明日かえす物のお支度をした。 ああ明日がまちどおしい。なんと4週間ぶりにお母さま方にあえるのだ。うれしくてうれしくてたまらない。 |
| 11月30日(木) 雨 6年女子 昨夜の11時半頃警戒警報が発令されたので みなはねおきて着がえをして、一寸たってから空襲警報が発令されました。急いで毛布を持って列をなして防空壕へむかいました。川の向こうにあるのでその川にかかっている橋を渡る時すべって大へんでした。壕の中にござを敷いて腰を下ろしました。うとうとしているうちに解除になったので又二階に上がってごろ寝しました。 どの位ねたかしりませんが、また空襲が発令されました。雨は降っているし、道はすべるし大へんでした。橋がものすごくすべります。最後のところでつるっとすべって壕の中にすべり込んでしまいました。佐竹さんと高瀬さんと福場さんと三雲さんは、川の中にすべりこんでおしまいになりました。 ごふじょうへ行きたい人はバケツの中にしました。そのバケツをひっくりかえしたり大さわぎしました。 由良さんは空襲もしらないで「グーグー」ねていらっしゃって,後から先生が由良さんがいないというので、さがしにいらっしゃったらちゃんと寝ていたというので大笑いしました。 6時頃空襲も解除されたので、又寝ました。ふとんの有難さがしみじみと感じました。下のラジオがラジオ体操などしているので、何だかおかしくてねむれませんでした。 8時頃全員起床でとび起きました。夜明け石田先生がわざわざ今日は寝坊して良いと言いにきて下さったのです。 学園に来たら、まだこちらの宿舎の人たちはねていました。 朝食は10時頃すまし、昼食は2時頃たべました。 兎が死んでしまったので、石田先生が皮をおはぎになりました。兎の皮は、ろうかに打ちつけました。何だか気味が悪いでした。地理の時間にはお風呂へ入りました。とてもいい気持ちになりました。 |
注 1 11月30日の3枚の絵日記の真ん中の絵 見たことある!と思われた方。
そうです!このホームページに 疎開っ子おばさんからの説明や、トップ
ページに戻る などに登場する ロゴマークは、この絵を使っています。当時6年
西川幸江さんの絵です。
その頃はやっていた くるくるくるみちゃんと いう漫画に似せて描いてあります。
注 2 お風呂は1週間に1回、洗髪は10日に1回。湯船が五右衛門風呂だったため
(鉄のお釜風呂なので、まわりに肌が触れると熱い)4人1組で入るのですが、湯船
に2人、洗い場に2人、というようにして入るのです。
水は井戸から汲み上げ、当番がリレーで運びました。