3月が終るまではいつもと変わらぬ生活をしていたのですが、4月1日 

 突然 再疎開が発表され、久米川での 日記 は、31日で終了します。

 1日から4月9日に富山県福光町に出発するまでの、8日間を我が家で

 家族と過すことになりました。


 久 米 川 で の 生 活

所在地  東京都北多摩郡東村山町萩山

期 間   昭和19年(1944)8月21日〜昭和20年(1945)3月31日

参加者  生徒  男子70〜80名    女子  100〜130名

         先生  8〜10名    寮母さん  1名    炊飯隊  3名

疎開学園本部  以前から使用していた学校の農園を本部とした。

宿 舎  3年・4年  農機具置き場・隣接の高等女学校の管理人宿舎 

        5年・6年  小川村   村野家・浅見家・田中家・ の蚕室など 

        1,5キロの距離を毎朝登園、夕食後に宿舎に帰る

生 活 時 間 

  6:00   起床(冬季は 7:00) 布団片つけ・掃除・点呼

         登園 (登園後洗面)

以下太鼓の音で合図   雨、雪 以外は冬でも一日中戸外で生活

  7:00   朝食 食事分配・あと片付け

  8:00   朝礼 宮城遥拝・体操

  9:00   授業開始

  11:30  昼食

  12:30  授業と作業開始

  14:30  授業終了

  16:30  夕食

  18:00  帰寮

  20:00  就寝

 5年になると、女子 薙刀(なぎなた) 

 男子 木刀・手旗信号・モールス信号などの勉強もした。

入浴   女学校農園の管理宿舎の風呂(五右衛門風呂)

        1週間に1〜2度 4人ずつ。2人浴槽2人洗い場

洗髪   10日に1回くらい。

洗濯   小ものは自分で洗うが、大きいものは面会時に
       
        家族に持ち帰ってもらい交換する。

面会   9月〜11月 1ヶ月に2回・ 12月〜3月 1ヶ月に1回

作業  風呂の水汲み・風呂焚き・ 薪運び・トイレ掃除・

       高学年=便所の汲み取り・肥やし撒き・
             
             井戸掘りや防空壕堀り・配給物の運搬

       夏=兵器補給廠の草取り・薪運び・農家の草取り・枝豆収穫
    
       秋=栗、どんぐり、松笠、拾い・すすきの穂とり・焚き木拾い・落ち葉集め・

          さつま芋堀り・さつま芋の茎の皮むき・畑の耕し・種蒔き

       冬=石炭殻運び・石炭殻撒き(霜柱による道路のぬかるみを埋める)

※ 先生や土地の受け入れ側の方にアンケートで伺った所、急に人数が増えたため

  便所の汲み取りを頻繁に行わなくてはならなかったのが大変であったと書かれて

  いて、戦後40年を経て、はじめてそのご苦労を知ったのでした。
  
  他に、夕方になり一人が泣き出すと次々と皆が泣き出すので、大声で歌を歌ったり

  寝付くまで物語を聞かせたり本を読んだりして、子ども達がホームシックにならないよう
        ノミ シラミ
  心がけた・蚤や虱の対策・栄養不足によるおできの対策など、の回答を集計し、当時

  子どもであった私達は知る由もなく、改めて感謝の気持ちを持ったのです。

      
  3月10日に卒業式のため東京に帰った6年生の 仮卒業証書と
  33年後(昭和53年 1978)に受け取った 正式の卒業証書 



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       仮卒業証書             
 
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       卒業証書                      

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昭和20年3月10日  6年
       卒業式後の記念撮影

    
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 昭和53年 正式の卒業証書授与
            (前列 右は母親)

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