は じ め に     青い惑星(ほし)の子どもたちに


       ・・・50年前の子どもたちからのメッセージー・・・
               ー疎開の子ども600日の記録 よりー 1994年発行
 

50年前  私はいつもお腹の空いている小学生でした。欲しいと思うものが
      山程あっても、物も食料も手に入らない時代でした。
         
40年前  ひと昔前まで鬼畜米英と言っていたくせに、アメリカの豊かさに
      憧れる青春時代を過ごしていました。

30年前  想像の世界でしかなかったテレビが、当たり前のように生活の中  
      にあり、高速道路に車が走るようになっていました。

20年前  子どもの親としての毎日は忙しく、宇宙から見た地球が青いこと
      が証明され、アポロが月に到着していました。

10年前  自分たちの体験を自分たちなりに、次の世代に伝える必要性が
      ある時期に来ていると思いました。

いま     50年前 疎開の子ども だった私に孫が3人います。−後略−




上の文章は 径(こみち)書房から出版した 『疎開の子ども600日の記録』

1994年発行の編集後記の一部です。

同年8月 私達は疎開期間中書き続けたに 絵日記 を東京伊勢丹と相模原

の伊勢丹に於いて『絵日記による学童疎開600日の記録』の展示を行いました。

また同時期に大阪ガスのご好意により関西10ヶ所でも展示をして頂きました。

95年8月には兵庫県宝塚の手塚治虫記念館で『漫画と絵日記による戦争記録展』

に私達の絵日記を取り上げて頂き、以後も 東京都の戦災記念日・おかざき子

ども美術博物館・東京昭和館などで、延べ約10万人の来場者をお迎えしました。

絵日記の中身は、戦時中の子どもの暮らしとして、団体生活の中での 空襲下

の家族への想い・食糧難による空腹・自活の為の食料調達や作業・日夜発令さ

れる警報のたびの避難・面会を待つ子ども心・のみやしらみに悩まされる毎日・

勉強や生活・我が家にいつ帰れるのか,そして家族の安否や消息が判らない不安・

それでもときどき行われる演芸会などの楽しみ・などが描かれています。

戦争の資料は各地に沢山ありますが、この日記は ある学校の疎開の子どもた

ちの日常の記録であって、悲惨さや残酷さを訴えるものではありません。

そして、終戦の日8月15日を過ぎても、私達の疎開は終わりませんでした。

10月になると、疎開をしていた周りの学校がどんどん東京に帰って行くのに

私達の学校は校舎が空かない,治安が悪い,交通事情が悪い,などの理由で疎開

期間が延長となり,雪国の冬を越して翌年春まで富山に残ることになったのです。

私達にとっての戦争は1946年3月、焼け野ヶ原になった東京に帰ったときに

終ったのでした。
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1994 年  8月11日 〜16日  
 伊勢丹新宿本店新館8F
美術ギャラリー



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  1994年8月4日〜9月13日 
 大阪ガス本社3Fホール他7ヶ所



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1995年3月2日〜8日     
   東京都平和展
かつしかシンホニーヒルズ
ギャラリー
4



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 1995年6月29日ー9月5日 
  漫画と絵日記による戦争記録展
  宝塚市立 手塚冶虫記念館

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