疎 開 以 前 −



   いよいよ絵日記がはじまります。年数が経っていますし、紙質も悪いので実物は見にくいと思います。
  ここでは絵日記をクリックすると拡大されて、少しは見易いような方法で工夫してあります。
  また文章は旧かなづかいで読み慣れない方が多いと思いますので、あえて現代かなづかいに
  直し,ひら仮名も読みやすい程度の漢字にして、右の欄に抽出してあります。
  記録として見ていただく為に ○年女子・○年男子として名前は出して居りません。

  

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   戦争が始まった

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昭和16年12月8日(月)晴 1年女子

朝の七時ごろのニュウスでせんそうがはじまったことをいいました。
学校で時々ニュウスをききに外へ出ました。今日は一日中ラジオを
つけていました。

 
先生の評
へいたいさんにまけぬよう、りっぱなこどもになりましょう。
  はじめての空襲

   

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昭和17年4月18日(土)曇 2年女子

一時間目は少し学げい会のおけいこをして、二時間目からいよいよ
始まりました。入ぢようけんをきるのは、大谷さんと久米さんと杉崎
さんと私の四人でした。
開会のじは3部二年森士郎さんでした。閉会のじは一部二年岩田
のり子さんでした。 ー中略ー  先生が「さっきの学げい会はとても
お上手でしたね」とほめてくださいました。
おひる休みの時、あそんでいますと、アメリカのひこうきがとんで
来て、なにかおとして行きました。すこしたつと、空しゅうのさいれんがなりました。おきょうしつにはいってって待っている間お話会をしました。 ー中略ー 
四時ごろかいじょになりまして安心いたしました。 
 

先生の評
みんながまもっています。あわてたりこわがったりしてはいけません
   疎開出発の日     

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昭和19年8月21日(月)晴 6年女子

今日からは、日記を鉛筆で書きます。いよいよ今日、集団疎開で、家を離れます。隣組の人に、一応ごあいさつにあがりました。
お風呂に二度入って身を清めてから、隣組の方に送られて出発しました。学校で、始業式、壮行式のあった後、高田の馬場へ行軍し
お母様達と高田の馬場で別れました。
荷物ほどきは、大変でしたが、万力を出してやりました。
私の泊めていただく所は、村野さんの家です。寝る時なんだか
おかしいやら楽しいのでついおしゃべりしてしまいましたが、私は皆よりずいぶん早く寝てしまったようです。
   疎開出発の日 
   
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昭和19年8月21日(月)晴 4年女子

今日は、いよいよ出発の日です。朝出る時、みんなに「さよなら」とご挨さつをして、おうちを出ました。学校で始業式をすましてから疎開をする人たちの壮行式をしました。それがすんでお教室へ帰って少し休んでから、お母様にお荷物を持って行っていただいて、私達は高田馬場までみんなで行進しました。
着くと、お母様方がにこにこして荷物を持って待っていらっしゃいました。その荷物を受け取って電車に乗りました。
久米川に着いてすぐ昼飯をたべました。とてもお腹がすいていたので、とてもおいしいでした。晩御飯も草原でいただきました。晩豊島さんと同じおふとんで寝ました。



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