敗 戦 を 知 る − その2
8 月 1 6 日 (木) 晴
無条件降伏は朝食後子ども達に 疎開学園情報 として宮地先生から伝えられた
(疎開学園情報 ー 敗戦までは戦争の状況などを宮地先生が子ども達に説明した)
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今日朝食後宮地先生から、日本が米英に対してついに無じょうけんこうふくしたという事を聞いて、僕の心はにえくりかえるほどのこうふんをおぼえました。僕はなきました。 先生もなきました。みんななきました。「今にみろ、この仇はきっと討ってみせるぞ、げんし爆弾がなんだ。僕たちはその上に出るような発明をして日本を今よりりっぱな強い国にして天皇陛下の御心をやすんじたてまつるぞ」青い空をじっと見つめながら僕は心に堅く堅くちかうのでした。 昭和20年8月15日は僕たちの一生外(涯)忘れる事の出きない日です。午前中「大東亜戦争の詔勅を拝して」という感そう文を書きました。 午後寮へかえってざっしを読みました。3時におやつがありました。とてもおいしいでした。夜先生から「これからどうして行かなければならないか」という事のお話がありました。 |
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朝食後情報があった。それはほかでもない日本が無条件降伏した事についてだった。始めはそうでもなかったがだんだん宮地先生のお声もふるえて来るようで、胸がはりさけるようでした。おそれ多くも天皇の身に何事が起こっても臣民にこれ以上苦しい思いをさせたくないと仰せられているのだ。有がたくて有がたくてしぜんと涙がこみ上げて来た。日本は科学がおくれていたのだ。私達はもっとからだをきたえ科学を勉強してきっときっとこのかたきをうたなくてはならない。ごぜんちゅうは「大東亜戦争終結の大詔を拝してというだいで感想文を書いた。なんだか戦争が終わったなど、うそのような感じがする。 |
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朝食がすんでから疎開学園情報があった。大東亜戦争終結のことだ。とうとう日本は原子爆弾のために無条件降伏をするに至ったのだ。ほんとうに残念だ。昨日天皇陛下はラジオを通して、1億国民に「ちんの身はどうなってもよいから、これ以上臣民を苦しめたくない」と仰せられたのだ。私は胸がはりさけるようだった。しぜん目に涙がたまって泣いてしまった。宮地先生も泣いていらした。みんな泣いた。私は心に固く、きっと今に見返してやるぞとちかった。 そのあとは、女学校で「大東亜戦争終結の大詔を拝して」という題で今日の決心を書いた。 いくら考えても戦争が終わったとは思われない。 |
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今日は朝飯の時宮地先生から戦争の事のくわしいお話があった。午前中は授業をやらないで「大東亜戦争終結の大詔を拝して」という代(題)でかんそう文を書いた。僕は書きながらくやしいなあと思った。 昼飯には南瓜のにたのが出た。とてもおいしかった。午後は寮舎で休ようした。休ようしていると寺谷先生がいらっしゃった。夕飯後は運動場でおしくらをして遊んだ。皆はだかになってやった。 先生の評 いつもとてもよく書けているので感心です。 |
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今朝はいつもより涼しいような気持ちがしたが、朝食の頃はもういつものようにお日様が出ていた。朝食後情報があった。かねてうわさに聞いたように生まれて始めて来く(聞)本当に悲しい情報だ。それは我が日本が米英支ソ国に無条件降伏をしたのだ。天皇陛下にはいろいろ御前会議をなさって大東亜戦争の終結の事をお考えになったそうだ。おそれ多くも天皇陛下には大東亜戦争終結の詔書をお下しになった。そうしてラジオを通してほうそうされたのである。敵は原子爆弾を持ってやって来る。科学戦でやって来るのだ。もうこれからは私共の手でこれからはやるのだ。 敵が原子爆弾で来るならば、こちらでは殺人光線でもなんでも発明してやれ、宮地先生の御声もふるえていた。私達も泣いた。これから今まで以上のくるしみが私達の上にやってくるかもしれない。しかし、しかし私達は必ず必ず日本を立て直すのだ。この日の朝、この感激を忘れず私共はがんばって頑張り抜くのだ。 午前中「大東亜戦争終結の大詔を拝して」という題で感想文を書いた。又防衛召集の兵隊さんが講堂に入るので運動場の方を廻って行かなければならない。お昼かぼちゃのお荷(煮)つけが出た。とてもおいしくいただけた。午後は日記を書いたりトランプをしたりした。外では蝉がじぃじぃと戦争もなにもあるものかというように、暑そうになき立てている。夕食の時寺谷先生がいらっしゃった。とてもお元気だった。 |
| 5年女子 クリック↓ 先生の評 今日の絵としてはいけませんね、もっと他にかくものがあったはずね |
朝食の時宮地先生が出入り口から顔をお出しになって「もうだいたいすみましたね」とおっしゃって「昭和20年8月16日疎開学園情報局より情報をお知らせいたします」といつものように情報をお始めになった。何だか今日は宮地先生の声がいつもとちがうように思われた。私はごはんをまだ全部食べ終わっていなかったので、いただいていた。今日の情報は日本が米英支那ソ聯に対して降伏をしなければならなくなったことだった。それについて宮地先生はいろいろなことをお話になった。天皇陛下は「自分はどうなっても良いから国民を助けたい」とおっしゃったことをお聞きすると、涙があとからあとから出て来て困った。私は御飯を食べるのも忘れて泣いた。 「私達はこの戦いに敗れた日本を立て直すのだ」と私はかたくかたく心にちかった。 朝食後私達は前田寮にお風呂のまきを運んだ。帰ってから学校中で 大東亜戦争終結の大詔を拝して と言う感想文を書いた。午後は前田寮に帰ってお風呂と髪洗いだった。する前に先生が「皆を呼んでいらっしゃい」とおっしゃったので私が下に皆を呼びに行った。青い水に氷を入れたのとお菓子とビスケットをいただいた。お風呂から出て下着を洗った。 |