敗 戦 後 の 8 月 − 2
8月27日(月)晴 くやしい 敵機が頭の上をゆうゆうと
6年女子 ↓クリック |
朝食後、食器を洗って外へ出た。すると奇妙な音が頭の方から響いて来た。はっと思って上を見た時は、なにも言えなかった。 「くやしい くやしい」私はこれまで一生けんめいきたえた足で、地面を何回も何回もふみしめた。つばさにはアメリカのまーく。そうして又低空でゆうゆうと、この日本の青空を飛んでいるこの飛行機を私達はだまって見ていられようか。くやしくてたまらなかった。 これからは、毎日澄みきったこの日本の青空をアメリカの飛行機が飛ぶのかと思うと、しゃくでしゃくで今にでもアメリカの飛行機をめちゃくちゃにつぶしてやりたい。私達はりっぱな日本人になろう。そうして、今にこのうらみをみかえすのだ。 |
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今日朝禮の前に運動場でうんどうをして居るとキーンとものすごい大きな爆音がして急にアメリカのグラマンF6Fが講堂の上から急降下して来た。 とても低空で60センチ位の大きさに見えた。何ともいえない苦やしさ(悔)だった。 5分間位すると又どこかへ飛んで行ってしまった。 とてもしゃくにさわった。苦やしくて苦やしくてとてもたまらなかった。 |
4年女子 ↓クリック 今日は第4日の授業だ。朝食後、食器を洗ってから本を読んでいると、アメリカの飛行機がとてもひくく飛んで、女学校の上をいったり来たりしていた。 私達は、みんな窓の所へ行ってアメリカの飛行機を見た「どっちへ行ったかな」と思って見ていると、とつぜん目の前を見た事もない飛行機が、とても早く飛んで行ったので、私はびっくりしてしまった。「にくらしい。今に見ろ 今度はアメリカの国の上を飛行機でゆうゆうと飛んでやるから」と思って、にらみつけてやった。 お裁縫の時、やはり手さげの続きをぬった。私はきれがないので大へんつまらなかった。 |
5年女子 ↓クリック 朝会の前アメリカの飛行機が飛んでいた。 とてもひくく飛んでいた校舎の屋根をすれすれにも飛んだ。私の心の中はにくいにくい気持でいっぱいだった。 朝会が長くなったので授業は2時間めから始まった。図工で写生をした。国語は遠泳をした。理科は星をお習いした。午後はずっと学校にいた。眠くなったので。御昼寝をした。風が吹いて、とてもいい気持だった。 夕食後早く寮に帰って、ほこりが入ってしまっていたので、お掃除をした。 |
| 6年女子 ↓クリック 何気なく外へ出た。今日も元気よくしよう。 すこしたつと、今までにあまり聞いた事のないようなへんな爆音が私の耳につく。 はっとして空を見ると、アメリカのグラマンエフ6エフなのだ。あっと思って夢のような気がしてばーと飛行機をにらんでいた。 次から次へ、いっぱい来る。急にものすごい音がしたと思うと、すごい急さで頭上を通った。耳をふさいでうつぶせになる。頭のすぐ上を通って、つんぼになったかと思う。何度も低く飛んで来る。部屋にとび込む。 これほどくやしい事は生まれて始めてだ。まぶたをあつくしながら、じっと手をにぎって決意を固めた。 朝会の時、戦車を1回まわって、来た順に並んだ。私は1番だ。 午後2号室で、復習予習をした。 |
5年男子 ↓クリック 今日は朝会の時外へ出ていたら敵米国機グラマンF6Fが女学校の屋根すれすれに急行下(急降下)して来たので、しゃくにさわりました。 そして このかたきはきっときっと取ってみせるぞと心にかたくかたくちかいました。 授業は4日目で、図工の時、この間のつづきをかきました。 なかなか出来ないので一生けん命にしました。午後寮に帰って昼寝をしました。 |
6年女子 ↓クリック 今日は朝食をいただいて、食器をあらうと食事当番なのでお掃除をしていると、ものすごい低空でとんで来るらしい爆音が聞えた。先生が「や!米英の飛行機かな」と窓をあけて、のぞいていらした。そうだった。 米英が昨日から上陸して来るんだった。そう思いながら大急ぎで外に出る。その間に2台3台と頭の上を過ぎて行く。運動場の出口まで来ると、2・3台のにくい飛行機が上空にいた。むこうの医王山(いおうぜん)よりも低い。おやと思う間にものすごい急行下で学校の屋根すれすれに爆音を響かせて、なにか黒い煙をはいて行ってしまった。私はしみじみ日本は負けたのだと思った。 そうして米英の飛行機に、今に見ろと言った。しばらくして爆音は遠くなっていった。 しばらくして太こ(太鼓)がなって朝会になった。又戦車のひと廻りだ。体操をして、行進を何回もやった。とてもあつくて汗がたらたら出た。朝会が1時間目に大分くい込んだので1時間目はなくなった。今日はとても風があってすずしくていい。 2時間国語でゆかしい心を終わった。算数が久しぶりにあった。連比でこの前のよりむつかしいのだった。 国史の時、本居宣長の事を習った。そうして研究には長い年月がかかることがわかった。それに米国では原子爆弾を5年前からも製造して、10年も前から研究をしていたことを聞いて、私たちも又何十年かかっても米英を見かえさなくてはならないと思った。 午後は風通しのよいお教室で、算数の宿題をして、小林さんについて書いて、日記を書いてまわって来た[江田島]を読んだ。晩は笹餅を一切れづついただいた。夕方寮に帰る前にずうっと畠の方を歩いた。 |