敗 戦 後 の 8 月 − 1
【8月20日 樺太の女子電話交換手9人交換台を守り、ソ聯上陸と同時に自決】
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| 8月17日(金)晴 5年男子 ↓クリック |
今日は休養日だ。加藤先生が津沢までリヤカーで配きゆう物を取りに行くはずでしたが、リヤカーがこわれているので行けませんでした。僕たちは朝会まで運動場で遊んでいて、朝会が終ってすぐ寮に帰りました。寮に帰ると寝巻きやまくらカバーを洗っていただきました。 それから日記を書いたり、整とんをしたりしていました。 加藤先生に原子爆弾のお話を聞いたり新聞を読んでいただいたり、これからの事などを聞いたりしました。 それから1部5年の岩田さんに吼える密林の本をかりました。午後は昼食後すぐ寮に帰りました。寮に帰って少し本を読んだりしていると、西尾さんの家の男の子が僕たちに「ボールで遊ぼうよ」といって来たのでみんな行きました。物置の2階でやりました。始めは工場だったとおしえてくれました。5・6回やってからやめました。とてもあつくなりました。それから西尾さんに一茶物語や小学 5年生や少年倶楽部の本などかりて読みました。 |
| 8月20日(月)晴 6年女子 ↓クリック |
じりじりと照りつける太陽の下元気よく朝会をした。午前中お洗濯をした。 今日は何もかも急いで、なかなか落ちつかない。 午後国史のし剣(試験?)をし上げた。 夜高田先生と皆で夢中になってナポレオンの絵取りをした。とても楽しいものだ。 【注】まだ電気の笠に覆いがかかっているところに注目 |
| 8月21日(火)晴 6年女子 ↓クリック |
今日は朝食後すぐに国史のおしけんを日直の木村さんがあつめて、すぐ先生にお出しした。2時間目から3時間目まではずっと自習だった。 4時間目は国史で第十章の御恵みのもとの三国学という所をおならいした。この頃はえらい学者もいて、国が平和だったので学問も進んだのであろうと思った。 午後は先生が午睡といわれたが、他の寮がいて出来なくって2号教室で山川さんや小林さんたちと、愉快にトランプをして遊んだ。それから、めずらしく百人一首で坊主めくりをして、とてもおもしろく午後を過した。 今日は疎開して一周年だ。昨年の今日東京を元気に出発して、あの思い出の萩山の疎開学園に行ったのだ。あの時は張り切って、勝ちぬく覚悟で行ったのに今ではすっかり心の中はかわっている。 1年のお祝いで真っ白な御飯にごちそうで、それにじゃがいもまであった。お夕食の頃、夕立がちょっと降った。寮に帰ると、とても明るく電気がついていた。明朗に生活せよというのでこうするのだそうだ。前の家も皆あかるく電気がついて、本当に心の底まで明るくなるような気持ちがして、戦争以前を思い出すものであった。 |