6 月  −  3

            
  斎藤 喜門 先生   福光疎開当時5年男子担任
                  1992年記録集及び随想より抜粋


私は東京女高師附属小学校に赴任して2年目。いつ自分も招集さ

れるか解らぬ状態にあって、この戦争も末期状態にあることは肌

に感じていた。この時の富山の奥地への疎開は、かつてない体験

であるとも感じ、これを児童の目で記録することの意義を覚った。

それはふとそう感じたのである。

そこで担任の3部5年生、それは男子だけの担任であったが交代

で毎日書くようにさせた。

四六時中一緒であり、学校生活形態でお守りしているようなもので

あったから、書く時間とそれを閲する時間に不足はなかった。


栄養失調の状態で部屋の中に寝転ぶ生活ではこの日誌をつける

のが唯一の作業ということで、みんなは時間をかけて楽しんで書

いていた。


書く内容の指示を行った事はほとんどないし、綴じたものだけに書

き直しをさせたこともなかった。

だからこれは、それぞれの子供達の初発の感想である。

その中には当時の生活がリアルに描かれているし、画とともによく

それを物語るであろう。

ただ先生に見られるということから、父母を思い,生活の苦しさを

訴えるという感想は隠されているかも知れない。また当時の精神

状況からことさら強がりを言っているところがあるかもしれない。

私もまだ25歳、そこまで書かせることに気づいてはいなかった。


雪のある4月、遠く親元を離れる子供の心細さはいくら汲んでも汲

み尽せるものではない。これも若さの至り、『撃ちてし止まん』の風

潮に乗って、子供たちの気持ちをば分ろうともしなかった。当時と

しては、徒らに同情していてはかえってホームシックに懸からない

とも限らなかったかもしれない。

それを割り引いても、やはり思いやりが足らなかった。

あのとき抱き締めてやるべきだったと思われることがいくらでもあ

る。こんなに辛く苦しい思いは後の子どもや先生に味わわせては

ならない。3部5年の皆さんはさぞ寂しい思いをなさったであろうと

思われる。

過ぎ去れば笑っても過されようが、そのときを思えば慙愧に堪えな

い。

 3部5年とあるのは 通常の5年3組とご理解下さい。
   当時の女高師(東京女子高等師範学校)附属小学校は教育の
   試験校でもあり、下記のように編成されていました。
   1部は女の子だけのクラスで女学校まで無試験で進学。
   2部は1・2年 3・4年と5・6年 が同じ教室で授業を受ける。
   3部は男女混合クラス。(男子のみの時もあった)


   斎藤喜門先生は 平成7年12月逝去されました。先生が保存
   されていた5年男子の絵日記は,私共グループに託されています。

           
        
沖 縄 が 玉 砕 し た

このおからだも いまに爆弾となって敵陣につっこんでいらっしゃるのだ
                           
6年女子の日記6月30日

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6月26日(火)晴
       5年女子


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今日はほんとうならば山菜取りに行くはずだったが急にまき運びになった。
朝起床になって、かんぷまさつをしていると、加藤先生がいらっしゃって
「今日は4年以上は山菜取りを中止して、西太美村までまき運びに行きます」とおっしゃっているのが聞こえた。
8時にこちらを出発し、向こうに着いてから約1時間休んでから、裏にあるまきを表に運び出した。12回目のを運ぼうとする時、杉さん達に「沖縄がぎょくさいしたよ」(玉砕ー玉が美しく砕けるように名誉や忠義を重んじて、いさぎよく死ぬこと)と聞いて思わず奥歯をかみしめた。
はっとして止まると、誰かが「そんな所にかたまっていないで、もっとまきを運びなさいって」と言った。私は又歩き出した。
「止め 昼食用意」の号令がかかるまで、私は16回運んだ。
おべんとうは道の端にあった大木の上でいただいた。食べ始めると、出征兵士と見送る人達が沢山通って、ほこりがけむりのようにもうもうとたった。先生は「ほこりが入るから、おべんとう箱のふたをしめなさい」とおっしゃった。おべんとうをいただいてから桑の実を取って食べた。
帰りは、まきを少しづつ持って帰った。寮に帰ってからお風呂に入った。
夜、小矢部川のふちにほたるを取りに行った。
6月27日(水)晴
       6年女子


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今日も又薪運びだ。午前中1回、午後1回運ぶのだ。行きはずいぶん遠く感じた。約1時間休んでから、元気よく薪を持って帰った。昨日よりはずっと重い。兵隊さんの事を思って、最後までがんばった。午後はもうずいぶん疲れていたが、これくらいで負けるものかとがんばった。
夕食後久しぶりに情報があった。沖縄もとうとう敵の手でやられてしまったのだ。
くやしくてたまらない。
これからは、もっともっと戦力増産にまいしんしなくてはならない。
どんな苦しいことでも最後までがんばりぬこう。日本は必ず勝つのだ!!
6月28日(木)
      5年女子


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今日は授業だ。久しぶりに朝食はおかゆだった。
朝会がすんでお天気が良いので、寮へ帰って畳干しをした。3人づつ組になった。私は大沢さん小林さんといっしょだった。1枚運んでは又1枚こうして、5枚目を途中まで運ぶと岩丸先生が運んで下さった。
6枚目も階段のところで持って下さったのでつまらなかった。下のお部屋をはき(掃き)手を洗ってメロン水と赤い水をコップ一配(ママ 杯)づつ飲んで学校へ行った。
午後から又寮へ帰って、のみ取り粉をまいたりしてから、畳を入れた。
午前中よりも重いような気がした。階段の所はとても大変だった。
教官室のは、番号ではなく(イロハニホヘト)と言うのだった。
お部屋がすっかりきれいになってから、お洗濯をする人は、その用意をして小矢部川に水遊びに行った。始めお洗濯をしてあとでゆっくり遊んだ。
1時間ばかりして寮へ帰った。
帰ってみると、これはびっくり かや(蚊帳―蚊を防ぐため吊り下げて寝床を被うもの麻・絽・木綿などで作る。昔は電気蚊取り器などはなかったのです)が吊っててあった。少しトランプをしていると夕食になった。
3部6年や、3部5年の人が小矢部川で泳いだと言って自慢していた。
だが私達も川で遊んだので そう うらやましくなかった。
晩御飯のとき、5きれづつ きゅうりがあった。とてもおいしかった。福光へ来て始めてだ。
夜はじめて かやをつってくださった。あと、棚さえ作っていただければ、よいなあと思った。

先生の評  だんだん寮舎も気持よくなります。
6月29日(金)
   曇りのち雨
       5年男子


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今日は第3回目のまき運びの日です。
福光の生徒さんたちも5年以上を動員しててつだってくれるそうです。
朝会のあと すぐ出発しました。向こうへ着くと 福光校の人たちは来ていて、一生けんめい まきをはこんでいました。
ぼくたちは少し休んで見ていましたが、力の強いのでびっくりしました。
宿舎へ帰ってから聞いて見ると、あの重いまきを持ちながらも なおあまった時間でふき(蕗)をとってくれたそうです。ぼくは いなかの子のすばしっこいのに、なおびっくりしました。
6月29日(金)
      3年女子


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今日は立野ヶ原へ2・3年だけ行きました。
立野ヶ原についたとき20分かんきゅうけいして、それから谷をいくつかこえて行きました。どんどん行くと大きいのがたくさんありました。
山口先生ととりっこをしてしまいました。11時15分で雨が降ったのでお昼食にして しばらく休んでかえりました。
学校でおべんとうを洗って寮にかえりました。
6月30日(土)雨
      6年女子


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雨だ。今日はふ通通り授業をした。3時間目は福光国民学校の岩田先生が、入隊なさるので壮行式をした。とてもりっぱな御たいかくでいらっしゃった。このおからだも、今に爆弾となって敵陣につっこんでいらっしゃるのだ。なんだか神様のように見えた。
「万歳ー万歳ー」 この声はいつまでも講堂にひびいた。なんとも言えない気持ちだった。今日でもう6月も終わりだ。
この1ヶ月間班長として暮らして来たのだった。しっかり出来たかしら。


ホームページ製作者より
6月30日は6年と5年女子の日記を出しましたが、不思議な事がふたつあります。
ひとつは6年と5年の日記で、同じ日なのにお天気が全く違うこと。
もうひとつは福光校の先生を送る 絵 が同じこと。学年が違うと寮も違いますし、書いた物をたまたま見るということはないのです。
偶然に同じ絵になったのでしょうか?
6月30日(土)晴
      5年女子


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今日で6月も終り、私の班長も今日で終りだ。
今月の終りをしっかり結び又新しい7月にはいろう。1時間目に昨日福光校の方が取ってきて下さったふきの整理をした。まきを運んで下さったばかりか こんな ふきまで下さる。本当に有難いと思った。 葉をとっては うすい皮をむく。とてもよい匂いがする。
高島さんの事を先生にお聞きした。高島さんのお母様がお亡くなりになったそうだ。本当にお気の毒だ。可哀そうだ。 
私のお母様が亡くなったら どんなだろう。高島さんの前であまりお家の事を話さないようにしよう。何だか昨日からあまりお元気がないようだ。つとめて元気をつけてあげ、力をつけてあげようと思った。でもどうやって言ったらよいかしら。
午前中福光校の先生が明日御入隊なさるので壮行式に参列した。「どうぞお元気でいらっしゃいませ」と言う気持ちで胸いっぱいだった。
それから先生をお見送りした。私は声を限り万歳を叫んだ。
午後前田寮に帰ってお部屋がえがあった。今度は私はひな菊のお部屋になり、荷物は白百合のお部屋に置くことになった。
荷物の整頓係長になった。私はしっかり大沢さんと心を合わせてよい整頓が続くようにしようと思った。
すみれのきれいな静かなお部屋でお勉強をすることになった。白百合とひな菊で楽しく遊ぶことに決まった。
夜床の中にはいってから考えた。今月はいろいろ いけない事をしらないでしてしまった。その事はあらためて今度からはよい子供になろう。
そして7月はひな菊のように むじゃきに過そうと思う。姉の手紙のように なまけ心など出さないようにしよう。
                    

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