6 月 − 1   戦局はますます厳しく

            沖 縄  玉 砕 の 報


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           3年男子の日記の表紙

  書いた本人の説明によると(何しろ60年前ですから)
  先生に言われて書いたものか、自分の意思で書いた
  ものか、記憶にはないそうです。 愛国百人一首より


 6月1日(金)晴  5年男子
   

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今日は 6月の始めの日だ。それに山菜採りにも行く。 
朝用意をして行った。美味しいおべんとうをつめてもう一度寮へ帰って笠をかぶって、宿舍前に集まって出発をしました。軍歌を歌って行きました。
少し歩いて坂をのぼるともう山へ入った。2回ぐらい休むと おじぞうさまがあった。合計5回ぐらい休んでようやく上までついたと思うと、また道が曲ってなかなかつかない。少し下ってそこで休んだ。そこでおべんとうをたべた。かんづめもありました。
午後からずうっと下の方へわらびを取りに行った。また、下へおりた。そこでせりを取った。ずうっと下へおりたので上へのぼるのがたいへんになった。草や木につかまって上の道に出たが、どこの道か分らなくなった。また大きなぜっぺきを草をつかまってやっと集合地へ来た。とてもつかれた。
帰りは、他の道を通って帰った。帰って女学校へわらび・せりを置いて、お風呂に入った。人参薬湯でした。夕食後本を読んだ。


注 当時の福光には 人参薬湯・知源寺湯・
   朝日湯 の三軒の銭湯があった。
            
  6月4日(月)晴
     5年男子

 
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今日は夜間訓練なので午前中勉強を2時間目までしかありませんでした。
午後1時に校庭を出発してみんなより先に立野ヶ原へ行って、薪を集めていました。
夕食の時 おつゆの中にお餅が入っていました。とてもおいしいでした。
夕食をすまして軍歌演習をしました。軍歌演習がすんで、宝探しをしました。僕は残念ながらひとつもみつけられませんでした。そこからすぐ攻防戦をすることにしました。僕は攻撃軍なので そこからすぐ攻撃を開始しました。僕たちは『福光』と言う合言葉を使っていましたが、すぐ敵に知られてしまいました。
敵がよくうまく守備をしていたので、遂に攻撃軍が負けてしまいました。とても残念でした。
6月6日(水)曇のち晴
     6年女子


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今朝は敷布を洗うので、いつもより早く起きた。空は雲がいっぱい広がって少しあやしい天候だった。私はバケツで相良さんと一緒に洗った。雨が降りそうなので蛙が喜んで鳴いている。
バラと芍薬の蕾がふっくらとして、いまにも
はれつしそうだ。
傘を持って学校へ行ったら晴れてきてしまった。午後残りの人の敷布を洗いに来た時は、もう芍薬の花はすっかり開いていて、きれいな顔色を美しく輝かしていた。


先生の評

絵がうまい。漢字は正しくおぼえなさい。
日記の書き方も。大分良くなりました。
ますます よくなる様に努力しましょう
   6月10日(日)晴
       6年女子

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今日は 時の記念日だ。しっかり時間を守って1日りっぱに過そうと思った。
とても良いお天気なので、朝から山菜取りに行った。すげ笠をかぶっているが、とても暑い。汗がたらたら出て来る。でも一生懸命採った。おべんとうは、ひばりのさえずる下で楽しく頂いた。
6月11日(月)曇り大風
      5年男子


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今日は昨日の山菜取りで疲れたので休養
だ。朝会をすませて寮へ帰った。
午前中は日記を書いたり、葉書を書いたりした。山下寮の教官は、福山先生と千代子先生だけだった。
齋藤先生・宮地先生は東京にお帰りになっていらっしゃるし、喜門先生・石田先生は今朝金澤にいらっしゃったし、近藤先生も東京に 加藤先生は今朝お帰りになってしまった。
             ・・・下に続く・・・
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みんな日記や葉書を書き終わってしまったので先生のお許しを受けて、校庭に遊びに行きました。校庭で鉄棒をしたりブランコをしたりしました。
午後は福山先生が八鍬先生にお願いして下さったので、六男(注 6年男子のこと)小矢部川に遊びに行きました。
女学校の玄関に集まっていると、八鍬先生がいらっしゃって つれて行って下さいました。
水の流れの強い方は、水が冷たくて大きい魚がいましたが、流れの弱い方は、水が暖かくて、どじょうとか、めだか、ほか 小さいのがたくさんいました。
4時頃になるとぽつぽつ雨が降って来ましたので寮へ帰りました。
夕方 与助(斎藤与助)先生がお帰りになったのは知っていますが喜門先生(斎藤喜門)・石田先生がお帰りになったのは知りませんでした。

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