3 月 − 1    
     
  
 2) 6 年 生 卒 業  


   
   10日未明に、B29が来襲。3月10日の大空襲です。6年生の中には
   明日帰る我が家を心配して、赤く染まった東京の方面を見て泣き出す
   生徒もいたそうです。

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3月10日(土)晴
      6年女子
  
 
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今朝 一通り荷物をまとめて学園へと向かいました。朝のご飯がすんでから少し休んで いよいよ出発となりました。
園舎前に並んで手を振って送ってくれる下級生の人々が少し可哀そうになりましたが、私達は東京に帰っても一生懸命働いて、米英
撃滅に邁進しようと決心しました。
高田の馬場まで母が迎えに来てくれました。
昨夜のB29の大爆撃で可哀そうな罹災者が
ふとん1枚担いだりして逃げ歩く哀れな姿を見た時は、何ともいえない気持ちがしました。
下町の方は ほどんど丸焼けだそうです。私の家も もう少しで焼けるところでした。
私は もう何もいりません。ただただ日本が勝つことだけが第一の望みです。
3月10日(土)晴
      4年男子


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今日は朝会のとき、6年生が園退(注 退園の誤り?)するので見送りをしました。僕はなんだか なみだが出て来るように感じました。
6年生が帰って大掃除をしました。大掃除がすむと急に 空襲 になりました。でもすぐ解除になりました。明日はいよいよ面会日です。

  数少ない男子生徒の日記です。前回保存のためのコピー終了後出てきたものです
同様にあとの富山編でで出て来る 2年男子の日記もみつかりました。
3月10日(土)晴
      4年女子

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今日は朝からとても風が強かった。6年生の方が東京へお帰りになった。朝会が終るとすぐ出発なさった。私は何度もさようならを言って別れを惜しんだ。
「がんバばれー」とか「お元気でー」とか「張り切れー」など声を限りに叫んだ。何だかとてもさみしい。
6年生の方がいらっしゃらなくなると、私達は午前中大掃除だった。女学校へ行ってすぐ荷物の整頓をした。それから先生がきれいに掃いて下さった。
お部屋の中が見違えるほど
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きれいになったように思えた。お掃除が終るとたき物集めだ。高田先生や3年生といっしょに行った。
松ボックリ 小枝など沢山落ちていた。河井さんと たんかを持って皆の所に帰って来ようとすると、どこへ行ったら良いか判らなくなってしまった。林の奥で、高田先生のお声がしたので声を頼りに行った。たんかに枯れ枝をのせて皆で帰る途中警戒警報になったので、急いで疎開学園に行った。
午後日向で日記を書いた。風も余りあたらなくて日がぽかぽかと照っているので、とても日記がはかどった。夕食はお部屋の中でいただいた。おいしいカレーだった。

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