2月18日(日)晴
5年女子
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今日は私達の面会日だ。私達はいつも恵まれて運が良い。昼食のちょっと前にいらっしゃった。うらで日の当る暖かな所で面会した。
お姉様のお話しを聞いて私はびっくりした。お家の前に250キロの爆弾が落ち、門も飛び 塀も飛んでしまったと聞いた時悲しさがこみあがり胸がいっぱいだった。爆弾から家までより遠い兵舎が飛んでしまったのには驚いた。門の所の大きい松の木がお家の二階を跳び越して畠に落ちたと聞いてますます驚いた。
家は飛ばず、お家の人もみんな無事なことは
うれしかった。ところが2〜3日あとにお父様が
自転車から落ちて足をお折りになった。悲しいことばかりで何が何だかわからなかった。笑って楽しく面会する元気もなかった。
だが がまんをして、お母様にあまりの悲しさをわからないように かくしていた。お母様がお帰りになってから、乙葉さんに手伝っていただいて鼻緒をすげた。それから乙葉さんとお部屋の中で編み物をした。するとお友達が私達の方へ寄っていらっしゃったので、2人からたちまちのうちに2〜3倍になった。
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注
当時は普段の履物は下駄を多く使いました。
下駄は台と鼻緒に分かれていてこの年齢では自分で鼻緒をすげる(3本空いている下駄の穴に鼻緒をつけること)という経験がある人はいなかったと思いますが、親がそばにいない疎開ですから、みんなで教えあいながら すげたのでしょう。
物資がもっと不足するようになると鼻緒も自分達で作るようになります。 |
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今日は5年生の面会日です。衛兵は1部6年でした。私は西村さんと布川さんと3人でやりました。私が「面会人です」と先生に報告に行ったら先生が「自分で呼びなさい」とおっしゃったので、大きな声で呼びました。何だかとても恥ずかしいでした。午前中は日記を書きました。
書き忘れましたが、朝会の時 岩丸先生のお話がありました。今度の空襲は、今までの空襲のように生やさしいものではありません。
B29なら ぷーっと来て爆撃してぷーっと帰ってしまいますが、今度のように小型の艦載機などはあっちへ行くからいいと思っていると、ぐるっと向きを変えて「ダッダッダ・・・」と機銃掃射をされるから油断できません。
できるだけ身を物陰にかくして見えないようにすると良いのだそうです。
それから先生の命令の通りに敏速に動き、自分勝手な行動はぜったいにしないこと。
また雨や雪のほかは、空から降って来るものは決して拾わないことです。焼夷カードや又は万年筆や人形を落として、それを拾い上げたとたん爆発をしたりするからだそうです。
このことは必ず守ろうと思います。大きくなるまで忘れないように。
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艦載機が来るようになった。機銃掃射による被害はなかったが、全体行動をとっているときでなく、何かの運搬などに携っていた高学年の男子や、女子は機銃掃射に追いかけられた経験を持つ者もある。
但しこの頃はまだ脅かし程度であった。
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2月20日(火)晴
6年女子
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ふとんをたたんでいると警報が発令されたので急いで用意をして学園へと道を急ぎました。
園舎で食事をしていると解除になったので、3時間目は療養所に体重測定に行きました。
私は1ヶ月の間に、1.5キロも目方が減ってしまいました。たいていの人は目方が減ったそうです。
お昼ごはんのとき、おいしい昆布のつくだ煮が
たくさんでました。
今日は国語と算数の試験がありました。 |
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2月20日(火)晴
4年女子
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算数の時間は51ページのイロイロな問題をした。
5番まではやさしかったが、6番の2っめの問題がむずかしくて困ってしまった。とうとう書き上げられなかった。
3時間めは療養所へ体重測定に行った。1部4年の人は、みんな少しずつ目方が減ってしまった。
近藤先生が「こうりゃん飯はにくらしき」と言っていらっしゃった。
午後はお習字で「弓流し」を練習した。向こうの松林の絵を書いた。
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