敗戦後のお正月  

                  1月1日〜1月10日                           

   

                          昭和21年1月1日(火) 曇  6年女子


   日本が決して負けるなどと思ってもいなかった私達でしたが、
  
敗戦の日から5ヶ月、雪国の冬を迎えるための厳しい作業の
  毎日を過ごし、昭和21年のお正月になりました。
  年が明けたらおうちへ帰る日が近いかな と希望を抱きつつ。

       
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1月4日(金) 曇り時々雨霰
        5年男子


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今日はお粥にお餅が二つづつ入っていた。今日から第3学期の授業が始まるので、朝食後堀先生からそのことについてお話があった。今日は第1日目の授業で、図画、地理、算数、理科だった。1時間目は堀先生のお話でつぶれ、算数、理科は、加藤先生がおくにへ帰っていらっしゃって出来ず、地理だけする筈だったが、マッカーサー元帥から 修身、国史、地理の廃止命令が出たので出来ず、全部自習になった。
それで一般閲覧室でストーブにあたりながら日記を書いた。又関(友人)に航空朝日も見せてもらった。日本の新鋭機の発表されてなかったようなのがたくさん出ていた。
又、昨日の福つりであたった大坪君の里芋の煮たの、関の馬鈴薯の煮たの、塩辛も分けてもらってたべた。
午後は寮へ帰ってお餅を焼いてたべたり、古藤君の家から送って来たみかんをたべたりした。夕食後寮へ帰ったら西尾さんが神州(信州の誤り?)みかんを二つずつくださった。

  1月4日(金) 曇り時々雨
         6年女子

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今日から第三学(期)が始まった。「明日はもう1日ね などと言っていた1日も過ぎ、今日はもう4日だ。朝食後、お裁縫室で主事先生のお話があった。疎開の事や、6年生の事などだった。ここを3月10日までには引揚げるのだそうだ。あとわずかに2月だ。しっかりと暮らそう。
1日目の授業があったが全部自習だった。夜、とうとう福袋を開いた。みんなにこにこだ。胸をわくわくさせながら開けた。開ける時が一番楽しいのだ。いろいろな物が入っていた。お餅、干し柿、いり豆、みかん、などだ。夜は枕もとにおいて寝た。
とてもうれしかった。
 1月8日(火) 晴曇
     5年男子

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今日は午前中図書館の火鉢にぼく1人であたりました。午後寮で福袋の物を食べていると先生がスキーをしてこいとおっしゃったので夕食までスキーをしました。とてもからだがあたたくなりました。
夕食後は石田先生がいらっしゃらないので7時ごろ寝ました。
  1月10日(木) 雪
       5年女子


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昨日の雨が雪にかわって、朝から粉雪が降っている。往きに本田寮へ寄ってお米を持って行った。その他に梅谷さん坂口さんは、深ぐつをいただいた。朝食後少し雪が降っていたが、西尾寮へ大根3日分、里芋、ふきをとりに行った。4・5・6の男の人は、そりを引いて味噌しょうゆをとりに行った。
帰っ
て来てから、一般閲覧室に行って日記を書いた。4時間目は本なしの国史講座第1日をやった。どうして今までのはいけないかというと、神様のことをうそのことまで書いてあること。日本は世界一だというように書いてあること。位の上の人のことばかり書いてあること などだとおっしゃった。戦いに敗れた日本にとっては本当にそんなことは必要でないと思った。午後は福袋の物をいただきながら日記を書いた。
それから出発用意まで小泉さんの手袋を編んだ。5分前ぐらい前に出来あがった。夜はトランプをしたりして遊んだ。十二支合せや双六をしている人もあった。
床をひく時迫水さんの所がものすごく高くなって、息をひきとっちゃいやよなどと言って笑った。 

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