10 月  み ん な 帰 っ て 行 く 

日本が負けるなどとは思ってもいなかった子ども達でしたが、
戦争が終って誰もが心の片隅で 家に帰れる と思ったのは
確かです。
でも疎開は延期と決まりました。(9月12日5年男子の日記参照)
栄養失調などで冬を越すのは体力的に無理と思われる生徒は
保護者に迎えに来るよう連絡が行きましたまたそれぞれの家
庭の
事情で連れて帰る場合もありました。理由が何であろうと
越冬組にとっては 帰る ということが、ほんとうにほんとうに 
うらやましいことでした。けれども日記にはひとことも うらやまし
いとは書いていません。しかしこの月の日記に友達が帰って行く
記述が非常に多いことがそのことを物語っています

下の日記は同じ福光に疎開をしていた大田区の赤松小学校が東京に帰るときのものです。

     
10月19日(金)雨  5年男子
   


下の絵はクリックすると拡大して見ることができます。
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 @ 八木君

10月5日(金)雨晴 3年男子

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 A  さいとう君

10月5日(金)雨晴
 5年男子

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 B 内海さん

10月8日(月)雨
 3年男子
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 C 中川さん

10月8日(月)雨
 5年女子 

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 D河井さん上原さん

10月9日(火)雨
 
5年女子
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 E 有賀先生

10月14日(日)晴雨

 5年女子

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 F 有賀先生

10月14日(日)晴雨

 5年女子

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 G 本間君

10月18日(木)
   曇りのち雨

 5年男子

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 H 本間君

10月18日(金)曇
 
5年男子
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 I 赤松校

10月19日(金)雨

 5年女子
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 J 岩田さん

10月21日(日)雨

 5年女子

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 K 佐竹さん

10月22日(月)曇
 5年女子

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上の絵日記の中から 帰っていく 部分だけを書き抜きました。 

@ 3年男子 一等仲が好かった八木君と分かれるのかと思うと、何だかさびしいようなつまらないような気がしました。えきへついて、やく10分位待って居ると汽車が来ました。八木君はすぐそれに乗りました。汽車は「さようなら」と言う声に送られて出発しました。
A 5年男子 10時ごろから福光駅へさい藤君を送りに行った。とても元気だった。汽車が見えなくなるまで手をふった。
B 3年男子 内海さんが東京の家へ帰るので福光のえきまで送りに行きました。
C 5年女子 朝、図書館で中川さんにおわかれをした。午後は寮に帰り勉強をしていると、上原さんのお兄様とお姉様がいらっしゃた。(お迎えのため)
(翌日の記述)上原さんがおわかれにいらっしゃって、河井さんとえきへいらっしゃった。段々皆帰って行くのでさびしくなる。
D 5年女子 午後は寮に帰って、河井さんと上原さんがお帰りになったのでなんだかさびしい気がした。
E 5年女子 「シュッシュポッポ」と城端の方から汽車が来た。そうして一番前に山口先生と坂口さんのお父様と御一緒に有賀先生がお乗りになった。駅をはなれると窓からハンケチを振って下さった。私達もあの白いハンカチが見えなくなるまで手を振ったり帽子やハンケチを振った
F 5年女子 私達は何回も何回も「さようなら」と言った。「シュッ」!と汽車が出た。私達はまた「さようなら」と言った。有賀先生のハンケチが見えなくなるまで、私達も手をふっていた。
G 5年男子 朝食の時、本間君のおばさんがこられた。そして本間君は家へ帰ることになった。ー中略ー本間君は3時23分の汽車で佐渡へ帰るそうだ。−中略ー3時に寮を出て福光駅へ本間君を送りに行った。別れるのはなんだか悲しかった。
H 5年男子 3時ごろ本間君が帰るので送りに行きました。
I 5年女子 赤松校の見送りをしに床屋さんから帰ると、大急ぎで列に入った。長い間待って汽車が入って来ると赤松の人々は「わっ」と喜んでそれに乗った。汽車が走り出すと「さようなら」と私達も手をふって言った。
J 5年女子 朝 起床前に岩田さんがお帰りになった。
K 5年女子 佐竹さんがお帰りになるので、3時ごろ駅までお送りした。

解説  19日赤松校が帰った日はとてもご馳走でびっくりした と日記に書いています。
     大人になってから気付いたことですが、先生も東京に帰る他の学校を見送って、
     子ども達が寂しい思いをしないように心配りをして下さっていたのです。


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