8、アマチュア無線局誕生20年
1981年6月23日ローカル新聞、沖縄タイムスに”アマチュア無線誕生20年”のタイトルで三段抜きの記事が出た(5×7cmの写真入り)。
サブタイトルは 「厳しい条件、規制の中で、ハム4千人に増える」とある。
アメリカの統治下にあったKR8時代から本土復帰しプリフィックスもJR6に変わり、法制度も日本国の電波法の下で20周年である。(復帰後9年になる)
以下は当時の新聞記事を原文のまま書くことにする。
「浦添」日本アマチュア無線連盟(原昌三会長)主催の沖縄アマチュア無線20周年記念式典が、21日浦添市民会館中ホールで開かれ、関係者や会員約二百人が出席した。
1961年6月22日に、県内で初のアマチュア無線局が誕生し、一声の電波が世界へ向けて発せられてから満20年。
復帰前は米国のコールサインを使い、復帰後日本のコールサインに変更されるまで、厳しい条件や規制のなかで運用を続け、現在、県内では約4千5百人のアマチュア無線家が誕生している。
記念式典は、原日本アマチュア無線連盟会長の、20年にわたり県アマチュア無線に尽力した先輩達に敬意を表するあいさつで始まり、広瀬恵郵政管理事務所長、西銘県知事(代読)など各来賓が、次々と20周年を祝ってあいさつした。
会場には、無線機や復帰前の交信証カード、結成当時の写真が展示され、胸に個人のコールサインの名札を付けた会員が熱心に見入っていた。
式典後、仲地昌京氏の記念講演があり、米民政府の圧力下にあった戦後沖縄の電波行政から、県内初のハム局を誕生させるまでの活動を語った。
なお、県内のアマチュア無線の実現と普及、後輩の指導に尽力したとして、平安名常功、石橋勇、東伸三、内間伸、富村弘、又吉信篤、久場敏夫、比嘉憲昭、仲地昌京、石垣長昭、高良剋夫氏の11人が表彰された。
注:平安名 常功 (JA1BJZ) 石橋 勇 (JR6AB) 東 伸三 (JR6AF)
内間 伸 (JR6AL) 富村 弘 (JR6AM) 又吉 信篤 (JR6AO)
久場 敏夫 (JR6AP) 比嘉 憲昭 (JR6AT) 仲地 昌京 (JR6AY)
高良 剋夫 (JR6AG) 石垣 長昭 (JR6IV)
現職当時の職業
BJZ、AB、AM、AO、AT、AGは琉球電電公社 AFは極東放送
ALは出入管理捜査官、 APは高校教師、 AYは琉球放送アナウンサー
IVは沖縄三洋電機(株)社長
新聞切り抜き
沖縄アマチュア無線20周年記念式典