7、日本初人工衛星の信号受かる

 「”ラムダよ早く飛べ”国産衛星の電波とらえる」

これが1967年4月7日、琉球新報に大見出しで(写真2枚)載った記事である。
これは、鹿児島県内之浦町東大宇宙空間観測所から国産人工衛星ラムダ4S3号が打ち上げられた時のニュースである。

その前の年の12月に打ち上げられたラムダ2号に続いて、初の人工衛星を搭載したロケットであった。
今までの日本の衛星はアメリカのNASAに頼んで打ち上げさせていたので、自前のロケットで、自前の衛星を上げると言うのは初めてである。

これらはJR6AO又吉信篤氏が、琉球アマチュア無線クラブの会長をしていた頃の話である。

 ところはコザ市胡屋101、電電公社コザ局職員、比嘉憲昭さん宅屋上のにわか観測所、琉球アマチュア無線クラブ(又吉信篤会長)では、6日午前11時20分に鹿児島県内之浦町東大宇宙空間観測所から初の国産人工衛星ラムダ4S3号が打ち上げられるとのニュースを電波でキャッチしたので、会員の比嘉さんの屋上に10メートル余のアンテナを張りめぐらし、電波を録音するためのテープレコーダやオシロスコープなどを持ち出して、国産衛星の打ち上げに備えた。

 同クラブ員は、昨年12月に打ち上げられたラムダ2号機の時も観測陣を待機させたことがあり、今回はとくにクラブ員50人を手配して、首里のクラブ員の家とコザ、首里の電波観測所の三ヶ所で観測する手はずを整えていただけに、今度の打ち上げ延期には少々がっかりしたようだった。

琉球アマチュア無線クラブが発足したのは61年1月1日で(63年1月27日が正)、会員はおもに電電公社職員や電波に興味を持っている人たちだ。
 JARL(日本アマチュア無線連盟)とのつながりもあって、会員はひとりびとりがコールサインを持っており、会員同士の呼びかけや海外との交信にはこのコールサインを使っている。
電電公社コザ局職員の比嘉さんとは・・・・・・・・伝々。

 これは当時の新聞記事原文のままである。

 しかし、延期になったはずのラムダ4S3号は打ち上げられたのである。
我々スタッフ(KR8AO/AT/AX/DI)のメンバーはそのままワッチ態勢を取っていたのである。
諦められなかったのだ、待つこと数時間、信号が聞こえたのだ、待機組は皆解散していたが我々は待った。
待ち受け周波数は200Mhz台(136.16Mhzだったと思うJR6AG)、確かに聞こえてきた、2〜3分テープレコーダに録音した。

 なんの因果か知らないが、アマチュア無線というのは一文の得にもならないのに貴重な時間と動力を費やし、変な事をやる趣味だと今になった思うのである。
しかし、電波伝搬、周波数開拓、技術開発、今あるIT技術は全てアマチュア無線家のそういった無駄にも似た努力の積み重ねから生まれて来たのである。