沖縄のアマチュアFAXと画像通信ブーム(1981〜1990)
JR6DJ 伊佐 友一
第1次FAXブーム(1981〜1984) 第4版 校正年月日2000.8.11現在
ハムの画像通信としてのファクシミリは、当時、先行して許可されていた
SSTVと共に沖縄のアマチュ無線家にとっても大きな研究対象となった。
1981年6月
JR6QYV仲嶺氏が日本アマチュアファクシミリ協会(JAFA)会長のJA2OL住奥氏より、Pana fax-2000を入手したが輸送中のトラブルでマシンが故障し運用開始が遅れた。また、JR6DJは、JAFA設立時当初から会員だったがマシン調達調達で苦労、入手が遅れ、JR6FCの紹介でやっとPanafax-3000を10月に入手した。
同年、秋には、改造が比較的簡単なpanafax-1000をJR6AG高良氏、JR6AH渡口氏とJR6DM崎山氏が入手し改造、JR6AH局により1981年末に沖縄で初のアマチュアFAXの電波(3F4)がオンエアーされた。12月には、JR6FC大城氏とJR6AG局にも3F4の免許が下り、沖縄の空にもファクシミリ電波が少しずつ増えていった。
その頃は、マシンの供給ルートが沖縄では、ほとんど無く、東京方面よりJR6AHがPanafax-1000を中心に調達の世話をした。
また、大阪からUターンで転勤してきたJR6DJ(ex JA3RSW)が関西方面より大型自動給紙機panafax-3000を調達し、JK1EWY方式でJR6FCとともに改造に取り組んだ。
Panafax-3000は、改造個所が多く、また、自動機であるため初めての改造に1ヶ月以上を費やした。
Panafax-1000は、電源がAC100V/DC12V兼用でコンパクトであるため人気が高く入手困難であったため、Panafax-3000がアマチュアFAXの主力機となった。
当時は、ファクシミリを含め特殊モード通信は、2アマ以上にしか許可されませんでしたが多くのOMがファクシミリ伝染病に感染し毎晩、改造談義に花を咲かせました。
1982年新年14.145MHzを中心にイラスト写真入の年賀FAXが全国の空を飛び交う。
1982年2月28日(JST) 世界初! FAXによる海外とのQSOに、JA27局が成功!沖縄のFAX局も1way QSOで、JR6DJ.JR6QYV.JR6BC局が記録紙に残っています。交信相手はハワイのKH6JDU局(1982年2月22日付けでFCCより免許されたばかりでした)
1982年3月には、JR6QYV局とJR6DJ局にも3F4の免許が下り2mでのローカルFAX-QSOも盛んに行われるようになりましたが、メインバンドは、やはり14MHzでした。
1982年4月11日 沖縄で初めてアマチュアファクシミリ愛好者のミーティングが嘉手納町のレストランで開催されました。25名の参加があり、各機種の説明とデモ、改造方法資料等の配布、マシンの即売等が行われFAXブームをPRすることとなりました。
参加局:JR6REQ.HI.SZF.DJ.IT.QYV.FC.AH.AG.RIU.UKC.RPW.UZT.TJP.VAJ.BU.CFVNC.JA1LG/JR6JR6VFI.QUF.VDW.BC.HO.UJB
1982年4月JAFAより日本アマチュア・ファクシミリ局名録(S57.3.31現在)が発行される。掲載されている沖縄の局は、JR6AH.BU.DJ.FC.RAY.UKC 以上6局
1982年4月25日 パナ3000改造の第1人者JK1EWY 保戸塚 時久氏が、これまでのパナ3000の改造手順書を取りまとめた「あまちゅあ ふぁくしみりのたのしみ」を自費出版、沖縄でも多くのハムが利用した。
1982年5月、沖縄郵政管理事務所主催の本土復帰月10周年記念「伸び行く通信事業展」のアマチュア無線ブースにアマチュアFAXコーナーを設け一般の県民にアマチュアFAX交信画像や JMH天気図、GMSひまわり雲写真等に驚嘆の声を受けた。当時は、会社でもFAXのあるところは少ない時代でした。
その頃、県内でもアマチュアファクシミリ同好会を作ろうという動きがでてくる。
1982年6月、アマチュアFAXの同好者の全国組織/日本アマチュアファクシミリ協会(本部:名古屋)よりJAFA沖縄支部設立の依頼をJR6DJが受ける。設立総会を浦添市も牧港のドライブインレストランにて13名参加で開催し、役員等を選出した。
支部長JR6DJ 副支部長 JR6FC 事務局長 JR6REQ 監事 JR6AH
13名でJAFA沖縄支部がスタートしたが、約1年で60名まで会員が増加した。
1982年7月4日 14MHz 3F4でA4版1ページ「JAFA沖縄NEWS No.1」全国に向けオンエアー。全国各地からも同様にニュースが電送されたがJA6APの「AP通信」は特に、技術情報が多く掲載されていました。JA2OLや、JK1EWY、JA3CFのニュースも沖縄県内ではRSP 595ノーノイズで記録出来、大変人気がありました。
1982年夏 アマチュアファクシミリ愛好家よりアマチュアファクシミリハンドブックを発行してほしいという要望が出版社やJAFAに寄せられるようになり、JAFAで編集委員会を設け、FAX界では著名な局の外、JAFA各エリア支部長も分担して執筆することになりました。沖縄支部は、JR6DJに決まりました。
1982年8月 モービルハム誌8月号に「沖縄のFAXの状況を」執筆 JR6BU宮城氏
1982年9月 特殊モード通信が電信/電話級にも開放される。沖縄で初めて初級局でファクスを運用したのはJR6TGI赤嶺氏
1982年9月28日 「JAFA沖縄NEWS No.2」ONAIR
内容: JAFA沖縄会員が31名に!/VF-10SR記録紙入手ルート/パナ1000および1000Dでのモービル運用時問題点(電源電圧について)JR6DJ
1982年10月 気象衛星「ひまわり」(1.691MHz LR-FAX)のダイレクト受信システムをJR6DJ局がJA3EGY方式で製作した。パラボラアンテナは直径2mの自作メッシュタイプで、パソコンで放物面データを設計しベニヤ板でテンプレートを製作、ローカル数局のアルミパイプのリブ製作に活用した。後に、このアンテナは移動用(重量7kg)であったためATVの移動運用に大活躍した。JR6QYV局も製作し、「ひまわり」受信に挑戦した。JR6DJ局は、JAFA沖縄として気象庁に静止気象衛星「GMS」利用届けを提出。気象庁より、気象衛星利用状況調査(アンケート)が2度程郵送されてきた。
その頃、パラボラアンテナの製作が、ちょっとしたブームでJR6AT他数局も製作した。
1982年11月 アマチュア向けの有線ファクスはすべてレンタルバックの廃棄処分品(当時3万円前後)でしたが、松下電送サービス株式会社との交渉でpanafax-4000の新品在庫品(約300台)をJAFA本部で一括購入し研究目的で無線用にインターフェースを改造。有線での使用をしないという条件でメーカーと覚書きを交わし、調達できることになりました。当初、人口割で沖縄には3台の割り当てがありました。沖縄は、希望者が多く最終的には23台が沖縄のハムに振り向けられました。(沖縄がアクティブだったので)当時、パナ3000の新品が100万円以上、パナ4000でも70万円もしましたので、72.000円で手にしたときは、宝くじを当たった感じでした。また、JAFAでは、JA7CLM方式の改造基板を配布したりして入手した局のサポートをしました。新品のマシンを一部壊して作り直す工程でしたが熱が入りました・・・・・また、JAFAでは、「PANA 4000 FOR F4」B5版16ページを配布し改造をサポートした。
1982年11月20日 「JAFA沖縄NEWS 号外」ONAIR
内容:パナ4000(新品)に2種類の基板あり!NP-403と末尾にNP-403-T、-Uが付く基板です。特に、末尾にNP-403-T、-U基板を持っている局は、改造は、少し待ってくださいJA2IGS/パナ4000改造資料に訂正、追加あり/パナ4000用協動係数変更ギヤーセット12月末より受け付け開始JA2IGS \1.200/パナ1000用は\4.000
1982年秋 アマチュアファクシミリハンドブックは時間的に無理とのこで、CQ出版社の「HAMjournal 32号」全ページFAX特集を発行する事になりJR6DJがFAXの運用の項で「モービルFAX」を担当することになった。
1982年11月5日 「JAFA沖縄NEWS No.3」ONAIR内容:支部ミーティング開催案内/パナ4000新品予約分近日中に到着11台 改造基板20セット用意/パナ1000用60回転回路 (FAX放送受信や途中受信に有効)JR6QUF
1982年12月 クラブを中心にファクス改造講習会嘉手納ローカルハムクラブ(JR6YAG)では、全クラブ員を対象にpanafax-3000改造講習会を実施JK1EWY方式で改造し簡略化のため一部追加基板を独自制作した。
1983年1月 「HAM journal 32号83WINTER」ファクシミリ通信のハードとソフトが発行される。
1983年春HJ誌32号で発表されたNECの8ビットパソコンPC-8801によるPC-FAX(JAφCJU方式)の製作をJR6QYV.JR6DJ.JR6ITらが行いイベント等でデモを行った。丁度、IC不足でデバイスが高騰しIC入手に苦労した時期でした。
1983年5月 嘉手納町で開催されたミーティングに参加した沖縄のアクティブなFAX局 (写真1)
1983年6月 日本アマチュア・ファクシミリ協会(JAFA) 全国会員名簿が中国支部の努力で発行される。
沖縄の掲載局
JR6AH.AO.AW.AY.BF.BI.BU.CF.CW.DJ.DP.FC.GG.GV.HI.HO.HQ.ID
IE.IT.LP.ME.QUF.QYV.QYZ.RAW.RAY.REQ.RFO.RRH.RSQ.SCY.SIE.SNR.SOO.SPE
SRU.STG.SUG.SVH.SZF.TGI.TTP.UAU.UFS.UIM.UKC.UOP.UZT.VAJ.VCC.VDW.
VFX.VKT.WDZ.WHM.WSG.WVO. JA8GFI/JR6 以上 59局掲載
裏表紙広告 宜野湾市 渇ォ縄電子/ 嘉手納町 レストラン・サークル
1883年7月20日 「JAFA沖縄NEWS No.7」ONAIR
内容:初級局のためにも21MHzに出よう!/ 7月10日沖縄グランドパークでJARL支部大会 PC-8801 FAXを初公開! JR6QYV/宮古島(平良市)にもFAX局誕生
JR6VXS 奥平氏 / シヤック訪問 : 嘉手納町JR6HI局
1983年夏 石垣島でJR6BI新城氏を中心にファクス改造講習会を行う。講師としてJR6AGとJR6DJが2泊3日で訪問した。(八重山無線で行いました) また、1.2GHz AMのATVも八重山で初めて運用いたしました。(JR6DJ-TV)この模様は地元のCATV局の取材を受けました。
1984年1月「HAM journal 32号83WINTER」ファクシミリ通信のハードとソフトが大好評で続編「HAM journal 36号84WINTER」 続ファクシミリ通信のハードとソフト が発行される。32号と同様にJR6DJが「移動局の運用」を執筆
1984年春 この頃になるとハードの改造、諧調調整も各局ともほぼ終了したが、送信原稿がグラビア誌のFBなYLの写真等がほとんどで、運用の質が問題となりはじめた。ドラム回転数毎分120回転では電送時間が9分間というのも時代にそぐわなくなりはじめた。送信原稿の短縮や240回転の高速化もこの頃からVHF帯のローカルQSOを中心に利用されはじめた。
1984年末マシンの改造、調整で十分楽しんだOM達も運用の段階で次第にアクティビティが低下し、沖縄での第1次FAXブームもだんだんとフェードアウトして行った。それでも、ニューカマー局も少し増えていたのでJAFA沖縄も新たなテーマを模索しながらも細々と活動を続けた。
------------------------------------------------------------------------- -第2次FAXブームへ続く 次回は、ミニFAXを中心に第2次FAXブーム到来を計画中です!ご協力お願い致します。
「お願い」本資料は、「沖縄アマチュア無線40年記念誌」(仮称)作成のため各分野の記録等を残すために書いています。JAFA沖縄の資料等を参考に記述しましたが皆様方からの追加、訂正等ご意見をお待ちしています。記念誌は、CD-ROM化する方向で検討していますので添付ファイルで原稿、写真等を頂ければ大変助かりますが、郵送、FAX等でもOKです。
沖縄アマチュア無線40周年記念行事実行委員会 実行委員
中城村奥間75 伊佐 友一
e-mail jr6dj@jarl.com
PHS 070-5198-8569
URL http://www.jarl.com./okinawa/