・B円(B型軍票)
戦後、沖縄は米国の統治下に置かれた。その時使用された通貨はB円と呼ばれた軍票であった。
私が小学校低学年の頃、親から貰って飴玉を買ったお金は1円、これで数個位飴玉が買えたように思う。この1円は写真のように緑色の四角い紙幣であった。その他に青色の50銭、赤紫の10銭があったように思う。時々10銭を貰うのであるが、5枚で50銭やっと飴玉1個買える価値であったので、10銭には子供心にもあまり有り難味を覚えなかった記憶がある。。
5円、10円、20円があったように思うが、高額の紙幣は記憶がない。当時、親父はいくら給料をもらっていただろうか。(A型軍票もあった。終戦直後から3ヶ月基地内で使用されたと)
喜宝院・蒐集館
B円のレートは 1ドル=120円 本土の円のレートは 1ドル=360円となっている。この違いの意味は大きい、興味のある方は沖縄の通貨で検索してほしい。
・ドルへ通貨切り替え(1958年)
私が中学生のころ沖縄の通貨はB円からドルに切り替わる。(1958年)沖縄の経済は世界通貨のドル圏に組み込まれる。
初めて手にする硬貨であった。銅の1セント、ニッケルの5セント、シルバーの10セントそしてクォーターの25セント残念ながら1ドル銀貨は手にすることはなかった。その頃から銀貨少なく紙幣が流通していたように思う。
この中でも10セント硬貨は1セント、5セントより小粒ですが、品位があり価値がありそうで子供心にはとても頼もしいと感じた。10セントで何が買えただろうか。パンは2個、そば(沖縄そば)、コカコーラだったように思う。ラジオのパーツも買ったが思い出せない、思い出したら追加しよう。
10セント、25セントはシルバーの品位のある硬貨であったが、いつの頃か、その後サンドイッチなる品質の悪い硬貨に替わってしまった。いまはどうだろうか。
1963年に高校を卒業し、放送局に入社した。初任給は35ドルくらいだった様に思う。
そして、その年のボーナスでトヨムラ商会に28ドルを琉日電信為替で送金している。レートは360円ですので約10,000円になるのであるが・・・何を注文したか思い出せない。(・・・・・)
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琉日電信為替金受領証書
1963年12月18日 |
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琉日電信為替金受領書
1964.10.20
クラニシ計測研究所のSSBエキサイターを注文 |
・日本円、ドルの為替レート308円へ(1971年12月)(ドルショック)
・円へ通貨切り替え 本土復帰によりドルより円に切り替わる。(1972年)
復帰時のレートは305円であった。
・円の為替変動相場制へ(1973年2月14日)
・円高進む
・2000年7月 沖縄サミット開催 守礼門が描かれた2000円札が発行される。
通貨「今昔」 5 琉球新報 2008.7.27