1972年本土復帰しコールサインがJR6に変わった頃、TTYマシンTT-4が大量に放出された。 1963年高校を卒業し放送局に勤務していた。その頃は日本語放送の他英語放送も行われていた。コールサインはKSBKであった。 そこでは、ニュースを受信するためModel-15ROのRTTYマシンが物凄い音と振動を伴ってUPIやAPのニュース配信を受けていた。アナウンサーやDJの方がその受信紙を切り取り、ブースに入り放送していた。 さすがに、この時、このマシンを使いハムの通信で利用したいとは思いませんでした。当時はAMからSSBに変わりつつあったので、SSB送信機作成に関心があったのである。 そして、1973年頃からTT-4とST-5でRTTYにQRVしました。 その後、Model-28KSRを手に入れ、ST-6やUT-4を作成し運用していました。 RTTY JournalのCLASSIFIED ADSにあったTYPETRONICS社にはギアやRTTYパーツで世話になった。 KR8の時はRTTYに興味はもたなかった。 KR8には当初からHFのF1は許可されていたように思う、その時QRVできればNewOneをサービスできたかも・・・・・。 TT-4やM-28はM-15に比べれば静かですが、それでもかなりの音と振動がする。夜間も運用したが、家族はうるさかったと思う。(時々は苦情をいわれたが・・・) (マシンのメカニズム、リズミカルにタイプするその様は神秘的?とも思える。 今でも時々YouTubeでM-28/15やTT-4の音を聞くが素晴らしく心地良い、しかし振動までは伝わらない) そんな訳で、サイレントなRTTYにすべくVideo DesplayやTTL ICを使いKeyボードを作成、PC-8001、HAL DS-2000、CWR-685も使用した。 仕事の都合でしばらく(10年ほど)RTTYには出られませんでした。 コンピューター2000年問題が終わったころから再QRV! 参考 RTTY.com RTTY情報が満載 安岡孝一「コンピュータ端末の元祖になった電信機 テレタイプ」 安岡孝一「タイプライターに魅せられた男/女たち」 RTTY JOURNALの一部を紹介します。 CDRoms of 50 Years of the RTTY Journal |
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Sep.1971 RTTY JOURNAL | RTTY-DX欄でJA1ACB、JA1MPが紹介されている |
May-Jun.1972 RTTY JOURNAL | バックナンバーのインデックスが掲載されている |
Oct.1972 RTTY JOURNAL | JA局写真掲載 |
May-Jun.1973 RTTY JOURNAL | UPDATE ST-5 ST-5 解説、回路図 |
Nov.1974 RTTY JOURNAL | WA6PIRによるRTTY ART、Pixが表紙に掲載 |
Feb&Mar.1975 RTTY JOURNAL | The MAINLINE UT-4 XB-6 解説 回路図 |
Oct.1975 RTTY JOURNAL | JH1ISF他表紙へ掲載 |
Jan.1976 RTTY JOURNAL | CX7BZ、JA1ACB、JH1ISF、JH1TFF表紙へ掲載 |
Oct.1977 RTTY JOURNAL | 表紙に緑色の枠がついた、購読料が$12.00に |
1978-1988 RTTY JOURNAL | JA局が表紙で紹介されたRTTY JOURNAL |
Feb.1988 RTTY JOURNAL | 当局が購読した最後のRTTY JOURNAL |
RTTY HANDBOOK Jan.1982 | RTTY JOURNAL発行のハンドブック (PDF File) |
BEGINNERS RTTY HANBOOK | RTTY JOURNAL発行(1975)のハンドブック |
RTTY DXCC | RTTY JOURNAL発行のDXCC アワード(盾) |
RTTY WAC | RTTY JOURNAL発行のWAC アワード |