「である調」に変えてみた

2001年3月5日(Monday)
私は小さい時から「赤い服」を着たことが無かった。母がモノトーンの服を好んで着ていたから 娘も思いのままに操っていたに違いない。
小さい時は 友達が着ているピンクや赤のお洋服が羨ましくって、よくねだったりしたものだ。
しかし、自分で買うようになってもやはりモノトーンカラーを選んでしまう。
これって母の調教の賜物?

ところが・・・

先日 友達のお店で「赤いカーディガン」を買ってしまった。
赤といっても大人の赤って言う感じだが、赤色には違いない。薦められるままに「あらそう?」なんて言いながら買ってしまった。
小さい時から憧れていた色だけど、今の歳になって赤はなかろう?と悔やんだ。

だってぇ・・・・・還暦色じゃん・・・・・

教訓
後悔先に立たず
2001年3月3日(Saturday)
椿
んぺちゃんのHPによーこさんの画(椿)がUPしてあった。
私も椿が好き・・・

「椿」。山茶花と同じくカメリア科で日本原産。約2000種ある。
中でも、野椿は可憐で、椿本来の美しさ・素朴さ・優しさがあると思う。

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実家の玄関先には 白くて大きな一重の花を咲かせる椿がある。毎年必ず一杯の花をつけて楽しませてくれるから、母のお気に入りの1つである。
花後に実がなり、落ちて親木の下には子供が所狭しと芽を出している。
「みっともないから抜けば?」
「嫌や、可哀想やん」
「そうかー」
と言うわけで、毎年毎年増えていく。
その内1本が50cmほどになり、初めて蕾を持った。
母は植木鉢と移植こてを持ってきて、せっせと移植。 作業終了してその植木鉢は我が家の玄関に納まった。

それから数日後、10個の蕾は次々と咲き出した・・・・・
しかぁーしなんと赤くて小さい一重の椿。。。。。
以後母はそれを見るたびに、
「なんでやろ?なんで赤なん?」
(知らないよ・・・・・)
同じ文句を何回聞かされたか・・・・・よっぽど不思議だったに違いない。

しからば、その疑問を解決しよう!造園業をやっている友達に電話した。
返事は、
「品種改良した物は、その種から育てると原種に戻るんや。特性を生かしたままにしたいと思ったら 挿木するしかないわ。」
それを聞いた母。。。
「いやぁ どないしょう?同級生が綺麗って誉めてくれたから、苗木を5本もあげてしもたわ。」
(赤い花が咲いたら、その同級生はびっくりするに違いない)

2001年2月27日(Tuesday)
引揚記念館
かねてより一度は息子を「引揚記念館」へ連れて行きたいと思っていた。 今日は春のような気候なので、暖かさに誘われるようにして Go!
平日なのに結構入場者がいて 息子は少し尻込みをした。
「車で待ってるから 行っといで。」
オイオイ 意味無いじゃん!
しかし気持ちはわかる。だって他の人はみんな70歳以上やもんなー。
それに親に似てシャイなんだからぁ・・・(ほんまかい!)

嫌がるのを無理やり引っ張って入場。
戦争の悲惨さ・恐ろしさは体験したものでなければ真に「感じる」事は出来ないだろうしレイ自身も経験していないから口でそれを息子に伝えるのも容易でない。
それ故に、こんな近くに格好の施設があるのを利用しない手は無いでしょー。
息子も二十歳になったことだし、たまには真剣に物事を考える時があってもいいのでは・・・という親の願いは見事に叶った!
展示品や資料を食い入るように見ていたのには ちょっと感動さえもした。(親ばか?)
レイも遺骨収集写真には 万感迫るものがあってあつい涙が頬を伝う。。。 人目を気にしながら涙を拭き拭き記念館を後にした。

後記になったが、レイがリンクをお願いしている「木内信夫さんのシベリア抑留画展」が3月末まで開催されていた。全く偶然だったのだが、 HPで拝見したそのままの絵を間近で見て感激しまくり!
シベリア抑留画は沢山の方が描いておられるが、木内さんのは『俳画』で川柳がついていてとてもユーモラスである。
当時を物語る生と死の間を描いた暗い絵が多い中で、木内さんの絵はコミカルながらも風刺を加え事実をそのままに伝え、 辛い抑留生活を私達に克明に語ってくれている。

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此処を読んでくださった皆様も 是非木内さんのサイトを訪れてみてください。

旧ソ連抑留画集


2001年2月25日(Sunday)
復旧
inaちゃんがプロバイダーを替えてからメールが滞っていたが 無事開通したという。その間約3ヶ月。
溜まっていたメールの数、なんと2700通。凄い・・・単純に計算しても1日30通ということになる。
レイもメールアドレスが使えなくなって久しいが、他のアドレスが機能しているのでさほど不便を感じなかった。
今回どうしてももう1つ必要になり、その使用不能のアドレスを回復させようと決心!
プロバイダーからの手紙やメールをひっくり返して 格闘すること1時間あまり。

出来たもんね〜見事開通だぁー!


とたんにメールの受信が始まった。
総数111通。。。。。。。
半分以上はさほど重要性の無いものだが しかし・・・・・・・・
rei@hagoromo.net が使いやすく どこででも誰にでもメールアドはこれ!と言っていたから、お友達からのメールが結構あって気分は落ち込み状態。。。。。
不義理をした形になって メールを下さった方々になんとお詫びをすれば言いか・・・・・ヨワッタァ〜〜〜!

ここに謹んでお詫び・・・
あゆみ!
ozi!
かっちゃん
misaさん!
reiko!
んぺちゃん!
そして 此処に名前をかけない方々!
ごめんなさぁ〜〜〜〜〜〜い


他にも重要なお知らせが数通届いてた。アァァァァ・・・・・・・・・

本日の教訓

□ 今日なし得ることを明日に延ばすな!

2001年2月23日(Friday)
親子の会話
2月20日は母の誕生日だった。

昨日、HPに載せる俳句について相談している時、
「 あーちゃん、喜寿やねぇ」
※(母は孫が生まれた時 おばあちゃんと呼ばれるのが嫌で、あーちゃんと自分で命名してしまったのだ)
と言うと
「違うよ、去年が喜寿やったんよ」と言う。
ん?ん?
「今76歳やろ?」
「違うよ、一昨日77歳になったんよ」
「西暦何年生まれや?」
「そんなん わからへん・・・元号かて平成が入ってからわからへんようになったわ」
「ほな、終戦の時 何歳やった?」
「さぁ・・・?」
「私を産んだ時 何歳やった?」
「24歳やわ」
「ほな 今76歳やんかぁ」
「まぁ!そうなん? わぁ〜〜〜〜〜1つ得したわ〜〜〜!」

オイオイ そんなん得したなんて言わへんの。ただの勘違いやんか。(><)

「ややこしいから西暦で覚えとき」
「最近お米屋さんで暦もらわへんからわからんのよ」

ちゃうやろ・・・・・

「そうかぁ 76歳かぁ〜〜〜♪」
と呟きながら嬉しそうに 足取りも軽く帰っていった。

この母にしてこの子あり!ってとこ。

2001年2月22日(Thursday)
ぼた吉
友達の旦那様の大事な「ぼた吉」が先日お亡くなりになった・・・合掌
その日は雪が深々と降る寒い日だったとか。死因は未だに判明していない。解剖も考えたが可哀想なので止めたらしい。

季節の変わり目って結構お亡くなりになる方が多い。

その日のうちに自分達で穴を掘り アイスクリームの棒に戒名を書いて丁寧に弔ったそうな。
ちなみに「ぼた吉」とはハムスターである。

この友達のご主人はペットなるものに目がなく、友達が嫌がるのを尻目に次から次へと買ってしまう。
レイが知っているだけでも、犬・オウム・セキセイインコ・亀・ピラニア・熱帯魚・ふぐ・ヒトデ・ハムスター ETC・・・
ピラニアは肉食だから 子供達が面白がって"から揚げ"を食べさせてたら 死んだそうな。
オウムはこれまたおしゃべりで、一日付き合っていたらノイローゼになるとこぼしていた。
ふぐとヒトデを同じ水槽で飼っていたら ふぐがヒトデを食べてしまったらしい。その後気のせいかふぐが少し大きくなったと言っていた。
しかしそのふぐもまもなくご逝去。きっとヒトデの怨念だろうと噂した。

「ぼた吉」はお亡くなりになる前真っ白になったとか。よっぽど怖い目にあったのだろうか?
そう言えば籠のそばで「どん!」と足を鳴らすと後ろ足で立ち、所謂犬がちんちんをする形を取って固まっていた。 それがハムスターがびっくりした時のスタイルなんだろうか・・・・・?
そして「ぼた吉」の大嫌いなのが掃除機の音。 そう言えば 友達は非常にお掃除好きなのである。
もうすぐ49日が来るらしいが 法事はどうするのだろう?

2001年2月21日(Wednesday)
久しぶりの神戸
熊川哲也バレエ公演を見に神戸へ行った。
公演もさることながら久しぶりの神戸、、、「よーしお買い物するぞ!」と心はウキウキ。
18時30分開演に14時に現地到着。

三ノ宮・元町をブ〜ラブ〜ラ歩いて目的の物をGetし、早目のお夕食に南京街へ・・・
お友達と5人で行ったのだが、みんな南京街は初めてで どこが美味しいのやらさっぱりわからん。
{私は日本料理がいいなぁ・・・ボソッ}とつぶやいていたのだが みんなはドンドン歩いて行く。
 そしてとある中華料理店へ。
食事が終わって さぁ出ようか〜という時、友達の大!大!嫌いな人が入り口近くのテーブルに座っているではないか!なんとまぁ。。。。。。
こんなところで舞鶴人に会うかぁ?他にいくらでもお店はあるのになんでよー?って感じ。
当然友達はご機嫌斜め。なんとかなだめすかせる。

そんなこんなで 神戸国際会館へ〜。
新しいし綺麗な建物で しかも生哲が見れるとあってドキドキ・・・ドキドキ・・・
(後でこのドキドキが違う物に変わるのも知らないで)

開演までまだ時間があるのでロビーに座っていたら、おば様がチケットの半券片手に声をかけてきた。
「あのぉ・・この席へはどうやったら行けるでしょう?」って。
すかさず
「此処は中2階だからそこの階段下りられたら2階席ですよ」
と知ったかぶりに親切に教えて差し上げた。
後で分かったのだが、2階席は中2階の上にあった。
知らね〜っと!
友達曰く、
「係員が一杯いるのに なんで私達に聞くんかなぁ?」
という訳で 見知らぬおば様〜 ごめんなさいね〜

そして指定席を探しつつ私達は階段を上っていった。
がっ!登れども登れども3階への入り口がない!ない!ようやく辿り着いた席は、天井のほうがず〜っと近いようなところ。
舞台を見るとなんとまぁ!!!十何メートル下にちっちゃく見えてる。しかも1階までの角度が急で怖いのなんのって半端じゃない!
足はすくむわ、心臓ドキドキするわ・・・こりゃバレエどこじゃないよ~~~~~~と目を被ってしまった。
レイは高所恐怖症なのであります。
(この感覚は 高い所が嫌いな人しかわからへんやろな。)

それに1つ設計者に言いたい!
あの階段、昇るのしんどいって!
幅が中途半端に広くって、絨毯に足がめり込んで。

「教訓」

1、神戸国際会館で観覧するときは(特に高所恐怖症の人は)1階席を取るべし。
2、神戸国際会館で観覧するときは 階段用に疲れない靴を履いていくべし。
3、神戸国際会館で観覧するときは 分からない事は係員に聞くべし。


バレエ公演はどうだったかって?
そりゃ〜最高だった!カーテンコールの時 手を叩き過ぎてジンジンしびれたもん。
10回までは覚えてるけど・・・ 何回くらいあったんだろう? 両手思いっきりブンブン振ってミーハーしてきた。

哲也と目が合ったと思ったのは レイの錯覚だろうか?

2001年2月19日(Monday)
OBAKASAN
其の1)
今日息子の生活費を振込みに行った。我が家は送金に郵便局を利用している。
手持ちのお金を数えてから 2枚の振込用紙に金額を書いた。
通帳と現金と振込用紙を局員さんに渡して よっこらしょ!っと椅子に腰掛けると同時に名前を呼ばれた。
「えらい早い仕事ぶりや、感心、感心」と窓口へ行くと、
「10万足らないんですけど・・・」と若いお兄ちゃんが言うではないか。
「へっ!?!」
なんでこんな二桁の計算間違うかなぁ。。。。。。ボソッ
恥ずかしさでお礼もそこそこに帰ってきましたよ。

(其の2)
昨日BBSでめいとちゃみを間違えた。
頭ではめいだ!と分かって書いてるんだけど なぜか呼びかけがちゃみだった・・・
がは!なんでやろ?(めい・・・ごめんね)

(其の3)
我が家では3つの銀行としかお付き合いがない。
保険が満期になったから何処へ振込んだら良いのかと保険会社が聞いて来た。私は銀行を指定して返信した。
それが1ヶ月前のお話。

もうそろそろかな、と思い4〜5日前からA銀行の通帳を盛んにATM機にかけるが入ってない。もしかしてB銀行かな? と思ったがこれもなし。
きっと遅れてるんだわ・・・と変に自分を納得させていた。
今日、振込み通知が来てぎょぎょっ!
あろうことか、そこに書かれていたのは絶対まかり間違っても指定しないであろうC銀行であった。
3つしかないのにどうしてわからへんのかなぁ・・・ぐぐっ!

2001年2月16日(Friday)
川柳
私は人から笑いを取れるユーモアセンスが乏しい。だから気の利いた受け答えの出来る人がとても羨ましい。 その最たるものが「川柳」だと思う。
自分に其の感性がないからか私は「川柳」が大好きなのだ(もちろん鑑賞)
毎年、第一生命保険会社が行っている「サラリーマン川柳」 の入選発表が先日新聞に載っていた。ご存知の方もあると思うが・・・
ここで少し紹介して、まだ知らない人に笑っていただきたい。

□「ドットコム どこが混むのと聞く上司」

□「オフィスから 転職サイトを漁る部下」

□「肩たたき 昔 孝行 今 不幸」

□「『今電車』だったらすぐ切れ そのケータイ」

□「忘年会 携帯切って 妻切れる」

過去の作品対象で「21世紀に残したいサラ川 best10」の第1位作品

□「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」

私の中での第1位

□「飛行機にも 初心者マーク つけなはれ」(未熟パイロットの事故の後で詠まれた句)

如何?笑っちゃった?