プロフィール


  名前・・・・ラジオ収集(集め)太郎
  生年月日・・1966年12月30日生
  生息地・・・札幌市南区
  家族・・・・妻一人、子供二人(8歳の女の子と6歳の男の子)
  勤務先・・・某造園会社
  他の趣味・・読書(ノンフィクション)、渓流釣り
  私の信条・・「わからないことはわかってる奴に訊け。」


 


紗希(さき)8歳


小学校2年生。1年生が入学してきて
少しお姉さんになったかな?


上段
今年のGWに実家近くで自転車の
練習。お姉ちゃんはすでにスイスイ。
中段
鼻血ブーー!?
下段
弟と仲良くツーショット。

雅賀(まさよし)6歳

幼稚園の年長さん。来年から1年生
もう少し字の練習をがんばりましょう!

上段
自転車の練習。2度目の練習で
補助無しで乗れるようになった。
中段
おじぎそうの水やり。
下段
大冒険博のカマキリロボット。

子供達の過去の記録はこちら




 ※現在のシャック

◎短波帯メイン受信機
日本無線 NRD−525

◎短波帯サブ受信機
日本無線 NRD−545
AOR AR7030

◎使用アンテナ
RF SYSTEMS EMF
SONY AN−1
10m長 ロングワイヤー

◎中波帯メイン受信機
AOR AR3030

◎中波帯サブ受信機
SONY ICF−6800A

◎使用アンテナ
MIZUHO UZ−8DX

◎地中海の声専用
ICOM IC−R72

(なぜか一番良く聞こえる)




  
BCLとの出会い

 1979年、私が中学1年の時である。私は爺さんっ子であった。
 祖父は夜、床に就いてからも、朝、起きる前にもNHKのラジオ第一放送を聞いていた。そんなことから、小さい頃からラジオとは不思議なものだと思っていた。小さい箱からいろんなお話しや音楽が聞こえてくるのだから。

 さて、中学に入学すると祖父はラジカセを買ってくれた。3バンドのラジオがついたヤツだ。私はそれを主にカセットテープに録音した音楽を聴くために使っていたが、ある時ラジオにSWというボタンがあるのに気がついた。
 3バンドだから、バンド切り替えボタンは3つある。ひとつはMW。これは祖父が良く聞くNHKや北海道放送、STVラジオが入るところだ。もうひとつはFM。これは音楽がいい音で聞こえてくるところだ。ここから録音したものをラジカセで聴いていたのだ。
 はて、「SWとはなんだ?」そう思って私はSWと書かれたボタンを押してみた。何も聞こえない。ダイヤルを回してみた。「ピーーヒョロロローー」とか訳のわからない言葉で話しているのがたまに聞こえる。「なんだこりゃ?」私はスイッチを切って聞くのをやめた。

 その夜、ラジオのスイッチを入れた。そのとたんに「こちらは北京放送局です。」と耳に飛び込んできた。私は耳を疑った。「中国のラジオが聞こえるわけが無い。」それに日本語だ。しばらく聞いているとニュースのようなものや音楽を流している。きっとこれは誰かがいたずらしているに違いないと思った。

 それからしばらく経って、本屋で立ち読みをしていた私の目に見慣れない文字が映った。「入門 BCLブック」とある。「BCLってなんだ?」そう思って私は早速手にとって読んでみた。そこには外国から日本に向けて短波で
日本語放送を行っている国があること、その放送を聞いて受信報告書なるものを放送局に送ればベリカードと呼ばれる受信確認証が送られてくること、その他、短波が聞けるラジオのことやアンテナのことが詳しく書かれており、日本語放送を行っている局の中に「北京放送」という文字があった。私は驚いた。「これだったんだ!!」

 その本を買って帰り、スミからスミまで読んだ。「こんなことがあるんだな」と感心したが、まだ半信半疑だった私は受信報告書なるものを放送局に出してみることにした。日本語放送を実施している局は全部で22局あった。私はその中から国交の無い北朝鮮の朝鮮中央放送を選んだ。スケジュールに記されている周波数の付近を探っていると容易に受信出来た。
 受信報告書の書き方を習って書き上げ、記されている住所を記入し、100円切手を貼ってポストに入れた。

 1ヶ月後、北朝鮮から本当にベリカードが届いた。


                                              ↑
                                   その時のカード。     1980年3月13日、14時14分〜14時50分まで
                                                  周波数11780kHzで受信したもの。


 「これは本当なんだ!」私は感動した。自分の部屋に居ながらにして、小さなラジオで世界中の放送を聞くことが出来る。これはすごい事だ。それからは坂を転がるようにBCLに夢中になった。




 学校から帰るとすぐにラジオのスイッチを入れた。韓国、台湾などの近隣諸国、それに沿海州地方から送信していたモスクワ放送、東南アジアの局やラジオ・オーストラリア、イギリスのBBCなど、すぐに日本語放送の大半を受信することが出来た。しかし、その頃から私の前に大きな壁が立ちはだかり始めた。

 それはラジオの問題だった。このラジカセは短波は3.8MHz〜12MHzまでしか受信できなかった。それでは、それより高い周波数を使って放送しているヨーロッパの放送などは聞くことは出来ない。また、受信できる範囲内で放送されていても、混信や妨害電波などさまざまな障害のため受信出来ないこともあった。なにより、周波数がデジタルカウンターで表示されるラジオが欲しかったのだ。

 私は「BCLブック」に紹介されているBCLラジオを毎日眺めた。そして、ナショナルのRF−2600とソニーのICF−6700の2台に的を絞った。どちらも中波、短波、FMの全バンド周波数デジタル表示。受信周波数範囲は6700が短波帯フルカバーで私はこれがいいかなとも思ったが、価格が前者は47800円で後者は54800円。4万円台と5万円台、この耳への響き方は相当大きいだろう。そう考えて2600に決め、親に相談した。

 「今度のテストで学年で20番以内に入ることが出来たら、このラジオ買ってくれないだろうか?」こう言ってBCLブックに載っている2600を見せた。

 親・・「こんなただのラジオが5万もするのか。」
 私・・「頼む!」
 親・・「だめだ! 10番以内ならいいぞ。」

 痛いところを突いてきた。私はいつもテストは一夜漬けと決めていた。それでいつも40番前後だったのだが、20番ならちょっと勉強すれば大丈夫だと踏んでいた。なにしろ確実にBCLラジオを手中に収めたいのだから、はじめから無理なことは言わなかった。

 私・・「10番はきついよ〜。アイツもいるだろう、コイツもいるし・・・・。」
 親・・「それだからこそ、手に入れ甲斐があるってものだ。」
 私・・「頼むよ〜、20番で頼むよ〜。」

 非常に長い押し問答の末、結局20番で話しを付けまんまと2600をゲットしたのであった。

 

                           ↑                  ↑   
                       本当は欲しかった           親に買ってもらった
                    SONY ICF−6700       NATIONAL RF−2600


中断

 2600を手にしてからは、日本語放送と代表的な国際放送は受信してベリカードも持っていた。高校卒業後は旅行関係の専門学校に進学するため札幌に出た。

 2600も持ってきたが、都会は刺激的だ! 見るもの全てが珍しい。徐々にBCLの時間が減ってきた。夜、アルバイトを始めたり、遊ぶのに忙しくなりすぐにBCLはまったくしなくなった。
 金に困った時は、スキーや他の家電品と共に2600も質に入れた。

 やがて、2年間の学生生活も終わり某大手旅行会社に就職したが、自分には外で体を動かして仕事をする方があっていると思った。机に向かっているのが苦痛で仕方なかった。
 旅行会社はすぐ辞めた。親は泣いた。親には申し訳ないがこれでいいと思っていた。親には「25歳までは好き勝手させてくれ」と勝手なことを言って、それから2年間はいろいろなアルバイトをして過ごした。長野に出稼ぎに行ったり、道路の区画線を引く仕事では何ヶ月も地方を移動した。一日中、エビのチリソースを作っていたこともあった。

 今度は何をしようか。求人誌を眺めていると造園屋が募集していた。造園屋というのは一般家庭の庭の管理は勿論だが、市の公園工事や公園の管理が主な仕事だった。冬は市道や施設、あらゆるところの除雪をしている。私の会社では
スズメバチの駆除なんてこともやっています。

 ここに腰を落ち着けることにした。1994年結婚。結婚後のバタバタも落ち着いた頃、BCLとの再開があった。


BCL復帰

 ある日、新聞を読んでいると「日本BCL連盟」の記事が出ていた。日本向け日本語放送のこと、海外放送を聞いて英語の学習をしている人のこと、NHKの海外向け短波放送「ラジオ日本」のこと、ベリカードのことなどが書かれていた。
 私は再び、海外放送が聞きたくなった。押入れからRF−2600を引っ張り出し、南米エクアドルからの「アンデスの声」日本語放送を聞いてみた。以前と変わらない尾崎先生の元気な声が聞こえてきた。
 しばらくは2600で聞いていたが、すぐに新しいラジオが欲しくなり妻にねだって買った。SONYのICF−SW77だ。実は電気屋さんに相談した時に中古のICF−2001Dを4万円で持ってきたのだが、新しい方が良いに決まっていると思い77にした。しかし使ってみると実に内部ノイズの多いラジオだ。後悔したが仕方がない。

 妻はなにかにつけ「こんなラジオが7万円もするの」と言った。私は決して口に出しては言えなかったが「大酒を飲むわけでも、ギャンブルをするわけでも、女を買うわけでもないのに、これくらい楽しみがあってもイイじゃないか!」と心の中で怒鳴っていた。
 義母さんが来た時にも妻はそう言った。「こんなただのラジオが7万円、ラジオばっかり聞いてさあ」。しかし、さすがに義母さんは顔を引きつらせながらも「いいんでしょ、ラジオ1台あればお金かかんないんだし」。実はその他にも結構金はかかるのだが、大きくうなずいて見せた。
 挙句の果てに妻がスーパーで買い物をしている時に、TV局にインタビューされたらしい。「旦那さんのことで困ることは?」。妻は「いつも短波放送ばかり聞いて困りますぅ。昨日も鹿児島からカードが来たとか言って喜んでいたんですよ。ラジオの本を買うのも結構お金かかるんですよねぇ。」妻が呆れ果てた顔をして答えている。画面には大きく「短波放送オタク」の文字が踊っていた。

 最近はもう諦めたのか何も言わなくなった。でもこの趣味を完全に理解してくれているのではないと思う。理解はしていないけれども協力してくれるようになりました。適当なところで妥協しなくてはお互いやって行けませんから・・・・。
 しかし、毎日毎日会社と家の往復で、ただそれだけで一生終わってしまうなんて寂しいでしょう? なにか一生懸命に打ち込めるものがあっても良いと思います。それが私の場合たまたまBCLだったってだけなんですよ。

  文句を言われながら  
  購入した。
← 
  ソニー
  ICF−SW77

憧れのBCLラジオ

 BCLに復帰してしばらくすると、昔のBCLラジオが気になりだした。「名機クーガ2200を触ってみたい」、「ICF−6700はどんなだろう」。
 私は雑誌の売買欄等を中心に昔のBCLラジオを集め出した。街で見つけると譲ってくれと知らない人にも声をかけ、手段は選ばない。
 おかげでこれだけ集まった。かなり貴重なものもあるが、あとで考えると割高だったなと思うものも多々ある。また、反対にこれは儲かったと言うのも然り。興味のない人にとってはただのオンボロラジオだからだ。


中古BCLラジオの入手方法


 近年の急速なパソコンの普及とインターネットの発達によって、中古ラジオ市場も大きく様変わりした。中古ラジオ、受信機を扱ったオークションサイトが国内外を問わず多数存在している。
 私がBCLブーム期のラジオに興味を持ち、集め出した頃は中古ラジオの購入は主に雑誌の売買欄によるものが大きかった。しかし、BCLブームの衰退によって、かつては多数発行されていたBCL情報関係の雑誌も現在では廃、休刊を余儀なくされ、必然的に中古ラジオの情報も激減している。ただでさえ時間が経ち過ぎているうえに情報が乏しいのでは、お目当てのラジオをこの手に出来る機会は益々無くなる。

 ここで、私がネットオークションに出会う前に、BCLラジオをGETするために実践していた「ラジオ探し」の方法を紹介してみよう。

 
@雑誌の売買欄の利用
  
  この方法は、さきに述べたように情報量が絶対的に不足しているし、これからも情報の増加は全く見込めない。この方法によって多くのラジオを入手することは出来たが、当地では雑誌の発行日が首都圏よりも遅れるうえに、購入の意思を伝える手段である郵便が届くのに日数がかかるため不利である。(もちろん地域によっては有利な場合もあるが・・・・。)
  当然、購入までの交渉も時間がかかり、モタモタしているあいだに他人に寝取られるというような現象も起きた。
  危険な例をひとつ紹介しよう。SONYのICF-6800を求める記事を雑誌に掲載してもらったところ、「完動超美品、極美品、希少品・・・・。」などと購入意欲をそそる言葉を並べ立て、いかにもすぐに代金を振り込まなければ売れてしまうと思わせるように購入者の心理を上手くついて、その下に振込先を大きく書いたハガキが送られてきたことがある。私は6800は高額であり、当時購入した人もあまり多くないと推測していた上に、時間の経過から壊れているものも多く、もちろん所有している人でも手放さない人もいるのだから、果たして反響があるかどうか心配していた矢先、このようなハガキが来たものだからすぐにでも送金しようと考えたわけである。恋は盲目状態であった。
  一応、妻に相談して送金しようと思い話したところ、「調べてみたほうが良い。」と言う。盲目状態だった私はうるさいことを言う妻に隠れて密かに送金しようと思ったが、よくよく見てみると電話番号が書いていない。普通、常識から考えてこのような事は考えられないので、送金を思いとどまり記載されている住所にハガキを出してみたところ、「あて所に尋ね無し」で返送されてきた。銀行の口座については金を手にするために実在のものだろうから調べなかったが、もう詐欺だということははっきりした。送金して首を長くして待っていても6800が届くことは無いだろう。
  このときばかりは妻に感謝した。私は人を騙しても騙されはしないとの自負をもっていたためこのような常識はずれなハガキであることがわからなかったのである。また、雑誌での反響があった嬉しさもそれに拍車をかける。恋は盲目状態には注意すべし。

 
A質店、リサイクルショップをまめに廻る

  この方法も苦労の割りには実益を伴わないことのほうが多い。仕事先で見つけた店に休日にわざわざ赴いてみても、こういう店は日曜日が定休日のことが多く、仮に開いていたとしてもBCLラジオが置いてある確率は極めて低い。が、しかし可能性はまったく無いわけではないのでこまめに廻ってみると良い。事実、ICF-5800等数台を手に入れることが出来た。

 
Bフリーマーケット情報には欠かさず目を通す

  なにしろ古いものですからこの方法も徒労に終わることのほうが多い。しかしこれもリサイクルショップ同様、出品の可能性が無いわけではないので新聞や広告、張り紙などのフリーマーケット情報には欠かさず目を通し、都合がつけば実際に出かけてみる。

 
C偶然、BCLラジオに出会う場合もある

  
ある日、突然にお目当てのBCLラジオに出会えることもある。私の経験上、その確率が大きなところはラーメン屋さん(中華料理屋さんを含む。昔からあるような店の場合が多い)、昔ながらの雑貨店(コンビニに置いてあった例もある)、建築工事現場(特に大工さんは昔のBCLラジオを好む)などであるが偶然にもBCLラジオに遭遇した場合は躊躇無く声をかけてみることである。

 
Dゴミステーションの物色

  残念なことに当地(札幌市)では家電製品は収集してもらえなくなったために、現在ではゴミステーションにBCLラジオが出ていることは皆無となってしまった。しかし、ゴミの収集方法には地域によって違いがあるため、この手段が通用する地域にお住まいの方は、恥も外聞も無く物色してみるべし。思わぬ掘り出し物が出ていることもある。

 
E散歩の時にも気を抜くな

  散歩に限らず、街を歩く時も、山歩きをするときも、海水浴の時も、キャンプの時も、はたまた仕事中も外を歩く時には気を抜かないことである。前項の理由から当市では不法投棄も多い。とにかく注意深く歩きましょう。

 
F昔のBCL仲間をあたる

  これは実践されている方も多いのではないかと思いますが、実際には音信不通になっているものも多く、運良く本人をつかめても既に壊れていたり処分されている場合が多い。しかし、昔は持っていたのだから心当たりがあればあたってみるべきである。

 
G知り合いには一人残らず声をかける

  どういう知り合いかに係わらず短波ラジオを持っていないか、BCLラジオに心当たりは無いか聞いてみることである。運が良ければヒットすることもある。

 
H電器店を当たってみる

  BCLラジオが売れ残っていないか確かめてみることも重要である。また、商売柄下取りや引取りなどで普通の人たちよりも数段BCLラジオに出会う可能性は高いと思われる。ただ、運良くデッドストック品があった場合を除いては、BCLブーム期のラジオを見つけることは難しい。

 
Iどんな小さな情報も見逃さない

  人と話している時など少しでもラジオの話しになったりしたら突っ込んで訊いてみたり、各種BCLサークル等に参加しての情報収集も大切だ。あと、大きなアンテナを上げているハムのお宅はラジオの知識も持っており「ここにはBCLラジオがあるかもよ〜〜。」というサインなのである。(でも、迷惑はかけないでね。)

 他に、私は行ったことありませんが、毎年横浜で開催されている「ハムフェア」でも中古のBCLラジオが多数、売りに出されているようだ。これは実際に手にとって状態を確かめられるし、値引き交渉も腕次第だそうだ。こういったものに参加してみるのも良いだろう。


 とまあ、だいたいこんなところであるが、いつも心がけていれば、ときに掘り出し物に当たることもある、かもね。
  


ネットオークションの功罪

 私も上記の方法でBCLラジオを集めてきたが、ネットオークションを知ってからはその形態もガラリと変化した。まず、一番の魅力は自分の部屋に居ながらにして、さまざまな売り情報を得られることである。
 前項のリサイクルショップ巡りなどとは比べものにならないくらいの効率の良さであり、雑誌の売買欄などとはお話しにならないくらいの取引スピードである。
 さらに、興味のある商品の外観だけではあるが画像によってある程度の判断が出来るのも魅力のひとつだ。
 しかし、良いこと尽くめではない。これは、ネットオークションに限ったことではないが、そのラジオの状態は偽ろうと思えばいくらでも出来る。幸いにして私の場合は出品状態と大きくかけ離れた物を掴まされたことはないが、実際にそういうこともあるようである。
 それから、このサイトに集まってくる者は、当然ラジオが欲しい人や興味のある人ばかりである。それを出品者も知っているから、BCLラジオに対しても昔のラジオという認識しか持っていない、街のリサイクルショップで購入するような値段では簡単に落札できない。買う方もそれなりの覚悟を持って臨まなければならない。

 しかし、思い入れの強い、しかも状態の良さそうなラジオが出てきたら、大枚さえはたけば手にすることは出来るのである。これはコレクターにとっては大きな魅力に他ならない。



 こうして集めたラジオは一人で眺めて悦に入っていたが、これを公開しようと思う気にさせられたのは、この25年間の日本のBCLラジオについての集大成とでも言うべき、非常に中身の濃いすばらしい読み物に出会ったからだ。


『民生用受信機 −この四半世紀−』
 

 写りが悪いが写真は2000年8月発行の

 『民生用受信機 −この四半世紀−』
 追補版。


 『民生用受信機 −この四半世紀−』
 刊行委員会、編集発行。

 
 この書物の存在は知っていた。しかし、いくら探しても見つからず、つい数ヶ月前ある方のご協力で執筆者の土井氏をご紹介いただき、氏のご好意によって初版、追補版ともこの手にすることが出来たものである。

 内容はこの25年間のBCLラジオ、通信型受信機についてその構成、性能は基より、BCLブームを中心に時代ごとの各メーカーの動向、販売戦略まで多岐にわたり、日本のBCL受信機の歴史に関する最も有益な資料集である。
 また、追補版についてもこれのみ読んでも受信機の歴史の流れが充分に理解できるほどの資料集で、非常に完成度の高いものだ。

 私には電気的な知識も電波に関する知識も、専門的なものは持ち合わせておらず、DXについても高度なことは出来ず、マイペースでBCLを楽しんでいる。先輩諸氏には言うに及ばないが、この優秀な資料集に感化され、ここにもラジオが好きな人間がいるということをお知らせしたくてこのホームページを立ち上げた次第である。
 ホームページと言うのは、それぞれ個人の自己満足であると私は解釈している。これだけラジオを集めることが出来たこと、このホームページを立ち上げたことにも非常に満足している。

 あとは、一人でも多くの人にBCL、ラジオについて興味を持っていただき、BCLの世界に足を踏み入れ、頭までドップリと浸かってくれたなら幸いである。