●産業振興の遺伝子

津和野藩には「養老館」という藩校があった。藩校とは、江戸時代に、諸藩が藩士の子弟を教育するために設立した学校で、津和野藩の養老館は、天明6年(1786年)に開校した。この時代には、多くの藩が藩政改革のための有能な人材を育成する目的で設立した。各地では優秀な学者の招聘も盛んに行われ、地方の振興や、各地域から時代をリードする政治家や学者を輩出した。

 養老館も例外ではなく、ここから日本の近代化に大きな功績を残した哲学者西 周(にし あまね)の他、国学者岡熊臣・大国隆正・福羽美静(行政官)、紡績業界の父山辺文夫、地質学の草分け小藤文次郎、ロシア語学者八杉貞利・今井哲などのそうそうたる人材を輩出した。もちろん、日本を代表する文豪森鴎外もこの同窓に連なる。  

また、歴代の藩主とその家臣は、山間僻地にありながら苦労を重ねて殖産振興に励み、元々4万3千石の小藩であった津和野藩を、米高にして実質15万石以上の別途収入をあげるまでに発展させている。時代背景は異なるとはいえ、江戸時代はまさに「自己決定・自己責任」の「地方分権」の時代であった。この時代、津和野藩は生き残りをかけて、紙や漆、燭、鍋や釜などを生産し、藩外に売りさばいて、財政基盤を築いた。  

この地域には、かなり良質の教育、産業振興の遺伝子がある。また、時代の大きな変化の中で、新しい時代に確たる地位を築いた先見性もある。その遺伝子が眠っている。  

以前購入した、玉川大学大学院の望月照彦教授(地域産業の再生をテーマに日本各地のプロジェクト・マネージメントを手掛けているこの分野では有名な人)の著書のなかで、「地域再生のカギは、地域を発展させてきた地域の持つ遺伝子を活用することだ」という趣旨の記述がある。今、本棚を探したが見当たらないのが残念だが、この言葉は今も忘れられないから、多分間違いないと思う。  

浅学非才の私には、この土地に眠る遺伝子のすべてを洗い出し、直ちに現在に活かす能力はない。しかし、今は町内を歩きながら、時おり素晴らしいアイデアを聞いている。また、他所から来られた観光客の皆さんにも積極的に声をかけ、この土地の感想などを聞いている。地元にいては気がつかないことを指摘されることもある。