青森 “南部〜下北” 編「型は古いがシケには強い! マグロ、2夜連続!?」の巻
- A man away from home need feel no shame. -





さて、まとまった休みが取れまして 行ってきました「東北縦断の旅・夏」





時間の許す限り 体力の続く限り、距離を伸ばそうと行き当たりばったりの小旅行に ございます。
(ノープランてことね、w)





今回は本州最北 行けるとこまで行ってみっかっつーことで、まずは国道4号線を北上、
一路『青森』を目指すことに、途中「花巻」「盛岡」で休憩を挟みつつ 
のんびりと国道を移動、「八戸」に着いたのは夕方5時位のこと。



(BGM 津軽海峡冬景色)


(↑あっ、更新ボタン 押したりしてテキトーに止めてね、鳴りっぱなもんで…^^;)



青森 第二の都市『八戸』は、美味しい海の幸や話題のB級グルメが楽しめる東北有数の港町、
東京からであれば 東北新幹線で約3時間程で行ける 一番身近な青森でもあり、
絢爛豪華な山車が町を練り歩く事で知られる“八戸三社大祭”は、
国の重要無形民族文化財にも指定される東北夏祭りの1つとして、この時期は多くの観光客で賑わいます。



お祭りは先週 終わってたんだけど、メインストリートの商店街には記念撮影用になのかな、
1台の山車が置いてあって、





近づいてみると人間そっくりの人形(マネキン?)が沢山 吊るされてて少々 不気味な佇まい…





さ、日も暮れてまいりまして、まずはメシメシってんで向かったのが「八戸屋台村 みろく横丁



街中の中心部にあるビルの谷間に6、7人も入れば一杯になりそうな屋台が犇めき合う
 昭和テイスト満載な屋台村で、八戸名物せんべい汁や ホタテ貝焼き味噌 等々、
青森の名物グルメが味わえる楽しい所です。





八戸に一泊の後、338号線をさらに北上、
三沢』に向かう途中で ある道路看板の表記が目に飛び込んでくる。










【日本一の自由の女神像】?!










フム、ちと寄り道してみることに、










で、それが、












・・・・・・・・・










広大な公園にポツネンと立ち尽くす“自由の女神”
なんでも ここ百石町(ももいしまち)は、ニューヨークと同じ緯度なんだそうで…
(※百石町は現在、下田町と合併して“おいらせ町”となっています。)










そうそう、コレ確か"ふるさと創生1億円"のヤツじゃない???





う〜ん…










ビミョ〜(苦笑 ^^;)





さて、三沢のお目当てはと いえば『青森県立三沢航空科学館』!
ヒコーキ好きな私がゼヒ行ってみたかった 日本でも数少ない航空関係専門のミュージアムで、
ゲートをくぐり敷地内に入ると場内の大きな公園には、



とか



てな感じに結構な数の飛行機/戦闘機がズラ〜っと展示されていて、ワタシもう、これ見ただけで
(開園1時間前に着いたにも関わらず) かなりのハイテンショーーーン!!!(^^)!


施設内は青森に関わりのある航空機や その歴史を紹介する航空ゾーンと、参加体験型の
科学ゾーンという構成で、夏休み中の子供達が(大きな お友達も)夢中になること請け合い!





館内に展示される国産初の量産旅客機「YS-11」とワタシ(オバちゃんの視線が熱い…)



YSはこの油圧の収納式タラップがいいんだよね、まさかこのタラップに立てるとは、感動っス!
YS-11の設計者の1人として指揮を執った 木村 秀政 氏は青森県出身!)


(得意げにコクピットに収まる。)


(ついでにトイレにも収まる…)





3階にある飛行機プラモの展示コーナー、その仕上がり 種類はハンパなく、
躍動感溢れるパッケージのデザインもアートとして見応え十分!







そしてコレが初の太平洋無着陸横断飛行に成功した『ミスビードル号』(復元機)



アクロバット・パイロットだったアメリカ人、クライド・パングボーンと ヒュー・ハーンドンの2人は
当初、世界早周り飛行記録短縮を打ち立てるべく、1931年7月28日、ニューヨークを出発、
ロンドン/モスクワを経てハバロフスクに到着する予定でしたが
天候を始めとする悪条件が重なり、フライトを断念せざるを得ませんでした。

うなだれる二人の前に大きなニュースが飛び込みます。

それは、

日本の朝日新聞社が太平洋無着陸横断飛行の成功者に懸賞を出す というもの、

二人はこのチャンスにかけようと日本を目指します。

そして出発の地に選ばれたのが、ここ 三沢の淋代(さびしろ)海岸でした。

(淋代海岸を飛び立つ ミス・ ビードル号)

 途中 巻き起こる数々のアクシデントをものともせず、1931年(昭和6年)10月、
ミス・ビードル号は41時間10分をかけ太平洋上を無着陸で横断飛行し、
米国ワシントン州ウェナッチ地区に着陸するという快挙を成し遂げました。



前人未到の彼らのフライトは世界初の成功を収め、
その名を永遠に航空史に残す事となったのです。

この成功の裏には日本滞在中に彼らを厚くもてなした
三沢の人々による数々の献身的な援助があったと言い伝えられています。



5つのりんご

飛行を終えたミスビードル号の機内からは、5つのりんごが出てきたという記録があり、
これは道中の機内食として他の食料と共に木箱に詰められた 20個の紅玉りんごの残りで、
折りしも アメリカりんごの大産地であるウェナッチではその支援に感謝し、
お世話になったお礼にと、りんごの新品種が送られることになったんだけど、

それが あの“デリシャス”種 なのです!

その後も ウェナッチ市と三沢市は友好を深め、現在では姉妹都市として
交流・親交を深めているとのこと。


青森のりんご産業 発展の陰には、2人のヒコーキ野郎による
三沢の人々に対する感謝の気持ちが 込められているのでした。




















え〜 話や!

。・゚・(ノД`)・゚・。オロロンロン





しかしまぁ、どーして こう飛行機乗りのエピソードには泣ける話しがあるかね、

(因みに贈って頂いた りんごは植物の輸入出法により港から上陸の許可が出ず、
改めて りんご そのものではなく 穂木を贈って貰ったんだそう。)

ま、どっちにしても、え〜話やおまへんか! (゜-Å) ホロリ











感動の思いを胸に三沢を出発、
六ヶ所村」「東通村」を越え下北半島を更に北上し、「むつ市」に到達、
目指すは日本最大の霊場『恐山』!

ちなみに恐山というと…





こんなのや、



こんなのを



想像しがちだけど、(しないわな)





近づくほどに立ち込める硫黄の臭気と殺伐とした情景に 胸の高まりと 得も言われぬ
緊張感に包まれ、中途半端な気持ち なんぞ吹っ飛ぶことに。





まずは三途の川を渡り あの世の入り口へ、




そして入山料 大人500円を払い更に奥へ、




山内には温泉(無料)や宿泊施設があり、滞在することも可能、
でも恐山といえば なんといっても亡き人の言霊を伝える『イタコの口寄せ



昔から「人は死ぬと お山(恐山)に行く」という民間信仰があり
死者の霊に会う為 ココを訪れる人は後を絶つことは無く、


荒涼とした敷地内は、あちこちから亜硫酸ガスが噴出し、
この世の果てを思わせる絶望的な光景が広がります。




賽の河原を抜けると コバルトブルーの湖面と白浜が美しい極楽浜に辿り着きます、
正に極楽浄土のような幻想的な情景に身が清まる思いでした。












それにしても ひとしきり短パンとサンダルで回った後、出口近くで


て、オ、オイ…










山を下り更に北へと進路を、 さぁ、遂にやってきました最果ての町『大間』!
地図でみると ヒョっとして泳いだら札幌に着くんじゃない思わせる マサカリの形のホント、サキッポ!







で、





記念撮影


(本州最北端の地の石票にて)


(乗りたがる子供に目もくれず 岬のオブジェにて)





でも、あーた「大間」といやぁ、やっぱ…






















「マグロ丼 キタ━━(゚∀゚)━━!」


間違いなく 今まで生きてきた中で口にした1番美味いマグロにてございます(キッパリ!)

口の中でとろける大トロは もう肉なんぞ食べんでエエ! とヘンな錯覚に陥るほど、
 しかも その印象があまりにも強烈過ぎて、
帰ってきてから食べるマグロにさほど美味しさを感じなくなってしまうという
一種、贅沢な後遺症に見舞われるという事も覚悟しておきましょう。





宿泊予定の青森駅前に着いた頃には 辺りは既に暗くなっていて、
明日以降の戻りは、市内を中心に見て周り、
その後は道すがら寄れる所は 立ち寄ろう というコンタンです、ベタだけど。 












さ 行動開始っ!



まずは青森のランドマーク「アスパム」からスタート。
アスパムはいわゆる観光物産館で、青森の「A」をモチーフとした三角形の高層ビル、
内部には お土産売り場、レストラン、パノラマシアター等を完備、ココに来れば青森の ほぼ全てが
分かっちゃうっつー複合施設、当日も津軽三味線や ねぶた囃子のデモ等で盛り上がってました。







で ふと、1階のお土産コーナーをブラブラしていると…












( ゚д゚) ん?







(つд⊂) んんん???






                                               _, ._
ほ 、『ほたてソフト』ぉぉおおお?!(;゜Д゜)



これまでも数々の ご当地ソフトに手を染めてはきたけど、魚貝系のソフトは初めて!
コレはもう試さなくては と売店に駆け寄るも…





「魚ギョ!」 


な、な、なんだよ、準備中て!



(まぁ 行ったのが早すぎたのかも、開店30分前だったし…)










・・・・・・・・・










すると どこからとなく、フワリと甘〜い香りが…、場所を突き止めると そこには かなりの長蛇の列。



なんと地産のりんごを使った 焼きたてアップルパイのショップを発見!
(店頭には「今日のりんごは“ふじ”」なんて書いてある…)













で やっぱ試すわな、ショーミの話がっ!www



その他にも 1杯100円で飲めるりんごジュースとかがあって、
言うまでもなく絶品の ウマウマちゃん! (^0^)










アスパムから伸びる遊歩道を歩いて10分、
青森港には かつて青函連絡船として就航した「八甲田丸」がその役目を終え、
現在では日本初の鉄道連絡線ミュージアム、メモリアルシップとして、静かに係留されてます。



内部は連絡線の歴史や普段は見ることの出来ない操舵室に、迫力のエンジンルーム、
最上部煙突に設けられた展望台 等々、見ごたえ充分!でも圧巻なのは、





当時の鉄道車両を収納/展示する1Fの車両甲板部!
(↓コレ、船の中よ!)



連結した線路から鉄道車両を そのまま輸送するという世界でも類を見ない連絡線の機構は、
実際 目の当たりにすると そのスケールの大きさに驚愕!



青函連絡船」に どこか郷愁を感じるのは、北国育ちの日本人だからなのかな…





さて 青森で真っ先に思い浮かべるといえば やっぱり、『ねぶた』でさぁーねー。

世界を代表する火祭りとして知られる ねぶた祭りはその勇壮さで知られてるけど、
よほどタイミング合わせて行かない限り その熱狂の様子を肌で感じることは出来ないもの。

けど、その様子を年間を通して体感できる施設が青森駅からクルマで25分くらい走ったとこにある、
青森自然公園ねぶたの里







広大な屋内施設には これまで活躍した代表的なねぶた8基が飾られ、
運行体験ショーでは 実際にねぶたを曳くことや、ハネトになることも出来ます。



  (実際に見ると想像していたのよりずっと大きくて、その迫力に圧倒!)










いよいよ旅はクライマックス! 十和田 八甲田ゴールドラインを抜け、
天は我々を見放した・・・」 で知られる 『八甲田山』へ、












日露戦争を目前に控えた 明治35年1月23日、
来たるべく帝政ロシアとの戦いに備え 青森一帯が上陸占された場合を想定し、
陸軍第八師団の二つの隊が寒雪中行軍の演習を敢行、
訓練では1泊2日で青森から八甲田山を経て、三本木(現 十和田市)に至る予定でした。

ところが当日は観測至上最悪とも言える過酷な気象状況が続き、
視界もままならぬ猛烈な吹雪の中、一行は経路を失ってしまいます。

当時はまだスキーや防寒着等の近代登山に関する知識等 無く、
藁靴に新聞紙を詰める等の貧粗な装備のまま、
気温零下20度前後 2メートルにも及ぶ積雪の中、食料も燃料も尽きたまま、
ただただ果てしない白い山中を彷徨い続けなくてはいけませんでした。


結果、雪中行軍210名の内 199人が死亡するという
世界山岳遭難史上最大の悲劇となったのです。





これはその旧歩兵第五連隊を偲び、仮死状態のまま豪雪の中で
立ち尽くしていた姿を再現したと言う、後藤房之助伍長の銅像。



像のたもとには顕花と両の手を合わせる人が絶えること無く、
快晴の当日からは この地で、斯様な豪雪による惨劇があった事など微塵も感じさせない
澄み渡る青空が印象的でした。



今回 見学することは出来なかったんだけど、少し離れたところには霊園と資料館があり、
この銅像の入り口にある銅像茶屋にも“鹿鳴庵”という施設が併設されていて、
当時の貴重な資料から、事の顛末を垣間見ることが出来ます。



映画と史実では多少の相違点も見られ、
雪中における真実については、今もって謎も多いのです。










それにしても…












銅像茶屋の看板メニュー「名物“雪中そば”」とは いかがなものかと



しかも 「“冷たい”とろろそば」て…










(シャ、シャレになっとらん気が…w)





そしてここ八甲田山麓は自然と温泉の宝庫!

千人風呂で知られる「酸ヶ湯すかゆ温泉」や貴重な高山植物が広がるハイキングコースと、
大自然に育まれた雄大な絶景は 都会に暮らす私たちの心を和ませてくれます。



この後は足早に「奥入瀬渓流」から十和田湖へ抜け、秋田に入り「角館」へ、
雫石からは「小岩井牧場」で休憩を挟み、帰路に着きました。

この辺は又、折を見て別の機会にでも紹介できたらと。





ロマン溢れる東北には まだまだ行ってみたいところ、体験したいイベントが盛り沢山、
今度行けるのは いつになるかは分かりませんが、是非また足を運べたらと思っています。





それでは、そのときまで…