大沼森林公園の句碑          

 佐藤 二柳

山雨去り 山雨又来る 沼の秋
 


二柳は、青森県野辺地に生まれ青年時代大沼小学校に勤務しており、その頃松田撫松に作句を勧められ俳句の道に入った。(撫松=七飯村医として大沼に来住、道南俳界の鬼才といわれた。)昭和二十七年「銀杏句会」を創設、主宰。

 雑誌「白魚火」同人としても、道南俳壇の重鎮として活躍した。建立にあたっては、俳句・教職の仲間や師弟たちの熱意によって、二柳が教員として勤務したことのある大沼に建てられた。また、二柳墓石には「墓洗う 血縁うすく なりにけり」という句が刻まれた。(大沼湖が見えるので句が一層引き立ちます。)



   (建立 昭和五十九年)  


 有馬 ひろ子

炎帝の 去る一片の 赫き雲

ひろ子氏は、昭和四年東京に生まれ、深川正一郎に学び、山口青邨に師事。

 夫、有馬朗人氏(元文部大臣)と共に「天為」を主宰。

 作品には「ザビエル祭」「ルオーの陽」「アールヌーヴォー」などがある。

 この句碑は、国際的観光地大沼にふさわしく六ヶ国語(韓国・中国・ロシア・フランス・ドイツ・イギリス)の訳文をステンレスのプレートに刻み、七飯石に嵌め込まれている。



   (建立 平成十四年)

















                                        財団法人 北海道大沼国際交流協会