魅惑のコスモポリタン都市 シンガポール 平成7年8月18日〜21日(月)

 
シンガポール訪問は20年来の思い

 シンガポール。一度は訪れたいと、密かに20年来思い続けていた国である。私の旅行記「旅のしおり」にもインデックスだけは、以前から早々とついている。理由は4つほどある。

  1. 国をあげてクリーン&グリーンを標榜する、美しいガーデン・シティである。
  2. 治安がよいので、安心して旅行が楽しめる。
  3. 民族のるつぼといわれ、多民族、コスモポリタン都市は興味深い。
  4. 何となくひかれるものがある。

 そんなわけでかねてから温めていた行き先とはいえ、出向の身で長期休暇ははばかられ、せいぜい4日間が限度との自主判断から、1週遅れで盆休みをとりシンガポール行きとなった。いつもなら弟(M旅行代理店)に頼むところだが、今回は故あってわが関連グループの旅行代理店で手配して貰い、しかも十分な事前準備もないままの旅立ちだが、結果的にはこれは間違いだった。先ず、ひっかかったのは、航空便の大韓航空である。なるほど料金は安いのかも知れぬが、ソウル経由で、しかも乗り換えでのロスタイムが多いのには閉口した。

 大韓航空(KE−725)は、予定より1時間10分遅れの13時10分に岡山空港を飛び立った。ほどなく1時間15分でソウル、金甫空港へ到着。1時間の待ち合わせで、再び同空港にてKE−623便に乗り換え15時30分、シンガポールに向け出発。韓国からは、チマチョゴリを着た年寄りの団体さんが大勢乗り込んで来る。そのせいか機内は、ニンニク臭が鼻をつき、慣れるまでしばらく時間がかかる。覚悟はしていたものの機内食は、いままで経験したことがないほどおそまつで、まずくてがっかり。アナウンスもソウルまでの岡山便と違い、ソウルからは先ず韓国語で、続いて英語の二カ国だけ。シンガポールまでの6時間25分の飛行はいかにも長い。

 小国ながら緑豊かで魅惑的な国

 チャンギ国際空港は、とてつもなく大きくて立派で、きれいなのに驚かされた。東洋最大の規模といわれるがうなづける。シンガポールは赤道直下にある人口280万の小さな国ながら、アジア第二の都市で、市の中心にはビルが林立し東洋のマンハッタンといわれる由縁だ。面積は淡路島ほどの大きさで、緑豊かな東洋の箱庭とも呼べるような、そんな魅惑的な国である。日本との時差は1時間で、午後8時55分(日本時間、午後9時55分)到着。入国審査は女性係官でスムーズにすみ、荷物もすぐに出てくる。

 空港に降り立つとモワッとくる暑気を感じる。このところこんな天気が続いているそうで、結構湿度が高く蒸し暑い。われら二人を迎えてくれたガイドは、若い中国系の男子で名も名乗らず。ホテルに向かう車中では、流暢な日本語で滞在中の注意事項やら説明がある。

 3日間の宿、オーチャード・ホテルに旅装をとく。同ホテルはオーチャード・ロードの西端に建ち、ツインタワーの五つ星クラスの立派なもの。

 腹が減ったような減らないような感じだが、ホテル近くで地階にある中華風食堂に入る。メニューに戸惑っていると、おばさん店員が日本語で「焼そば?ギョーザ?」と勧めるので、取り敢えず両方一人前づつ注文する。量は多めで焼そばの方は、麺というよりビーフン風、ギョーザは日本のものと全然違い、まるで団子だが珍しさもあって結構いける。近くを少し散策してからホテルに引き返す。

シンガポールのシンボル マーライオン像
シンガポールのシンボル マーライオン像

 半日の市内観光

 翌朝は曇り空。ホテルの一角で、通りに面してあるオープン・エアーのカフェ・テラス「オーチャード・サイドウォーク・カフェ」にて、バイキング形式の朝食をとった後、オーチャード・ロードに出て、南国情緒たっぷりの街路樹や二階建バスをバックに写真を撮ったりビデオを回す。

 本日は午前中に市内観光、午後はショッピングである。9時10分にオーチャード・ホテルへ昨日のガイドが専用車で迎え、続いてマンダリン・ホテル、ヨーク・ホテルと客を迎えにまわる。ヨークホテルでは大きなバスに乗り換えるが、この時突然のスコール。ほどなくしてあがり少しパラつく雨の中、植物園に向かう。

野性のジャングルをそのまま残している植物園内
野性のジャングルをそのまま残している植物園内

 植物園内は広大で、野性のジャングルをそのまま残している。250種の色とりどりの蘭を育てているオーキッド・パビリオンをのぞく。蘭の花はシンガポールの国花でもある。

 続いて市の西側で、115mほどの小高い丘にあるマウント・フェーバーに向かう。頂上は360度パノラマで一望できる。ここからは南の対岸セントサ島へケーブルカーがつながり、北には林立するビル群が見渡せる。

 シンガポールのシンボル、マーライオン像が立つ、マーライオン・パークへ。お馴染みのマーライオンは、頭がライオン、体は魚という8mの奇妙な格好をした像である。これをバックに思いおもいに記念写真をパチリ。近くには戦没者慰霊記念碑があるが、ガイドからは殆ど説明はなく社内通過。日本軍が約10日間にわたって行われたという虐殺を記念するもので、その犠牲者の数は6千人とも3万人ともいわれている。

 今月8日に、観光中の日本人女性2名がマンダリン・ホテルで強盗に襲われ、暴行を受けた事件について13日付けの新聞で報じられているのをみた。バスが最高裁判所にさしかかった折、ガイドからその話に及び、「この種の犯罪は(治安のよいことで定評のある)シンガポールでは重罪で、犯人は終身刑だ」とのこと。

 マーライオン像を左に見ながらアンダーソン・ブリッジを渡ると、すぐに昼食場所「ネプチェーンレストラン」に到着。昼食は飲茶料理。

 ショッピングではグッチを二つも

 午後からは例によってショッピング。ラッフルズ・ホテルの隣にある貴金属店「汎新」にてライマ・ブレスレットを妻用に求める。後は見るだけ、目の毒。

 カバン店では、ひやかしのつもりがグッチのバッグを、しかも二つも求めるハメになる。われらの顔に物欲しそうに描いてあったのか店員につきまとわれ、最初はひとつ3万5千円の言い値が、二つで6万1千円までにするというから、ついつい思いきって留守番を頼んだSさんと妻用に求める。最後にオーチャード・ホテルの少し西にあるDFSコレクションズ・タングリンハウスにて、土産用のウィスキーやタバコを購入しショッピングを終えてホテルに帰る。

 アルカフ・マンションでインドネシア料理

 6時45分には件のガイドの迎え、案内でオプションのひとつアルカフ・マンションのディナーへ。車に乗り込むなり「何でこんなオプションを組んだ…」と尋ねるから「日本の旅行代理店のお勧めだ」と答えると、笑いながら「それなら仕方ないが、当地では絶対すすめない」と言う。ドリンクは高いから…との忠告も付け加える。

 小高い丘の上に建つアルカフ・マンションは、1920年代のオランダ人大富豪の邸宅を改造したもので、別荘風の瀟酒な建物。外観もインテリアも趣がある。二階に案内され、暮れなずむ海を見ながらのインドネシア料理である。ボーイの運ぶ前菜から始まって、ドラの合図に従って4、5人の女性が列をなしてボールに入れた様々な料理を持ち、おごそかに順次皿に盛ってくれる。初めての料理で、珍しくはあるが特にうまいとは思わぬ。とにかく味付けが辛いのでミネラル・ウォーターで潤す。食事の途中からピアノとサックスの生演奏が始まるとムードも最高潮。1時間少々で最後にコーヒーとフルーツで締めくくる。私の「チェック・プリーズ」に、応えてボーイのいわく「30S$」に唖然とする。あらかじめドリンクが高いと聞いてはいたが、まさかミネラル・ウォーターが1本10S$(720円)とは何と法外な。せっかくの初のインドネシア料理もこれで台なし。

 静かなる島、今はリゾート・アイランド

 9時15分に迎え。セントサ島へは世界貿易センターにあるケーブルカー・タワーズまでバスで乗り付け、エレベーターで乗り場まで上がる。観覧ケーブルカーからは眼下に島内、遠くに市内が一望できる。日本語のテープガイドを聞きながらほどなくして島に到着。

セントサ島から市内を一望
セントサ島から市内を一望

 セントサとはマレー語で「平和と静けさ」を意味する。サンワールド、ファンワールド、ヒストリーワールド、チイチャーワールドの4つのエリアに分かれている。島内では2、3のパビリオンを駆け足でまわる。

 入園してすぐの所にある「シンガポール開拓者のギャラリー」では、シンガポール初期からの歴史をろう人形で、当時の服装、乗り物などとともに再現している。隣接する「降伏のギャラリー」は、1942年の英軍降伏、1945年の日本降伏の調停場面をそっくりろう人形で再現してある。当時の戦況を伝えるビデオや記録写真なども展示している。

 世界中から4千種を超す昆虫が集められている「世界昆虫館」へ。色鮮やかなチョウのコレクションは圧巻で、妻は盛んにシャッターを切る。アジアで最大の昆虫資料館というだけあって、大小たくさんのカブト虫やクワガタには驚かされた。昔からこれらに目のない、次男の顔がチラリと浮かぶ。続いて、すぐ近くにあるバタフライ・パークをのぞく。いろんな昆虫の中でも印象的だったのは、木の葉虫である。たまたま先日テレビで放映されていたが、なるほどバックの葉と、色・形はおろか模様まで一緒でカモフラージュしているさまは、よくよく目を凝らして近くで見ないと判別できないほどで精巧で見事というほかない。

 ここからシャトルバスに乗って島の西側にある「海底水族館」へ。動く歩道に乗って海底から、サメやエイの大魚から熱帯魚まで様々な魚が遊泳するのが鑑賞できる。餌付けをしているダイバーが隠れるほどに魚が群れる。美しい海底の神秘にひたっていると、突然サメのバトルが始まり食らいついてなかなか離さない。ほかにも火山ランドや音楽噴水、ファンタジー・アイランドなど楽しいパビリオンがいっぱいある。約30分で島内を一周できるモノレールにも乗って見たかったが、時間の関係で果たせず。昨春、オーランド旅行の際、本場WDWやマジック・キングダムで経験ずみなので納得する。

 ラッフルズ・ホテルでは記念写真だけ

 島からの帰りは、迎えのバスでコーズ・ウェイ橋を渡る。シンガポール・リバーに面したマリーナ地区で降ろしてもらい、クラーク・キーを歩く。ここはノスタルジックな建物が復元され、まるで映画のセットを見るよう。大丸の地階食堂街を一回りし、インドカレーを食べることにする。バナナリーフカレーといって、バナナの葉っぱがお皿がわり。大きめ野菜の具で、ルーはサラッとしている。思ったほど辛くはない。妻は海鮮スープを注文する。こちらも結構いける。

 食後は腹ごなしに、MRT(地下鉄)の基点になるラッフルズ・シティまで歩く。ショッピング・センターにはそごうデパートなどが入っている。しばらくウィンドー・ショッピングの後、向かいの有名なラッフルズ・ホテルへ足を延ばす。

 サマセット・モームをして「その名は東洋の神秘に彩られている」といわしめ、当ラッフルズ・ホテルで「月と6ペンス」「人間の絆」などの名作を書いたといわれる。女性たちの行きたいホテルのナンバー・ワンだそう。気おされして中にはよう入らず、玄関をバックにビーチ・ロード側から記念写真をとる。近くのシティ・ホール駅からMRTに乗る。ここから2駅のサマセット駅まで60セントである。車内はエアコンが効き、明るく清潔そのもの。コンコースにも扉があって、冷暖房効率を高めるために列車が到着する度に開閉し、そこから乗車するようになっている。

 ホーカーズ・センターは庶民の憩の場

 サマセット駅からオーチャード通りを横切り北へ、目指すはカページ・センター(庶民のためのショッピング・センター)へ。先ずは2階の踊り場にある果物店で、念願の果物の王様・ドリアンを見つける。想像以上に大きなもので小さい西瓜大もある。1スライスを8$で求め、階下に引き返し早速食する。期待していたが、においはきつく決しておいしいものではない。比類なき味でけったいな代物。これが「悪魔の香りと天使の味」と形容され、「女房を質に入れても食べたい」ものか?汁がついた口や手がやたらベタつくばかり。二人でやっと平らげる。旬は5月から9月までと、12月から2月まで。

 気をとり直して屋上にあるホーカーズ・センター(屋台街)を見て回る。ひとくちでいうと屋台の食べ物を一堂に集めたもので、土地の人々が賑やかにしゃべりながら、思いおもいに食事をしており独特の雰囲気がある。制服姿のポリスマンもいる。料理内容は中国をはじめ、マレー、インドネシア……と各国の味が並んでいるが、あまり衛生的ではなく食をそそられない。ドリアン、マンゴスチン、パイナップルと新鮮で珍しいフルーツやジュースもいっぱい。せっかくだからガイドブックに従い、アイスカチャンを注文する。日本でいえばかき氷だが、中に豆や寒天が入っておりあっさりしてなかなかいける。

 再びオーチャード通りに出て、途中デパートで買い物などしながらブラブラする。一度は飲んでみたいと思っていた、やしの実も街頭でいっぷく入れながら飲む。ポカリスゥェットの味だ。

 ホテルのシャワーで汗を流し、ひと休みした後は早めにチェック・アウトを済ます。日本への4回の国際電話料金が締めて6.11$(450円弱)と安いので、何かの間違いかと請求書を見直したほど。それにつけてもアルカフ・マンションのミネラル・ウォーターの料金の高さよ。

 シンガポール・スリングで最後の晩餐

 空港への送りのバスは午後8時の予定で、まだ1時間少々あることだし、軽く夕食をとることにする。ホテルの近くでふさわしいところを物色したが、見当たらない。結局、朝食場所のオーチャード・サイドウォーク・カフェを通りがかると、ひとの食べている焼きサンドイッチがうまそうだったので入って注文する。ドリンクは話の種にカクテル「シンガポール・スリング」を一杯。ラッフルズ・ホテルのものが有名で全然味わいが違うというが、当カフェの9$のものもさっぱりした飲み口で美味。

 最後の締めくくりの晩餐としてはいささか淋しいものだったが、正味2日間の限られた短い時間の中で結構思い通りに動き、希望の食べ物、飲み物にもありつけた。総じて楽しい、思い出深い旅行であった。

 前世がさせた鎮魂の旅

 はからずも一昨年5月のソウル、昨年夏の南京、そして今回のシンガポールとアジアのトライアングル・ゾーンを旅したことになる。折しも今年は戦後50年の大きな節目の年である。先般、やっと村山首相がはっきりと日本の戦争責任に触れ、それを明確にしたばかりだ。かつて日本人がとった、いまわしい数々の蛮行はとりかえしがつかないが、被害国に対してその非を認めたことはひとまず評価されるものだ。この2年間の3カ国訪問は、見えざるところから前世の人々がそうさせた、鎮魂の旅だったのかも知れない。最後に全くの蛇足といわれるかも知れぬが、今回の旅行にあたって妻の旅費は、私のなけなしのヘソクリを、自主的にあてたことを付記して旅のおしまいにする。

                                         平成7年9月16日記