ト ロ ピ カ ル 沖 縄 平成11年5月22日-24日(月)
  
  基地の町−光と影

 『アメリカ合衆国嘉手納町』と揶揄されながらも、極東最大の基地として復帰後めざましい成長を遂げた沖縄は、つい先ごろ、来年開催されるサミットの会場に決まりにわかに活気づいている。今回の旅行は、そんな沖縄の現在を垣間見る絶好の機会となった。梅雨の晴れ間のわくわく沖縄の旅をレポートする。

沖縄観光のスタート地 守礼門

 「メンソーレ」で迎えられた一行6名は、まず沖縄観光のスタート地である、守礼門での記念写真に続いて首里城見学。「那覇公設市場」「陶芸のふるさと壷屋」巡りを終え、夜は琉球舞踊を観賞しながらの宴会。座は大いに盛り上がり、ステージで一緒になって踊りだす一幕も。

 翌2日目は島中部の観光。那覇から国道58号線を北上、車窓からは横文字の看板がやたら目につく。広大な嘉手納基地地帯には軍司令部、軍の建物、学校、病院、兵器類やトラックが並ぶ。全国一の基地の島であり、ここは日本であってアメリカなのだ。しばらく走ると「万座毛」に着く。サンゴ礁の岩肌があらわにむき出た断崖絶壁で、巨大な象のように見える。芝生で青々と敷きつめられた広場から眺める海の景観は素晴らしい。曇の切れ目から青空がのぞき、刻々と海の色が変化する。「沖縄フルーツランド」を見学の後は、「蝶と花とハーブの楽園」で琉華料理の昼食。

サンゴ礁の岩肌があらわにむき出た断崖絶壁の万座毛
サンゴ礁の岩肌があらわにむき出た断崖絶壁の万座毛

 「海洋博記念公園」では、水族館に入る。大水槽の中を遊泳する姿は圧巻で、まるで海の一角をそのまま切りとってきたような大迫力。対岸には変わった形をした伊江島が見える。次に訪れた「東南植物楽園・水上公園」には県花デイゴやハイビスカスが咲き乱れ、トックリヤシが繁り南国情緒たっぷりだ。

 「喜納昌吉とチャンプルーズ」の、ズーンと腹に響くパワフルかつエネルギッシュなライブで沖縄の第二夜を締めくくった。一行のひとりをして「やっと沖縄に来たよう」と言わしめたほどで、沖縄音楽のハートを体感したよう。100名を越す客の中には親衛隊とおぼしき人も見られ、最前列に陣取り陶酔した様子で拍子をとったり、一緒になって踊り出す。

 明けて3日目の日程は墓参。昭和20年3月から6月にわたる沖縄戦では、世界戦史上例を見ない激戦が繰り広げられ、わずか3カ月の戦闘で20万人の犠牲者が出たという。とりわけ激戦地となった南部の南岸一帯は、今でも「戦跡国定公園」に指定され、悲惨な戦争のメモリアルパークとなっている。

 まず訪れたのは「摩文仁の丘」で、丘上には各県の慰霊塔が建つ。「岡山の塔」は青森と愛媛にはさまれほぼ入口にある。各県の慰霊塔を左右に巡拝しながら、20分も歩くと頂上に「黎明の塔」がある。時の司令官牛島中将が自害し、沖縄戦はやっとピリオド。頂上からは沖縄南部が一望でき南端の喜屋武岬がすぐそこにある。道中汗ばみ海岸から吹き上げる風が心地よい。しばしの間、悲惨な戦史に思いをはせ、平和な世の尊さをしみじみ思う。続いて「ひめゆりの塔」「琉球ガラス村」「さんごセンター」を見学した。

 沖縄を語るとき、避けては通れない側面は基地問題の是非だ。つまりは犠牲と恩恵、それをこの度の旅行の随所で見た。県民は安全を奪われてはいるが、同時に基地のお陰も受けてここまで発展してきた、という二律背反もまぎれもない現実であり沖縄の光と影が交錯する。戦後54年経った今も、ガイドさんの口からは度々『この度の大戦』という表現が口をついて出た。戦争を風化させてはならない心の現れなのか。はたまた基地に対する反発やアレルギーが感じとれる。

 ともあれ2泊3日のトロピカル沖縄を求めての旅行で得た楽しい思い出と土産を一杯抱えて、この26日にオープンする新空港を尻目に那覇空港を後にした。