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4月1日から一週間、アメリカ東海岸を家内と二人で旅してきた。訪れた都市はニューヨーク、ワシントンD.C.だが、お仕着せのパッケージ・ツアーではなく、駆け足ながら極力自分のプランに基づき、わが足で歩くことができた。今までの海外旅行にない、意義深い経験となった。ここに二人の失敗談の数々、珍道中の一端を記す。 今回の収穫のひとつは活気に満ちたニューヨークのエネルギー源を発見したことだ。つまりマンハッタンでは渦巻く人間のエネルギーを、そして西の端ナイアガラでは自然のエネルギーを。 いまひとつはアメリカの象徴をニューヨークのみならず、対照的なワシントンD.C.とも対比して二面から眺めることができたことだ。至る所に星条旗が翻り、さながらアメリカの大きさと強さを誇示しているようだ。改めてそう実感した。 この時期に身勝手な一週間のリフレッシュ休暇願いに対し、職場の上司からは「せっかくの機会だから、気持ち良く行ってくるように」との快諾をいただいた。むしろ仕事のことよりも、年寄りを抱えて三人の息子達が留守を切盛りしてくれるかどうか、という家の内情の方が気掛かりな旅立ちではあった。しかし、それも出発までのことで、儘よとばかりに覚悟を決めてひとたび機上の人となれば、後は11,000kmという隔たりが、それまでの不安を、今から始まる期待に変えてしまうから現金なものだ。 成田を発ってから約12時間、ニューヨークのJ.F.ケネディ空港へ降り立った時は雨である。予想通り岡山よりははるかに寒く温度は2度。「こちらはこのところ雪を見たかと思えば、2、3日前は25度も上がったりの天候不順」と真っ赤な半オーバーを羽織り、ショートカットヘアーに、目元も涼やかな若い美人ガイドのKさんは自らワゴンのハンドルを握って迎えてくれた。 車窓から眺めたマンハッタン クィーンズ・ポロー橋から、夢にまで描いていた高層ビル群、摩天楼を眺めながらブルックリンからマンハッタンヘ渡る。あまりの感激にビデオを廻すのが出遅れるほど。ニューヨークのオアシス、セントラル・パーク公園を右に見ながら五番街の中心のティファニー、トランプ・タワー、聖パトリック寺院などのあるミッドタウンからタイムズ・スクェアを通って七番街を南下、ダウン・タウンヘ。 South of Houston(ハウストン通りの南側)から名付けられたSoHo。アーティストの住人が多く、ギャラリーやブティックの集まる所だ。あらゆる壁に派手なイラスト、車にもボディ・ペインティングをほどこしてある。かつては倉庫街だったが、今は芸術性と洗練の街に変身したそう。まるで街全体がキャンバス、といった感じだ。 首を左右に振っていると今度は、これがニューヨークかと目を疑うような別世界が広がる。チャイナ・タウンだが、隣接してリトル・イタリーもある。このあたりからロワー・マンハッタンになる。言わばウォーターフロントにあたり、世界経済をも担う機関や、行政機能の集まるところだ。 フェデラル・ホールや証券取引所のあるウォール街を通って税関などを車窓観光の後、マンハッタンの最南端バッテリー公園で下車。目前のニューヨーク湾には、東からイースト・リヴァーが、西からハドソン・リヴァーが注ぎ込む。沖にはニューヨークのシンボル「自由の女神」が望める。リバティ島には日を改めて渡ることにする。 続いてサウス・ストリート・シーポートのピア17にある新しい観光スポット、ピア・パビリオンヘ。なかは1Fが魚市場のほか雑貨店、2Fはカフェテリアや小物、3Fにはピザ、クレープ、タコスなどの売り場がいっぱい。4Fにあるレストランに入る勇気と時間もなく惣菜ショップで4品ほどと飲物をとる。ところがピラフのライスは長細くてパサパサでうまくない。エスニツク風に青菜を煮たものも味付けがまずくて食べ残したほど。食事中、窓からは対岸にかかるブルックリン橋とイースト河畔が望め景色だけはよかったが、アメリカ最初の食事がこれでがっかりだ。 世界の平和と安全を守る国連本部ビルはイースト・リバー沿いの42丁目から48丁目まで6ブロックを占める位置にある。事務局ビル、会議場ビル、国連総会ビル、ハマショールド記念図書館の4つの建物で構成されている。 1950年の国連開設以前は、スラム街などがあった、マンハッタンでも最も不潔な場所だったと言うから驚く。ロックフェラーが$850万の巨費を投じて用地を買収、国連に寄付したそうだ。総会ビルで入館者はX線のチェックを受けねばならない。係官が私にカメラを返しながら「ニホン?」と尋ねるから、てっきり日本語でレンズの本数のことかと思い“No. one”と答えた。ところが再度「ニホン!?」と言う。相手が少し笑顔になったのに気づき、どうやら「日本(から、人)?」と愛想をしてくれたものと分かる。“Yes Thank you!”と返礼。 地階には郵便局があり、¢80で4日もあれば日本に届くと言われ、「アメリカ旅行の第一歩はU.N.から平和の願いを込めて」と書き添えてわが家宛にハガキを投函する。 4日間の宿となるLOEWS SUMMIT HOTELへひとまずチェック・インし旅装をとく。係のポーターからCan you Speak English?と尋ねられ、つい家内と顔を見合わせて二人とも“little”とやってしまったので、さあ大変。彼は普通のスピードでしゃべるものだからよく分からない。どうやらドリンク・サービスやらセーフティ・ボックス、冷蔵庫、テレビなどホテルの設備のことについて説明していることだけは分かる。適当に相づちは打ったが、別れ際に「私も日本語が上手になりたい。よいご旅行を」と言ったのはハッキリ聞き取れた。皮肉とも、一流のジョークとも受け取れた。 ホテルに関してもうひとつ失敗談がある。日本では浴衣やスリッパは常設と思いわざわざ持参はしなかった。ところがどちらもない。電話でしゃべるのも億劫なので一晩だけ我慢し、翌朝“There is no slipper”と片言の書置きしておいたが、その後も梨のつぶて。後で聞けば矢張りお国柄、エイズのこともあり衛生上どこのホテルも置いてないそうだ。 時差ボケ解消にシャワーを浴び、ひと眠りしてから夜の街へ散策に出る。五番街を北から南へ下がりブラつく。エンパイア・ステートビルに昇る前に、近くの「元禄寿司」の看板が目につき寿司屋に入ることにする。日本人の店員もいるのに味は本物でない。一人前$10弱でネタも結構大きいが、いまいち味が違う。おまけにお茶のぬるいのがいただけない。とりあえず腹だけはふくれたという感じだ。これで食事に関しては昼、夜とも連敗。 何はともあれお上りさんよろしくエンパイア・ステートビルヘ。午後から雨は上がったものの曇り空。切符売場の今日の展望度合を示す数字に注目すれば、15マイルとなっているのでまずまずかな。エレベーターは一気に80Fへ、ここで乗継ぎだが既にかなりの行列の後に並び、今度は86Fをめざす。果たせる哉、展望台へ出た時には言葉を失うほどの美しさで、まるで宝石箱をひっくり返したようだ。まわりから“Oh、 My God! Gracious!”の声が上がる。夢中でビデオを廻したが残念ながら電波障害か、画像にノイズが入る。カメラのシャッターも切ったがいずれにしても、ありのままに再現は到底不可能と感じた。肉眼が一番と、自らの目にしっかりとおさめる。 自分で歩いたマンハッタン 終日フリー・タイムのため、かねてのプランに従い先ずは歩いてセントラルパークーヘ。ビルの谷間の深い緑の中でジョギングをする人、ベンチで休む人、犬を連れ散歩する人、それぞれ思いおもいにエンジョイしている。芝生にリスを見つけた時は感激した。人工とは言え東西800m、南北4kmの公園には小高い丘、湖、森林、芝生が美しい。鉄とコンクリートの巨大都市ニューヨークにあって文字通りオアシスだ。時間の都合で南のほんの一部、アリスの像あたりを散策する。 次いで訪れたメトロポリタン美術館は質、量とも世界最大級と言われるだけあって、紀元前から現代まで5000年におよぶ芸術作品を集めた膨大なもので、規模的にはルーヴル美術館、大英博物館と肩を並べるそう。館内には200余の展示室があり迷宮に入り込んだような気持ちで、半端な時間では如何ともしようもない。他は超駆け足で廻り、せめて馴染みの深い2Fにあるヨーロッパ絵画を重点に鑑賞する。絵心など丸でない私だが、ルノワール、マネ、モネ、 ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどの巨匠の、しかも美術書でよく見かける絵がボンボンあるのは圧巻だ。これで入場料は$6。更に日本の展覧会では考えられないが、ストロボさえ使わなければ館内撮影もOKというのがうれしい。 警備員は随所にいるが何のとがめもない。好きな絵の前でキャンバスを広げデッサンをする人もいる。ノートに熱心にびっしりとメモをとる人も見かける。先生に引率され、説明を受ける子供達の一団もあちこちで見受けられる。ロダンの「考える人」の実物が小さいのは意外だった。ゴッホの自画像、ルノワールの裸婦像などの前でひとしきり記念写真を撮る。
美術館を出て近くの乗り場から、初めて地下鉄に乗ることにする。何かと悪名の高いニューヨークの地下鉄へ。運賃は全線均一で、$1.15のコイン(トークン)を求めて自動改札口のスリットに入れ、バーを押して通る。各線との乗り換えも自由だ。路線はアルファベットと番号で表示してあるが慣れるまではややこしい。よく飲み込めぬまま入ってきた電車に乗ったはいいが、ブルックリン橋の東詰めに行く積もりが、どうやら路線が違うようだ。仕方なく途中下車し、Kさんの「ロワー・イースト・サイドには行かないように」の注意に反してど真ん中を歩く羽目になる。 なるほど路上は汚いし、薄汚い格好をした人や多くの黒人がたむろしている。昼間でも気味が悪い。おまけにわれわれは、どこから見ても日本人観光客だ。周りの視線が気になる。思わずカメラとバックをタスキ掛けにして、前で握りしめ、足早になるほど。 道中、手首から血を流した若い女性が、私に涙ながらに何かを訴える。不審に思いつい立ち止まって耳を傾けかけた。家内に横から「お父さん、早よ行こ!」と促され、幸か不幸かかかわりあいにならずに済んだ。後から「エイズがうつるよ」とダメを押される始末。 結局、小一時間も歩き、マンハッタン橋のたもとが視界に入った時には内心ホッとした。ここから橋を歩いて渡るのにまた小1時間かかる。橋は歩道の下が電車と自動車の併用であるが、こうして間近に見るとかなり古い。鉄サビが浮き、張り付けたパネルのあちらこちらも剥げかけている。対岸からのマンハッタンの景色は、夜景をイメージしていたので、いまひとつピンとこない。 到着後、折り返し地下鉄に乗る。しばらく走って、とある駅に着いた。そこが終点とも気づかず座ったままの私達は、黒人の女性車掌から何やら怒鳴られ(その様に聞こえた)這々の体で下車、よく分からぬまま適当に乗り換える内に、wall St.の標識が見えたので慌てて下車し地上へ出る。 ウォール街は昨日は車窓からの見学だったので、フェデラル・ホールをのぞいたり、証券取引所の前で改めて写真を撮る。この頃、やっと地下鉄の地図が分かりかけたので乗り継いで、一見の価値ありと勧められていたメーシーズ百貨店へ。 とにかくどデカい。141年の歴史と世界一の床面積を誇る。なにしろブロードウェイから七番街までの1ブロック(約20万平方m)を占めている。正面の看板にはthe world's largest store macy'sと掲げてある。店内は食料品からデザイナーズ・ブランドのファッションまで何でもある。「ここを見ずしてニューヨークは語れない」と言うが、私はそれほどに思わなかった。ただ広いばかりで、特に買いたいものもない。面積の割にトイレの数が極端に少なく、表示も不親切だ。探すのにひと苦労もふた苦労もした。 私は別に好きでもないが、やはり本場のミュージカルなら一度は観たいもの、と思い黄昏せまるブロードウェイヘ。ここタイムズ・スクェアには30以上の劇場が並び、毎日ショーが華やかに繰り広げられている。 やっぱり超ロングラン作品の『キャッツ』か、日本ではまずチャンスのないブロード・シアターの『レ・ミゼラブル』だな。あるいはブロードウェイ史上最高のヒット作であるシューバード・シアターの『コーラス・ライン』もいいな。エディソンの全員ヌード『オー!カルカッタ』も面白そうだ。ちょっとスケベ心ものぞく。 タイムズ・スクェアのど真ん中にあって、当日券が格安で人手できる“TKTS”には行列ができている。果して思い通りのシアターの、いい席が買えるだろうか?の不安がよぎる。服装もジャンパーにジーンズはラフ過ぎる。さりとて今からホテルにとって返し着替えて来るのも面倒だなどと案じる内に気がそがれる。ウィンター・ガーデン・シアターの『キャッツ』の看板バックに写真を撮っただけで、劇場のネオンを後目に、歩いてホテルまで帰る。 アメリカのマナーのひとつに、ひとごみで互いに身体がぶつかり合ったりした場合、双方ともI'm sorryとかExcuse meと軽く謝るものと聞いていたが、なるほど現にもう何度も耳にした。雑踏の中で人をかき分けたり、すれ違うだけでも口をついて出る。 私たちが疲れた足を引きづりながらホテルヘ急いでいる時のこと。私の前を2人達れが横切り、危うく身体が触れそうになった。郷に入れば郷に従えで、百歩譲って私はごく自然に“I'm sorry”と発した。ところがあにはからんや先方からは何と“Your sorry.Go-ahead”の言葉を背中に受けた。余り強い口調ではなかったので、あるいは軽いジョークだったのかも知れぬが後味の悪い一言であった。 ホテルに入った時には足は棒。生まれてこのかた今日ほど歩いたことはないし、今後もまずないだろう。ロス・タイムもあったが、おかげでマンハッタンの地理が頭によく入った。 太古から流れ続ける大自然のパワー アメリカ五大湖は西からスペリオル湖、ミシガン湖、ヒューロン湖、エリー湖、オンタリオ湖と連なり、最後にセント・ローレンス川によって大西洋に流れる。ナイアガラの滝はこのエリー湖とオンタリオ湖の間、約40kmを南北に流れるナイアガラ川にかかる幅1kmの大瀑布である。 ナイアガラヘの玄関口になるBUFFALO国際空港へは、ニューヨークのNEWWARK空港から飛行機で1時間、そこからさらにバスで約1時間かかる。バスは日本人ばかりを乗せた一行37名である。もちろん北海道、信州、関西あらゆる所からで、カップルあり、二男と同い年の一人旅あり、母娘連れ、会社の同僚同士、おじいさんと孫らしき娘と様々だ。ガイドは木村さんという中年女性で、もうアメリカ生活が長いのか少しなまりがある。ドライバーはEllen、骨太の肝っ玉かあさんといった感じだ。そう言えばアメリカではあちこちで働く女性の活躍、しかも男性にとって代わる職種への進出を見かける。 滝は国境線の通るゴート島をはさんでアメリカ側とカナダ側にある。アメリカ滝は幅305m、落差56m、一方カナダ滝は幅790m、落差55m。カナダ滝は侵食により半月形をしていることから、別名馬蹄滝(Horseshoe Falls)とも呼ばれている。滝の眺めは、カナダ側からの方がスケールも大きくて素晴らしい。モンロ−の映画「ナイアガラ」も滝のシーンはカナダ側から撮られたそう。一般的にはナイアガラの滝とはカナダ側の滝をさすそうだ。 ミノルタ・タワーでの昼食タイムには、窓越しながら眼下に雄大な滝の姿を望む。カナダ滝の水しぶきが泡末となり、轟音とともに立ち上がっているが、$4のカナダビールは泡もたたず軽い。そのビールの泡の代わりに、豪快な景観に息を飲む。更に滝を間近で見るにはトンネル観光がある。テーブル・ロック・ハウスからエレベーターで降り、トンネルをくぐり滝壷近くの展望台へ出る。もの凄い水しぶきを防ぐために黄色のレインコートをくれるが、霧になって降り掛かるので油断するとびしょ濡れになる。裏から見る滝も一興で、足元には雪が残る。 滝見学の後はナイアガラ川を更に下る。途中、川向こうにナイアガラ発電所があり、ここからニューヨーク市内へも送電されている。ラピッズ橋から800mほど下流にワールプールがある。大峡谷を通った急流がここで北西から北東へ向きを変える。そのためカナダ側の川岸がえぐられ、直径250mもの大渦巻ができている。ちなみに鳴門の渦がせいぜい20mというからスケールの大ききは容易に見当がつこうというもの。ナイアガラ観光はたっぷり1日かかる。飛行機がNEWWARK空港に着いた頃には、日はとっぷりと暮れていた。 今晩は少し遅い夕食をアメリカらしく決めようと、数あるデリカテッセンの中からカーネギー・ホールの近くにあるザ・ニューヨーク・デリカテッセンを選ぶ。ガイドブックの『広さでは群を抜いて大きく、約500名分の座席がある。天井が高く、ゆったりとしたレストラン気分でデリカフードが楽しめる』に誘われて出かけた。案内されて席に着き、出されたメニューはもちろん横文字でチンプンカンプン。できれはBeef−Steakでもと思っていたので、適当にBeefの字が目についたものを指で示して2人分頼む。Waiterは、一瞬怪訝そうな顔をしたが、焼き具合いも尋ねず引き下がる。何だか変だな、とは思った。 しばらくあって出てきたのはRoast-Beefである。しかも山盛りで、わが家族中かかっても平らげられる量ではない。おまけに野菜、ポテト・サラダ、パン、丸ごとピクルスなどが付いてくる。 ハイネケン・ビールを2本空けるうちにも口の中でビーフ片は一向に減らない。結局パッケージを頼んでホテルヘ持ち帰った。家内も初めからロースト・ビーフと分かっているなら止めてくれればよかろうに、私が注文するのを、そんなに好きだったのかと再認識していたと言う。勿論お互いにこんなバカでかい量とは知る由もなかったが…。 本日目指すはニューヨークのシンボル、自由の女神だ。一番の船がバッテリー公園を出航するのは9時だ。目的地は終点だし心配は要らない。一応マップと首っ引きで地下鉄に乗り、駅に着く度に標識には注意。順調に予定の駅を通過し、終点のひとつ手前の駅(Rector St.)であることを確認した。ところがしばらく走って、ホームもないのに列車が長い時間止まる。随分長い信号持ちだな位に思っているとドカドカ乗客が乗って来る。そして再び電車が動き出し、間もなく終点だなと標識を見れば、先ほどのRector St.ではないか。 どうやら先ほどの停車は信号待ちではなくて、終点に着いていたものらしい。われわれは最後尾に乗っていたため、ホームからはずれ、外が暗いせいもあり、公園駅に着いていたのを見落としていた様だ。また、もう一つ勘違いの原因は常識的には終点に着けば折り返すはずの電車が、そのまま方向をかえずに進行したことにもある。これなどもアナウンスが聞き取れないばかりに起きたミスで、聾唖者と同じだ。仕方がないので、Rector St.で飛び降り、一旦地上へ出てからバッテリー公園駅まで歩く。 おかげで公園へ着いたのは予定より30分ほどの遅れ。桟橋はサークル・ラインを待つ人で一杯で、一便見過ごし10時30分の出航となる。バッテリー公園から自由の女神のあるリバティ島は目と鼻の距離にある。船上からの摩天楼はテレビや雑誌で目にしたお馴染みの光景だ。 船が自由の女神像に近づくと人々は一斉に右舷に集まり、さかんにシャッターを切る。左手には独立宣言書、右手にはたいまつを掲げて百年以上もニューヨークのシンボルとして立つ。 女神の像は台座の所までエレベータが通じ、そこから先へは女神の冠あたりまで、らせん階段を歩いて昇れる仕組みになっている。われわれは台座の展望台までにする。ここで奇遇ながら初日のガイドKさんが、日本人客を案内しているのにバッタリ出くわし、家内と記念写真を1枚パチリ。台座の部分は移民博物館になっており、アメリカヘの移民の様子をうかがい知ることができる。
今回の旅行で念願しながら果たせなかったことのもうひとつは、本場のジャズ・ライブに触れることだ。ジャズ開演はいずれも夜9時過ぎてからだし、場所柄もあまりよくない。個人行動は不安なのでOP.のジャズ・ツアーを申し込んだが、最低の4人がまとまらず実現しなかった。会社の同僚F君からも「もしブルー・ノートヘ行けたら、2Fのショップでジャズ・グッズを買ってきて欲しい」と頼まれもしていたので、グリニッチ・ビレッジヘ出向く。しかし昼間は閉店とあってやむなくピアノの形をした看板をバックに記念写真だけでも撮る。 パリの凱旋門に似た白いアーチがそびえる。これがワシントン・アーチで五番街の起点となる。ワシントン広場ではいろんな楽器をもって即興演奏する人、スケート・ボードに興ずる人、語り合う人、無目的に散策する人、また私のようにそれをわざわざ見に来る者、とにかく「人の集まるところ、パフォーマンスあり」の言葉通りだ。それぞれにのびのびとくつろいでいる。生身の人間達が公衆の面前で好き勝手を演じて見せる。実に面白い。いつまでいても時のたつのを忘れるほどで飽きない。名残惜しいが家内に促され、渋々後にする。ここダウン・タウンにあたるグリニッチ・ビレッジは夜になると一変する。ドラッグの密売人が暗躍し、ゲイが退廃と虚無の匂いを妖しく発散するそう。近くには、ずばりゲイ・ストリートと呼ぶ通りがある。まさにもうひとつの顔だ。 セントラル・パークしかり、バッテリー・パーク、ワシントン広場もまたしかり。このようにアメリカには市民の真の憩いの場がある。ところがどうだ。時あたかもわが岡山はチボリ公園問題で揺れている。莫大な資金がかかり、しかも大半が地元負担となるチボリが本当に必要なのか。否、いま大切なのは庶民誰でもが気軽に楽しめる本当の意味の公園ではないだろうか。ふとそんなことを考えさせられる。 一挙一動に世界の眼が注ぐ白亜のキャピタルとワシントン・ハウス 首都ワシントンD.C.へはニューヨークのラ・ガーディア空港からエアー・シャトルで1時間。ポトマック河畔上空からナショナル空港へさしかかるとニューヨークとは対象的だ。緑の多いゆったりとした落ち着きを感じさせる公園のような街並が見えてきた。 出迎えてくれたのはSさんと言う若い女性だ。ワゴンに乗り込み開口一番「街の条例で国会議事堂より高い建物は建てられない。だからビルの高さは11階から13階くらいまで」の説明にうなづく。アメリカ人にとって人気のある名所ベスト11に連ねる・議事堂、・ホワイト・ハウス、・リンカーン記念館、ウェスト・ポトマック公園、・アーリントン墓地の順番にめぼしい所を半日でまわる。 小雨の降る中、先ずはワシントンの象徴、議事堂を見学。壮麗な白亜のドームの頂上には、自由の女神像が天を突いている。この議事堂の建つ高台の一帯をキャピトル・ヒルと呼ぶそうだ。訪れた日は正面に半旗を掲げていた。前日4日、ジョン・ハインツ米共和党上院議員が飛行機事故で死亡したためと説明を受ける。 中に入り階段を上がると、円形大広間がある。天井には「ワシントン賛歌」が描かれ、周囲の壁には8枚の大きな油絵が掛けられている。 ホワイト・ハウスは、日米首脳会談に臨むため海部首相がカルフォルニア州ニューポートビーチを訪れている話などしながら、外から眺め記念写真を撮っただけ。リンカーン記念はギリシャの神殿を思わせる神石の建物で、正面から見ると10本の柱に支えられている。建物の中にあるリンカーンの座像の目の高さから見ると東へ順に、記念塔を水面に映すリフレクティング・プール、そそり立つワシントン記念塔、白亜のキャピトルまでが一番美しく、そして一直線上に並ぶ。これは『初代大統領ジョージ・ワシントンで建国し、リンカーンでアメリカを一つにした』という意味だそうだ。この議事堂からポトマック川岸まで東西に長く絨毯を広げたような緑地帯をモールと呼ぶ。 ウエスト・ポトマック公園の一角に、ポトマック川の水がたまってできた池ダイタル・ベイスンがある。その周囲には1910年と1912年に尾崎行雄東京市長から贈られた桜が植えられ大きく育っている。 ソメイヨシノは満開でちょうど見ごろだ。真偽のほどは定かではないが「佐藤栄作が桜を贈ってノーベル平和賞を貰ったので、その賞欲しさに申し出たが断わられた御仁がいる(笹川良一?)」とSさんが面白く話す。 メモリアル橋を渡りポトマック川を越えると、バージニア州のアーリントンで、有名な国立墓地がある。独立戦争から現在まで17万5000名の兵が眠る。広さは18ホールのゴルフ場が3つは楽に納まる。1963年、テキサス州のダラスで暗殺された35代大統傾J.F.ケネディの墓へ参る。地面に埋め込まれたシンプルな墓石があるだけで、両脇にはジャクリーヌ夫人との間に死産と早産なされた2人の子どもも眠る。後ろには「永遠の火」が燃えている。一角にはケネディの就任演説を彫った低い石碑がある。強く印象に残る言葉である。 「国があなたのために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国のために何が出来るかを問おうではないか」 「人類が一つになって、世界の平和のために何が出来るかを問おうではないか」 市内見学の後は商務省ビルとペンシルバニア街をへだてて建つショッピング・モールのザ・ショップを一回りする。集合店がいっぱいで、近くにはメーシーズ百貨店もある。帰りは地下鉄に乗ったが、ニューヨークのそれとは大違い。明るくきれいでビデオカメラも抵抗なく廻せる。 宿舎はワシントン・マリオットで、これもニューヨークのローズ・サミットより星印が多い方だ。締めくくりにあたり夕食は、ホテルのレストランで家内の念願のビーフ・ステーキを奮発する。ワインもあうが、ハイネケンの喉ごしがうまい。時折2階から音楽がこぼれる。キャンドルの灯のもと、落ち着いた雰囲気のなかで時間をかけて食事をする。そして静かにワシントンの夜は更ける…。 湾岸戦争で落ち込んでいた海外旅行者は徐々に回復しつつあり、ゴールデン・ウィークにはピークに達するだろう。こうしてわれわれが旅を楽しんでいる時にも「6日にはパリ近郊で大阪の26才の女性が他殺体で発見」「韓国の古都・慶州では三重の女子学生が行方不明」と新聞が報じている。いずれも無防備な女ひとり旅の惨事だが、この例に待つまでもなく国によっては治安、対日感情、自然条件などを余程考慮に入れて行動しなけれは危険と隣りあわせだ。 幸い私たちのアメリカ旅行は、はぼ所期の予定通りに無事終わることができた。帰国してからも時差ボケは2〜3日続いたが、心身ともにリフレッシュし、また明日から頑張るぞ!という気持ちになる。あらゆる条件がマッチしたおかげで、素晴らしい経験ができたことは世話になったみんなに感謝している。 ただ惜しむらくは、英語力の不足で十分なコミュニケーションがはかれなかったことだ。そして今回はお忍び旅行のため限られた人だけに、最小限の情報しか流してなかったので、かえっていらぬ憶測を呼んだことだ。出社早々、2階は総務から1階の広告まで「どうでしたか?」「どちらへ?」「奥さんもご一緒で?」と結構あちこち抜けているに驚かされたし、「東海岸」が「西海岸」と伝わっていたり、「アメリカはビザが不要なので、湾岸戦争のキャンセル旅行に応じて急きょ割安で行ってきた」などのまことしやかなデマを取り消さねはならぬのに閉口もした。 いま大国アメリカは双子の赤字(貿易と財政)、エイズ禍の蔓延、失業者の増加、湾岸戦争終結後の諸問題などを抱え傷つき疲弊してはいるが、やはりわれわれからすれば“世界のアメリカ”には違いない。 この「かけある記」を書き上げた4月18日現在、日経平均は27,000円の壁が厚くもたついている間に、とうとうNYダウは3,000ドルの大台に乗せ史上最高値をつけた. |