イタリア8日間の旅 2003(平成15)126日-13日
目が眩むほどの世界遺産



ミケランジェロ広場よりフィレンツェ市街を望む



ミラノ
ベルガモ
ヴェネツィア
フィレンツェ
ローマ
ナポリ

2003
(平成15)126()曇り
パリまで12時間、更にミラノへは1時間


日航JL425便は関空を6日午後2時半頃に発ち、長いながーい12時間の飛行の末、予定より50分早くパリのシャルル・ド・ゴール空港へ到着。現地時間では6日午後6(日本時間で7日の午前2)

シャルル・ド・ゴール空港

シャルル・ド・ゴール空港での乗り継ぎは4時間もあったにもかかわらず、出発直前になって搭乗後に再び寒い機外に出されてsecurity checkのため一人ずつ自分の荷物を確認させられるハプニング。これに手間取りAIR FRANCE AZ313便は、予定より1時間半も遅れ出発し、約1時間でミラノのリナーテ空港へ到着。

空港から10kmほど走り、第一夜の宿舎HOLIDAY INN ASSAGOに入ったのは午後11(日本時間7日午前7)。日本を発って17時間が経過、その間機中では微睡むだけで、日本時間ではほぼ徹夜した勘定になるが、いつもありがちな時差ボケ症状は出ない。



2003(平成15)127()曇り

ミラノ、ベルガモからヴェネツィアへ


スフォルツェスコ城

6時半モーニングコール、7時半には荷物出し、8時半には添乗員吉村さんと元気に「ボンジョルノ!」と挨拶を交わしてバスは出発。陽気で大きな鷲鼻の運転手ルイジにローマまで身を委ねることになる。先ずはミラノ市内の観光で、日本人ガイド・ウスイさんのガイドでスフォルツェスコ城を見学。

ドゥオモ、スカラ広場

後期ゴシック建築の最高峰ドゥオモ、オペラの殿堂スカラ座、ガラス張りのアーチ天井を持つアーケード、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを通ってスカラ広場へ。移動中にビル屋上の電光掲示板を見上げると、温度は6℃とある。

ドゥオモ


スカラ座
ドゥオモ広場


スカラ広場

昼食はミラノ風リゾットとカツレツ。妻の残したカツレツをもったいないので全部平らげたのと、生ビール大を飲んだのがまずかった。次の観光地ベルガモまでは4,50kmの距離なのだが、バスが走り出してほどなくして腹具合が悪くなり額からは冷や汗が…。これから高速道路に乗るというので困惑していたら、幸いなことにバスが給油することに。これ幸いにガソリンスタンドのトイレに駆け込み事なきを得る。


ベルガモ
ヴェッキア広場

後ろはロンバルディア平野

石畳の小道が続く丘の街ベルガモには中世やルネッサンス期の教会や宮殿が建ち並び、眼下にはロンバルディア平野が見渡せる。


 水の都・ヴェネツィアでの夕食は、ボンゴレのパスタと魚料理。赤ワイン500ml1本。HOLIDAY INNヴェネツィアホテルへ。


2003(平成15)128()晴れ

水の都・ヴェネツィアからフィレンツェへ


ドゥカーレ宮殿、サン・マルコ寺院
 
825分、ホテルを出発。水上タクシーでサン・ザッカリーアに着くと早速、41組でゴン
ゴンドラ遊覧
ドラに乗換えて大運河へと乗り出す。街の中心部を逆S字型に流れるこの大運河は、水上都市ヴェネツィアのメインストリートだ。運河沿いの両岸には共和国時代の貴族や商人の館が建ち並ぶ。

総監の館として使われていたドゥカーレ宮殿の中を見学、ためいきの橋を往復渡ってからサン・マルコ広場へ出る。広場には木製の台が並ぶ。記念写真用かと思いきや、地盤沈下、気象現象、高潮などの要因により時折アクア・アルタ(高潮)という現象が起きる。1m以上も冠水することがしばしば。台はその時のためだ。

サン・マルコ寺院も入ってみる。ベネチアングラスの工房を見学。

        

対岸はサン・ジョルジョ・マッジョーレ島
サン・マルコ広場
ためいきの橋
サン・マルコ小広場


 
昼食はサン・マルコ広場から歩いて10分ほどの処にあるレストランで、イカ墨のパスタと魚介類のフライ。赤ワイン500ml1本。

昼食後は1996年に火災で消失し再建中の、欧州有数の美しさを誇ったラ・フェニーチェ歌劇場を見学。


フィレンツェ

再び水上タクシーで戻り、バスで一路フィレンツェに向かう。夕食はトスカーナ料理(フィレンツェ風ステーキ)に名産のワインがつく。

宿舎はHOTEL RAFFAELLO



2003(平成15)129()曇り

ルネッサンスの都・フィレンツェ


ウフィッツィ美術館
ポンテ・ヴェッキオ橋
 ホテルを7時半に出発、午前中はフィレンツェ市内を観光。映画『眺めのいい部屋』でお馴染みのシーンだ。アルノ川そしてそれに架かるポンテ・ヴェッキオ橋の近くのウフィッツィ美術館へ。ルネッサンス芸術の宝庫だ。同美術館の売店でボッテ
シニョリーア広場
ィチェリの『ヴィーナスの誕生』『春』のコピーを求める。美術館を出ると北にシニョリーア広場がある同広場に面してヴェッキオ宮が建つ。ゴシック建築で、塔の高さは94mある。入口にはミケランジェロ作品のレプリカ『ダヴィデ像』がある。

ドゥォモ(花の聖母教会)

 ドゥォモの向かいのサン・ジョヴァンニ洗礼堂は11世紀に建てられたもの。入口の扉には精
花の聖母教会・ドゥォモ
緻で華麗な金の浮き彫りが施されている。ミケランジェロが“天国の扉”と讃えた東側の扉(ギベルティ作)を見学したが、これはドゥォモ美術館に移され、レプリカである。
 高さ106mの大クーポラ(円蓋)が大輪の花のように美しいお馴染みのドゥォモ(花の聖母教会)へ。フィレンツェ共和国が1296年から約140年かけて築造したもの。クーポラから市街が一望できるが、463段あり40分かかると
ドゥォモの大クーポラ
いうのでこの後の自由時間では間に合わず残念ながら断念し、サン・ロレンツォ教会の脇にあるアリエント通りに並ぶ露店市を覗く。皮製品や衣料、小物類を売る小さな店が道の両脇にぎっしりと並ぶ。

 昼食はミケランジェロが眠るサンタ・クローチェ教会近くの中華料理店で、イタリア料理が少し鼻についた頃なのでタイムリーで美味しかった。

ミケランジェロ広場

ミケランジェロ広場はピッティ宮の東方、アルノ川の河畔に広がる小高い丘の上にある。

フィレンツェ市街を一望
広場の中央にはミケランジェロ作の彫像『ダヴィデ』のコピーが、街を見下ろすように建っている。アルノ川越しにフィレンツェの街が眺められ、ポンテ・ヴェッキオ橋やドゥオモが配され絵になる風景だ。何枚もシャッターを切る。

世界遺産・ピサの斜塔

ピサの街はフィレンツェからバスで北西へ小一時間。見所は中世に地中海の海運都市として栄えた時代のモニュメントであり、そのほとんどが集まるのがドゥォモ広場で“奇跡の広場”と呼ばれている。世界遺産のひとつでもある。

支えて乗せて

 観光バスが駐車場に着いた後は、連結乗合バスに乗換えて広場まで運んでくれる。やはり最初にピサの斜塔が目にとまる。斜塔は
1173年に着工されたが、地盤沈下のため工事が中断、その後、塔の中心軸をずらすなどの工夫を凝らし、14世紀後半に完成した。高さは約55mで、2層目から上は列柱回廊が取り巻いている。ガリレオの“落下実験”が行われたことでも有名である。

 その斜塔を手の平に乗せたり、倒れ掛かるのを支えるお得意のポーズで記念写真を撮る。
斜塔の北向かいにはドゥォモ、その西隣には円形の建物に八角の円屋根がのった洗礼堂が建つ。ドゥォモは壮大な建築で内陣にはガリレオのランプが下がる。
壮大なドゥォモと礼拝堂の内陣

 夕食は宿舎
HOTEL RAFFAELLOの中にあるレストランでミネストローネスープと肉料理。イタリアビール1缶。


2003(平成15)1210()曇り

永遠の都・ローマへ


 
イタリア半島の中ほど、リグアーナ海に面した一帯がトスカーナ州であり、州都がフィレンツェである。そのフィレンツェを後にして、バスでローマを目指す。距離にして280km。車窓からはゆるやかな丘に緑の糸杉が立ち並び、オリーブの林やブドウ畑が続く、夏はヒマワリが咲く。糸杉は魂が天に昇るといわれ墓に植えたりもする。


PAPA Rexにて

古代ローマ帝国の建国は紀元前。地中海の小さな都市国家から帝国を築き上げた永遠の都ローマ。『すべての道はローマに通ず』

ローマに入って一番にヴァチカンに向かう。何かセレモニーがあったようで大勢の軍人たちに出くわす。ヴァチカン市国近くのレストランPAPA Rexでの昼食は、薄焼きのピザ・カプリチョーザ。


  ヴァチカン、サン・ピエトロ寺院、サン・ピエトロ広場

ヴァチカンは世界一小さな国家であり、世界一有名なカトリック教会でもある。日曜や祝日には教皇宮殿のバルコニーにパーパ(法王)が現れ、サン・ピエトロ広場に集まった群衆に祝福を施す。

サン・ピエトロ寺院

 サン・ピエトロ寺院は、世界に約10億の信者を擁するカトリック教会の総本山である。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が324年に着工し349年に完成した。1506年に再建計画が始動。ミケランジェロやベルニーニなど、当時活躍していた芸術家をイタリア全土から集め、120年の歳月をかけて再建した。厳重なセキュリティチェックを受けて中に入る。入口にはミケランジェロの傑作『ピエタ像』や、中央身廊には、その右足に触れると幸福が授かるという『聖ペテロ像』がある。規模の大きさ、内部装飾の豪華さは比類がないといわれる。

サン・ピエトロ広場

 サン・ピエトロ寺院の前には壮大なサン・ピエトロ広場が広がり30万人が収容できる。300年の歴史を持つ聖なる広場には多くの観光客が集まる。噴水の近くではクリスマスの飾りつけ工事が進んでいる。

不覚にも外套の前をはだけてウエストポーチをあらわにしていた私は3人組のスリに取り囲まれる。ツアーグループが威嚇となり事なきを得る。同時に秀子には、かわいい娘が時間を尋ねるふりをして近づく。私も含めてグループのあちこちでも同様に時間を尋ねて回ったそう。相手のスキを窺っていたもの。いずれも未遂に終わって幸い。


古代の円形闘技場コロッセオ
コロッセオ

映画『ローマの休日』に出てくる有名な“真実の口”は車窓から観光し、ほどなくしてコロッセオに到着。5万人を収容した古代ローマの巨大な円形闘技場は長径188m、短径156m、高さ57m、アレーナ部分は長径86m、短径54mある。ヴェスパシアヌス帝が着工し、8年後の紀元80年、息子のティトゥス帝の手により完成した。ローマ市民に娯楽を提供するために造られた闘技場で、人と猛獣の死闘や命を賭した剣闘技などが繰り広げられ、ローマ市民を熱狂させた。

コンスタンティヌス帝の凱旋門

コロッセオのすぐ西にはコンスタンティヌス帝の凱旋門が建っている。高さ21m、幅25.7mでローマ最大の凱旋門である。313年にキリスト教を初めて公認したコンスタンティヌス帝は、その前年、政敵だったマクセンティヌス帝との戦いに勝利を収めた。それを記念して315年に元老院や市民によって建てられたもので、数々の浮き彫り彫刻により飾られている。これらの彫刻は、トラヤヌス、マルクス・アウレリウスなどの皇帝の記念建造物から剥ぎ取って、移したものだ。



再訪伝説で有名なトレヴィの泉
 
トレヴィの泉に着いたのは薄暮時でイルミネーションに照らし出されていた。肩越しにコインを投げ入れると、ローマに再訪できるという伝説で有名。
トレヴィの泉

クレメンティウス12世が建設を提唱し1762年に完成した。中央にたたずむのは2人のトリトーネが引く2頭の海馬と、それを駆って走る海神ネプチェーンの彫像。上方には、アグリッパ将軍(紀元前19年にローマに水道を引いた功労者)らに水源を示す伝説の乙女の姿が見られる。

トレヴィの泉の脇にあるGelateriaでジェラートを注文する。

ローマの宿舎はPRESIDENT HOTEL2連泊。ホテルは日毎によくなり、中でも最後のPRESIDENT HOTELが一番。テルミニ駅から地下鉄A2つ目のマンツォーニ駅の近くにある



2003(平成15)1211()曇り、晴れ

南イタリアを訪ねる


 今朝も吉村さんと「ボンジョルノ
!」と挨拶を交わして、ホテルを7時半に元気にイタリア南部のナポリへ向けて出発。途中、パラッときたがナポリに着いた時には上がり、車窓からは妊婦が上向きに寝ている姿に例えられるカプリ島も望める。紺碧のティレニア海に面し、東にはヴェスヴィオ火山が雄大な姿を見せる。ダウンコートを脱いでも汗ばむほど。

ナポリと古代都市ポンペイの遺跡
 
ナポリは人口約120万人の南イタリア最大の都市。ポンペイはナポリの南にある古代ローマ時代の遺跡である。ギリシャの殖民都市ポンペイは、紀元前8世紀頃から町造りが始められ、海運業を主体に大きく発展したが、紀元前80年にはローマの侵攻より支配下に入った。やがて町は繁栄して人口約16,000人の商業都市になったが、紀元79年8月24日にヴェスヴィオ火山の大爆発により、溶岩や火山灰の下に埋もれてしまった。大爆発は3日3晩続き、エルコラーノだけでなく離れているナポリまで被害があった。
バックはヴェスヴィオ火山

分厚い灰の下から偶然遺跡が発見されたのは16世紀の末。本格的な発掘調査が始まったのは1748年からで、現在では町の約3分の2が地上に姿を表しているが、全体的にはまだ半分以上が埋もれている。

ポンペイ遺跡の入口

発掘された遺品の殆どはナポリの国立博物館に収蔵、展示されていて、それを見るとローマ時代の文明の高さがはっきりわかる。人々の生活は非常に豊かで、道路は歩道と車道の区別があり、横断歩道まである。また、上下水道完備で、上水道は鉛管が使用されていた。通りに面して酒屋、クリーニング店、パン屋(当時の人々の主食)等があり、裏通りには売春宿まである。

ragazzoたちと

<舗装道路と飛び石>

 マリーナ門から続くメーンストリートの1つで、平らな石で完全舗装されている。しかし下水設備は無かったため、道路が排水溝を兼ねていた。雨の時に足を濡らさずに道路の反対側に渡れる様に飛び石が所々に置かれている。

<街角の公設水道>
 町を歩いていると、表通りの要所要所にこの様な公設水道が備え付けられている。住人や旅人などが、自由に水を使えるようにしてあった。日本の宿場と同じ。蛇口には色々な動物や人間の顔が彫られており、口から水が出る様になっている。
<アポロの神殿>
 マリーナ門を入って行くと、バジリカや神殿などが多く集まっている。社会生活の中心地であるフォーラムになっていて、このアポロ神殿もそれら神殿の1つ。

<豪商の邸宅とモザイク床>

豪商の邸宅では入口の床にはモザイク模様が施されている。内庭には小さな池のようなプールがある。内庭とプールは豪商の邸宅に共通したもの。また中庭には人物像や透き通るほど薄く加工された大理石の水盤や噴水が配置されている。

住宅中庭(27KB) 地中海貿易で多くの富を得た豪商達の邸宅は一軒当たりの敷地面積がとても広く、普通の商店や民家に比べて数倍の広さ。
<町の南端の発掘現場>

ポンペイの町は、海に面した高台に造られている。南側の斜面はまだ完全に発掘されておらず立ち入り禁止区域。200年かけて掘っても、なお未発掘部分が多い大きな遺跡である。

<遭難者の復元像>

博物館には、発掘の際に空洞に石膏を流し込んで復元した遭難者の姿が展示されており、痛む心をおさえてビデオに収める。
 2001年は「日本におけるイタリア年」にあたり、「世界遺産ポンペイ展」が日本各地で開かれた。その説明によれば、最近では人を泥流が包んだ空洞を発見すると、石膏ではなくて透明なプラスティックを流し込んで「人型」を採取して装身具などの遺留品も見逃さないようにしているそう。

ポンペイ遺跡見学の後、近くのレストランで昼食中、突然にカンッオーネの流しが入る。「流石はご当地」と感心しながらビデオに収める。ところが、歌いながら相方が帽子を持って、チップを促して各テーブルを回るのを見て興ざめする。


ナポリの街

ナポリの街は、サンタ・ルチア港、ヌオーヴォ城、卵城などを車窓観光。一箇所だけ南海岸(レプッブリカ広場?)で下車して記念写真。

メルジェッリーナ港を麓になだらかな稜線を描くポジッリポの丘


カメオブローチ
3つお揃いのカメオブローチ

ポンペイではカメオ工房へ寄り、留守を預かる3人の嫁にお揃いのカメオブローチを求める。一行の中の娘や吉村添乗員、店員など皆さんからアドバイスを貰って品定めをし、お気にいりが決まる。

カンツォーネ

ナポリからローマへ戻り、イタリアでの最後の晩餐はカンツォーネを聴きながらのディナー。場所はPRESIDENT HOTEL近く。記念にCD(2,100)を求める

カンツォーネを聴きながらイタリアでの最後の晩餐


2003(平成15)1212()晴れ

目が眩むほどの世界遺産に巡り合う

PRESIDENT HOTEL北窓より望む

早くも帰国の日となった。8日間はあっという間に過ぎた。文化と歴史を今に伝える遺跡や建造物、芸術作品の数々にふれることができ、実り多い感激のイタリア旅行だった。行く先々で目が眩むほどの世界遺産に巡り合った。イタリアには世界遺産(文化、自然、複合遺産)36件あり、紀元前から育まれてきた。ちなみに世界遺産の総登録数は129カ国、754件あり、日本は文化遺産9件、自然遺産2件である。


2003(平成15)1213()

曇り、12.56.0

意義深いイタリアへの卒業旅行

今回のイタリア旅行で特筆すべきは、私の退職に際して3人の息子たちが用意してくれたギフト旅行券、岳父からの過分の志、弟の心遣いなど直近のサポートがあったればこそと心から感謝の念にたえない。いろんな思いが込められた意義深い卒業旅行となった。

しかし、海外を旅していつものことながら、わが日本が一番であることを痛感する。どうのこうのいっても治安はいいし、何より料理のバリエーションが多くいずれも美味い。それに物は豊富で物価もまずまずだ。どうしても海外で求めたい土産などもなかなか見当たらない。