結婚十周年記念ハワイ旅行 昭和55年9月18日−23日
 初の海外旅行 南海の楽園


 
二人の初体験、ハワイヘの旅立ちは伊丹空港を予定より30分遅れの18日午後7時発、PAOlO便のナイトフライトで始まった。簡単な機内食の後も、軽い興奮と慣れぬジェット機のエンジン音でなかなか寝つかれぬ。微睡みの中で日付変更線通過のアナウンスに時計の針を合わせる。大阪を立ち8時間程(日本時間19日午前1時過ぎ=現地時間18日午前8時過ぎ)で夜明けを迎え、美しい雲海を望む。熱いお茶のサービスを受け、日本から約7時間の飛行で、18日午前6時54分(以下現地時間)ホノルルに到著。

 ターミナルに降りたった途端、温かい空気に包まれ、頬を撫でる風が心地よい。入国手続きに向かう数両連結のウィキウィキバスの車窓からの南国独特の風景は、機中での睡眠不足を吹き飛ばしてくれる。「ハワイヘ来たんだ!」の実感がこみあげてくる。日本出国の時と違って入国審査、税関はいずれも簡単なものであるが、かなりの人で混雑し大変手間どる。頭で描いていた“レイのサービス”は全くシンプルかつ儀礼的なものであり、勿論美女による頬にチューなどなくちょっびり残念。

ウェルカム・ランチの後は市内観光


 空港ではジェットツアーの係りの出迎えを受け、宿泊ホテル別にマイクロバスに乗り込み市内観光へ出発。われわれワイキキ・タワー・ホテル・グループは総勢11名で、日系二世運転手が流暢な日本語でガイドも務める。

 最初に訪れたのはヌアヌ・パリ。その昔、カメハメハ大王がハワイ諸島を征服した最後の古戦場と言われ、コオラウ山脈がわずかに途切れる場所にあたり、
アラ・モアナ公園
アラ・モアナ公園
常に北東から強風が吹き抜けることで有名。

 続いてパンチ・ボールの丘へ。ここは第二次大戦からベトナム戦争にいたる約2万の英霊が眠っており、国立記念墓地のある丘。ここからはホノルル市街をはじめダイヤモンド・ヘッド、ワイキキ・ビーチなどが一望できる。

 カメハメハ王像の前で写真をとった後、パラダイス・パークではウェルカムランチ。夜は宿WAIKIKITOWER OF THE REEFの近くのレストランで、強烈なリズムに乗って歌い踊るポリネシアンショーを見ながらのバイキング料理。

サンセット・セイリングでムード最高潮


 
咋日は時差ボケもあったが、ぐっすり休み6時30分には気持ち良い目覚め。ホテル1階にある食堂Waikiki Broilerで朝食。ベーコンと日本風流し焼き、ジュース、コーヒー2人前で$9.10+TX¢3.66+チップ$1.50でしめて$10.96(約2,360円)。

 終日自由行動のため先ずDFSへ出向き、9時開店を待って土産物を1時過ぎまでかけて求める。

 ワイキキ・ビーチに出て見る。ダイヤモンド・ヘッドをバックに記念写真を撮ったり、大胆なビキニ姿にしばしシャッターを切る。ホノルル銀座のカラカウア通りにある、インターナショナル・マーケット・プレイスもぶらついてみる。

ダイヤモンド・ヘッドをバックに
ダイヤモンド・ヘッドをバックに

 夕方からはOPでサンセット・セイリング(@$22)に。帆船に乗り“マイタイ”を飲みながら、船上で奏でるハワイアンとフラダンスに興じつつハワイムードにひたる。静かに沈みゆくサンセット、陽気なアメリカ人、底抜けに明るいフラダンサー。対岸のワイキキのホテル群に明かりのともる火点頃がまさにクライマックス。何故か月がやけに大きく目に映る。頬を撫でる潮風が心地良い酔いさまし。

 今日は折りしもハワイのお祭り、アロハ・ウィーク(9月19日−10月24日)に入ったばかり。今夜はHOOLAULEAにあたりメインストリートのカラカウア通りは6時30分から10時30分まで歩行者天国となる。随所の花で飾られた特設ステージの上では、フラダンスなどが繰りひろげられている。

伝説と庭園の島 カウアイ島


 
本当は一泊したいところだがスケジュールの都合で、カウアイ島日帰り(OP@$158)。ポイントはシダの洞窟とワイメア渓谷の駆け足観光。

 南国を象徴する機体にオレンジラインの入った、あでやかなアロハ・エアラインでホノルルを飛び立つと間もなく20分程で、リフェ空港に到著。距離にして163km。

 ガイドは流暢な日本語を話す日系二世のおじいさん(77歳)であるが、到底歳には見えない若々しく好感のもてる誠実なガイドぶりである。

 ワイルア川の河口から観光船でさかのぼること6km、60分程でシダの洞窟へ。船上では例によってハワイアンの生演奏。かつては王家の人々が結婚式を挙げたという、この洞窟は何の変哲もないただの洞窟である。ハワイのウエディング・ソングを聞かせてくれる。

シダの洞窟
シダの洞窟

 昼食は大本組の経営するシャラトン・ホテルで例の通りバイキング料理。ガイドから「上手に食べるコツは最初うまそうな物を少しづつ取り、次にはとりわけ美味かった物を思い切り、しかもその都度皿はとりかえ、一人10皿までは…」と教わる。

 飛行機が予定より早く着いたため、特別に寄り道してカララウ展望台ヘバスを着けてくれる。ために皆で気を使い運転手にチップを募る。

 ハワイのグランド・キャニオンと言われるだけあって、ワイメア渓谷はかなりスケールの大きなもので、その雄大さにしばし見とれる。

 クヒオ公園では溶岩にできた穴から、クジラの様に海水を吹き上げる潮吹き岩なども見る。ハワイでは今、予備選挙とかで沿道にプラカードを持って、支持者をアッピールする独特の選挙風景がいたる所で見うけられる。日本と違ってスピーカーのボリュームー杯あげての連呼もなく、静かでのんびりしたもの。

 最後に沿道にある民芸品店で車を止めショッピング。貝でしつらえたモビールを求める。6時過ぎにリフェ空港を後にする。

 ホテルに帰って買い残したみやげ物もあり、再びDFSへ。夜10時(日本時間午後5時)過ぎ国際電話。わが家は出ないため家内の実家へ。子供達は近くの遊園地へ行っており、義父と2分30秒話す。ホテルの交換を通してダイヤル直通。多少ザーという雑音はあるものの、到底6,200km隔たっているとは思えぬ。料金はパーソン・テゥ・パーソンで約$9。日曜日はもっと安く約$6。

キャデラックでオアフ島一周巡り


 
団体バスでおしきせの観光地巡りと思いきや、9時にホテルに出迎えてくれたのは型こそ古いがキャデラック。しかも、同行の人は広島の一人旅のじいさん清原氏だけ。運転手兼ガイドは矢張り二世であるが、あまり日本語がうまくない。時に質問しても説明の言葉につまる。

 先ず訪れたのはハワイ大学であるが、校内をゆっくり素通りしただけ。次に真珠湾が一望に見渡せるペルリーチ(パールをもじったもの)に。こちら風に言えば、さしづめベットタウンといったところ。今は平和そのものだが昭和16年12月7日、日本軍の奇襲攻撃で太平洋戦争の火ぶたが切られた開戦の地である。日米両国民にとって忘れがたく、ふれたくない名であろう。湾内に浮かぶフォード島周辺にはいまでも戦艦アリゾナ、ユタなどの残がいを当時のまま残してあるそう。忌わしい過去の古傷というよりも、むしろ平和へのメモリアルか。そう願いたいもの。

 余談だが「ハワイの生活費は月30万円程度で、税金が高く軍事費のウェイトが突出している…」とか、の話を聞きつついつの間にやらパイナップル農園に到着。昼食はクイリマ・ハイアツト・リゾート・ホテルでまたもやバイキング。いささか食傷気味で美味そうな物だけ少し食べる。楽しみにしていたポリネシアン文化センターは日曜日のため休館。横目に見ながら通り過ぎ。

 紺碧の海に続く海岸線をひた走る。乗り心地が良い上に、連日のくたびれが手伝いほんの少しうとうとする。

 オアフ島の東端マカブラ岬にある人工海庭、シーライフパークではイルカの素晴しいショーのひと時を過ごす。

 オアフ島最南端でダイヤモンド・ヘッドの裏にあるハナウマ・ベイは禁漁区になっており、あらゆる熱帯魚が泳ぎまわっていると言われる。ここでは三遊亭小円遊がファンと記念写真におさまっているのに出くわす。後日談になるが、テレビの“笑点”のビデオ撮りがあったとか。街で何人かの落語家を見かけたのも道理。しかし、僅かこの2週間後に小円遊が食道静脈瘤で他界したが、あの時見かけた元気そうな姿がウソのよう。

 4時30分頃にはホテルに帰着。家内をひとり残しワイキキ・ビーチヘ。通りすがりに英語で「ダイヤモンド・ヘッドはどこか?」と尋ねられ、突然のこととて一瞬どぎまぎしてやっと「0VER THERE」と指差しただけに終わったのは、学生時代に多少英語を勉強したつもりの自分にとって、あまりの不甲斐なさにあきれる。咋夜の国際電話にしても交換を呼び出すのに家内にやらせたもの。

 それはともかく、泳いでいるそばで大きな海ガメが首を出したのにはビックリ仰天。そして、色とりどりの熱帯魚が手でつかめるのは「さすがハワイ!!」

再度の来訪を誓って帰国の途
 ハワイはまさに南海のパラダイスである。浮世の憂さや仕事も忘れ、浦島太郎みたいなもの。6日間はアッという間に過ぎ、早くも帰国の日である。スケジュールに追われ行きたくても行けなかった所、やりたくても果せなかった事、もっと時間をかけたかった所…まだまだ沢山ある。またいつの日か、できれば息子達も連れて再訪したいと念願しつつ、数々の思い出と土産物を抱えて、12時15分のPA009便でホノルル空港を後にした。
                 ア ロ ハ