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| 天安門事件前夜の中国 | ||
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M旅行代理店に勤める弟から「自分の企画した“北京と上海5日間”に行かんか?」と誘われたのが7月19日の昼食時。それまでめったに海外旅行など縁のない小生にとって、中華人民共和国は夢想だにしなかった。が、日程が8月11日から15日で盆休みがからむ上、今度はまず異動対象ではないので休暇がとりやすいのと、弟が添乗で心丈夫なのでほぼ即決。家内のパスポート申請にとりかかる。子供達もその気さえあれば連れて行くつもりで、大分けしかけたが3人の息子とも後に下がり留守番役となる。いわば降って沸いた中国旅行だけに、十分な予備知識もないまま出発当日を迎える。 M観光ほか4社でチャ−ターしたJAL1789便(219人乗り)は、ほぼ満席で新岡山空港を予定より35分遅れ、11時55分に離陸した。ほどなく瀬戸大橋、讃岐富士がくっきり見える。出発して1時間35分後(13時30分)には「中国大陸・蘇州上空で、揚子江が見える」とのアナウンス。更に55分程すると(14時25分)眼下に黄河が見えてくる。この頃になるとコクピットを自由に見せてくれたが、「万一でもあれば」と逆にいらぬ心配をする。 北京首都空港に着いたのは午後3時。所要時間は3時間5分で、新幹線の岡山から東京間より近い。飛行機を降りると長いエスカレーターに乗って入国審査。審査官は女性である。手荷物受取所の照明はうす暗い。税関は簡単なチェックのみ。北京の気温は30度、曇りでムッとする暑さ。4月中旬から9月中旬までサマータイムで通常より1時間早く、日本との時差はゼロ。今日から3日間ガイドをつとめてくれるのは呉さんと言う、まだ若い女性ガイドと曲氏という全線随行員である。 |
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| 自転車の洪水とあふれる人 | ||
空港から市内に至る直線道路には延々18Kmにわたってポプラ、柳、アカシアの並木が続く。日本では想像もつかない。話には聞いていたがなるほど市内に入ると自転車の洪水である。その中を荷馬車もあればバスも走るで、街は入り乱れている。人はあふれ、ランニング姿、上半身裸も目立つ。道端では子供達がビリヤードに興ずるのも見かける。 午後4時半、今日から2日間の宿、日航京倫飯店にひとまずチェックイン。今朝の車中、弟から中国旅行の心得ワンポイントのひとつに「兌換券への両替は少しづつ」の指示に従い、ホテルでとりあえず1万円(268.03元)だけ交換する。 先ず訪れた天壇公園は北京の南にある。明・清の歴代の皇帝が五穀豊穣を天の神に祈ったところ。この公園の中心は祈年殿で高さ38m、直径30mで梁や釘は1本も使用されていない。祈年殿と並んで南には皇き宇、園丘がある。ここは円形の祭壇で、屋根はなく、文字通りの天壇。毎年冬至の日、皇帝はこの最上壇に登り天を拝し、その年の出来事を天帝に報告した。ここに立って声をあげると自分の耳にだけ大きく反響音がかえってくる音響効果がある。 夕食は・・飯店で・・料理。慣れないせいか、うす味であまりうまくない。 |
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わが家へ無事を電話。ダイヤル通話が出来て簡単。料金は3分程話して29.04元(約1,100円)である。弟が初めて訪中した7、8年前は申し込んで1時間は待たされることもあったそう。 |
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| 洗濯機は年収分相当で共働き | ||
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政府は11億の民を抱え人口問題には頭を痛め、晩婚を奨励、男性27−28才(女性25−26才)が平均で、この場合休暇も3日のところを15日与えられるそう。子供もひとりまでを呼びかけ、産児制限をしている。 車窓から大の男が子守をしている光景をよく見かけるが「これも共働きのせい」とは家内の推測。余談ながら股割れパンツをはいた子供が多いが、これは時節柄涼しいだろうし何よりも用を足すのに合理的だろう、と変な感心をする。 |
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| 陵墓に注がれた巨費、歳月、労力 | ||
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しばらく走ると遠くの山の中腹に黄色の屋根が点在する。これが明の十三陵だ。北京市街地の北西50Km、八達嶺に連なる天寿山のすそ野に、点々と陵墓が造られている。前後200年余りの明代13人の皇帝とその皇后の墓である。 我々が訪れたのは有名な定陵(第14代神宗万歴帝)で、当時6年の歳月と国家財政2年分(800万両)という巨費を投じたもの。1957年に発掘された。地下20mにある“地下宮殿”は前、中、後の3殿、5つの部屋からなる。酒色におぼれた皇帝は、生前に完成したこの墓の中でも大宴会を開いたといわれている。 今日の昼食場所は人口10万人の、南口にある回教の食堂。ために豚肉はダメ。すぐ前には鉄道の駅がある。弟が「ヒー・イズ・マイ・ブラザー」と紹介するのに答えて、呉さんが「全然似てない」というのを背に受けてバスに乗り込む。 |
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| 月からでも見える万里の長城 | ||
いよいよ本日のハイライト、万里の長城。東は渤海湾の山海関から、西はゴビ砂漠、甘粛省の嘉峪関に至る全長6,000Km(北海道一九州の2.5倍)に連なる大城壁である。月から見える唯一の建造物と言われるが、なるほどこれならさもありなん。2500年前の周時代に北方の遊牧民族の侵入を防ぐために築いたものが最初。その後、秦の始皇帝が30万の軍兵と数百万の農民を動員したというから、当時の皇帝の権力の強さとあわせて人民の犠牲もさぞや大きかったことだろう、と千古の昔をしのぶ。まさに人類最大の遺産のひとつである。 一般公開されているのは八達嶺と慕田峪城が中心。八達嶺からは左と右に分かれるコースがあるが、左手の方が勾配がきつく“男坂”、右手の方は距離はあるが登りやすい“女坂”となっており、当然左をせめる。弟の話では「歴代日本の首相で(女坂ではあるが)自分の足で登ったのは大平さんだけ」。この25日には竹下首相の訪中が控えているがいかに。かの毛主席は「一度は行かねば男になれない」と言ったとか。実際に登ってみて胸突八丁は、夏山登山を思わせる厳しさだったが、頂上のどん台からの景色の素晴らしさと、吹き抜ける涼しい風が疲れを癒してくれる。 夕食は北京の名物料理のひとつ北京ダック。代表的な店は4つあり、そのひとつ天安門から近くの「和平門○鴨店」へ。二つのテーブルに別れ、弟が中国式食事マナー(楽しく、にぎやかに、時間をかけて、精力的に食べる)などを講釈しながらおいしく食べる。極めつけは北京ダックだ。炉で焼いたアヒルの皮と肉を小片に切り取り、細切りのネギ、甘味の味噌の醤(ちゃん)と一緒に薄餅で巻いて食べる。珍しさも手伝って5つばかり食べる。 北京銀座といわれる王府井をぶらつく。北京飯店から京倫飯店までタクシーに初めて乗る。8元だが10元払い、2元はチップ。 わが家へ2度目の電話。19.36元(735円)。これに比べ部屋の冷蔵庫のオレンジジュースとミネラルウォーターで19元、と高いのに驚く。 |
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| 天安門は故宮への入口 | ||
この2日間は曇天だったが、むしろ暑さがいくぶんしのげてよかった。今日は生憎、出発前から一日雨模様。小雨にけむる中国のシンボル天安門へ。中央には毛沢東の肖像画、その左右には「中華人民共和国万歳」と「世界人民大団結万歳」のスローガン。天安門は故宮への入口でもある。天安門の前には南北800m、東西500mと世界最大の広さを誇る天安門広場がある。後楽園球場の10倍。40万から60万人の人が国慶節やメーデーには集まる。天安門を背にして右手に人民大会堂、左手に革命博物館と歴史博物館。中央には高さ38mの人民英雄記念碑があり、その南には毛沢東の遺体を安置した毛主席記念堂がある。 次に訪れた故宮は明・清代には紫禁城と呼ばれていた皇城である。最近、映画「ラスト・エンペラー」の舞台となり話題を集めたところ。明の永楽帝により、15年の歳月と20万人以上の労働力を費やして築かれ、清代に改築された。東西750m、南北960m、面積72万平方m。後楽園ドームならゆうに16個は入る広さある。ゆっくり見てまわると1週間はかかるところを2時間の超駆け足。建築物60余、所蔵品は100万点に及び、部屋数は約9,999と言われる。生まれたばかりの赤ちゃんが、故宮のひとつの部屋に1晩ずつ泊まるとすると、故宮の全部屋を泊まり終える時には27才になっている勘定だ。気の遠くなるような話だ。十三陵の地下宮殿、万里の長城、故宮いずれをとってもその壮大さは舌筆に尽くせるものではない。北京市内の准揚春飯店にて昼食。
朝の天安門は雨のため、再度雨上がりの天安門広場に寄って記念写真。おかげで近くの松林でひとり太極拳をする老人にお目にかかれる。白いあご髭といい、青い作務衣の決った絵になる雰囲気なので一行のうち数人が立ち止まってポーズをまねたりする。 再び友宜商店でショッピングの時間をとった後、予定にはなかったが特別にラマ教のお寺を参拝。300年前に建てられた古いお寺で、中には大仏を安置してある。首都空港近くの燕翔飯店にて早めの夕食。もちろん中華料理であるが、日毎に料理がうまい旨を弟にいうと「口が慣れてきたせい。明日の上海料理はもっとうまい」 首都空港で呉さんに別れを告げ、曲さんは上海まで更に同行。空港では、行く先々で前後した顔見知りのM先生夫妻がやはり上海入りで、添乗員(JTB)に聞けば全く同日程。「またご一緒のようですね」に先生も「運命共同体ですよ」 他の国(特に日本のJR)と違って、中国の空のダイヤほどあてにならぬものはないと言うのは、つとに有名だが、そんな心配をよそに中華民航はほぼ定刻の午後7時35分に出発。 雲の上は真昼の如し。それにしてもスチュワーデスのサービス態度は、日本と比較にならぬお粗末さであきれる。機内食もささやかで、まずい。ジュースなど昔飲んだ粉末ジュースの味だ。前の席のIさんが手もつけないのはそのせいかと思っていると、「腹具合いが悪いが、生憎薬はトランクの中」とのことで、小生の持っていた正露丸が役に立つ。 搭乗30分程(午後8時5分)でシートベルトのサインとアナウンス。エアー・ポケットか、結構ゆれる。北京から1時間40分(午後9時15分)で上海虹橋空港に無事着陸した時には、期せずして前の方から拍手がおこる。 |
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| 中国最大の商工業都市・上海 | ||
上海でのガイドは国際旅行社の李さんという女性ガイド。上海は北京・天津とともに中国最大の商工業都市、貿易港で人口1,100万人を擁する国際部市である。長江の河口近くに位置し、南北に延びる長い中国大陸の中央を占める上海は、1842年、清朝がアヘン戦争に破れて開港を余儀なくされ、英仏をはじめとする列強が次々と租界を設け、以後1世紀にわたって中国はこの港に対する主権を失うという不幸な歴史の舞台となった。 空港からほどなく宿舎、日航龍柏飯店に着く。昨年9月にオープンしたばかりの大きなホテル。中庭にはプールもある。京倫飯店より数段上。バスも大型でこれまた同様。チェックイン後、部屋に弟がのぞく。些かくたびれた様子。荷物管理をとっても大変で、首都空港では鍵なし荷物が4つもあり、このままでは送ってくれず、その対処におおわらわだったそう。添乗のかくれた苦労のひとつである。 ホテルの窓からは朝もやけむる墨絵チックな景色が広がる。天気はよさそうだ。上海動物園はホテルのすぐ隣にあり、時間倹約のためお目あてのパンダ館の前まで特別にバスを横付け。ガラス、鉄格子越しでなく、広々としたところで木に登ったレッサーパンダや愛嬌を振りまくジャイアントパンダに、大人も子供も大喜び。盛んにシャッターを切る。 |
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| 開放政策が奏効し万元戸も | ||
絨毯工場を見学、女工さんのあざやかな手さばきを披露してくれ。玄関マットを1,050元(39,900円)で求める。定価1,070元を値切り交渉するも「国家の名のもとにまけられない」と20元がやっと。それでも日本に比べると安い買物。 中国では数年前から開放政策をとり効を奏している。農業をとっても生産責任制で、一定量を政府に供出すれば、あとは個人が自由に商売できる。あちこちで野菜を山積みした自由市場を多く見かける。これによって活力を生み出し、生産性は大きく向上したそう。今やトラックを持つ農家もあり、車窓から見える2階建て洋風館はこれまた農家だという。土地は国に帰属するが、家屋は個人のものだ。万元戸(年収40万円以上)と呼ばれる、中国流億万長者もあらわれているそうだ。 玉仏寺は明代1882年に建立された禅寺である。釈迦仏像は写真は禁止と言われたが、ビデオにローアングルでおさめる。法事が催されているのも拝見。 上海一の繁華街南京西路にある華僑飯店にて昼食。随行員の曲さんは、これから西安へ向かうため一同拍手でもってここでお別れ。道路を隔てて南には人民公園がある。メンバーのひとりの女子高校生が熱を出し、昼食もとらず。幸い同行のH医師が解熱剤を持参しておられ、ことなきを得る。 |
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| 租界時代にもチャイナタウンの豫園 | ||
上海の南市にある豫園を訪れる。租界時代もこの付近は中国人の居住区として、上海のチャイナタウン的存在であったところ。明代の名園である。庭園散策の後、豫園商場を歩く。「小・土・特・多」という特徴をもった店ばかりが100軒以上集まっている。上海の浅草といったところか。豫園の中心にある、2階建ての茶館、湖心亭は格好の記念写真場。 また湖心亭のそばには小籠包(しょうろんぱお)で有名な南翔饅頭店がある。ここの小籠包は特別スープの入った湯包子(たんぱおつ)であり、行列ができている。弟と李さんの特別の計らいで一同、あつあつの湯包子を頬張ることができ謝謝(しぇしぇ)。日曜日とあってか、人ごみと喧騒にいささかくたびれたが、ゆっくりと時間をかけたい所。 文春62年11月号、深田祐介の“幻想の中国”の一節にトイレ奇談が紹介されているが、飯店はもとより空港、友宜商店などいずれも水洗できれい。今は昔の話かと思いきや、豫園商場にあった公共厠所には閉口した。うわさ通り、ドアや仕切りがないのはおろか、汚いことこの上なし。一列に並んで水の流れる小溝にしゃがみ、下半身丸出しで用を足している。小の方はと言えば、洗面台風になっており、そこには一物が残されたまま。思わず目線を空にやり、息を止め這這の体ですませた次第。中国では各家庭にトイレを持つ習慣はなく、市民は公共厠所を利用し、北京だけでも5,000を越えるそう。八達嶺にあった有料厠は番人がおり、一角(38銭)とられたが、これもきれいではなかった。 |
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上海に租界があった頃、黄浦江沿いを南下する黄浦江灘路のことを“外灘(バンド)”と言うそうだが、外灘の北の一角に黄浦公園がある。この公園の南口が遊覧船乗り場の隣にあり、ここから北口の外白渡橋(旧ガーデンブリッジ)までを歩く。 途中、観光客と見ると身なりの汚い、年端もいかぬ少年少女達が両手を受けて物ごいをする。李さんが叱りつけても、まとわりついてなかなか離れない。思わずカメラを抱きしめた程。戦後、進駐軍のジープの後を、日本の子供が“ギブ・ミー・プリーズ”とガムやキャラメルをねだった、あの光景であり心が痛む。まるで今日の黄浦港の水の色のような暗たんたる気持ちになった。私のばあさんが居たのがこの界隅と聞き、半世紀前に思いをはせる。 友宜商店で土産物を求める。花瓶敷、ティー、家内の実家へ端渓の硯等々。 夕食は南京西路に面してそびえ立つ、24階建ての上海の代表的なホテル、国際飯店である。右隣が昼食をとった華僑飯店。最後の夕食とあって、一同を代表してH先生の乾杯の音頭で上海料理のフルコース。メニューは12品目。 |
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| 息をもつかせぬ上海雑技の妙技 | ||
夕食後は南京西路にある上海雑技場へ。入口で八ミリ、ビデオは厳しく禁止。場内満員で熱気ムンムン。最初はただのサーカスごときにたかをくくっていたが、空中人間楼閣、犬、猿、象等の動物芸、皿回し、マジック、極めつけのパンダのウェイ・ウェイの曲芸など内容は豊富でハイテクニック、その妙技は絶品なり。2時間息つく間もなし。 今日一日駆け足の強行スケジュールであったが、欲張りついでに「和平飯店(旧キャセイホテル)の1階喫茶室は午後8時からジャズが聞ける」というので、有志9名(T、S、H、I、M、E夫婦、O夫婦)が弟、李さんの道案内で繰り出す。「上海バンスキング」の舞台ともなった。和平楽団は、平均年齢68才のオールドプレイヤーであるがなかなかのもの。短い時間で酔いしれるところまではいかなかったが、水割1杯でちょっぴりいいムードにひたることができた。ジャズは矢張りトランペットが一番、と思っていたがピアノまたよし。ホテルまでE夫婦とタクシー相乗りで30元。 |
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壮大過ぎてよく分からぬ中国 |
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正味3日間で、しかも観光ルートに乗って表面だけを見て回った小生など、「中国はどうだったか?」と訪ねられても明快に答えられない。何せ17、8回は訪中している弟をして「何時来てもよく分らん国だ。もうこれを最後にしたい」と言わしめるほどだから。 しかし、今回の中国旅行の意義は大きく、収穫は多々あり、次の結論に達した。 (1)中国の広大さ、壮大さを実感できた。 (2)今はともかく、建築中のビルラッシュに明日の中国の息吹と鼓動を感じた。 (3)歴史的文化遺産の重み、尊さ、素晴らしさを知った。 (4)わが国、日本のことを客観的に考え、見直すきっかけができた。 (5)これからも金を貯め、時間を生み出し海外へでかけよう、と決意を新たにした。 ネクストチャンスを目指して、明日からまた頑張ろう。 |